小笠原万里枝さん(右)の還暦祝いにサプライズで花火を打ち上げた夫の貞善さん=朝日新聞

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関門海峡を見ながら育った2人は、遠距離恋愛を経て結婚、家庭を持ちました。今から40年前、妻は30歳で医学部に入り医師になります。「男性は仕事、女性は家庭」という意識の強い時代。それでも、偏見をはねのけ家事の一切を引き受けたのは夫でした。月日が経ち、おとずれた妻の還暦を祝うパーティー。夫がサプライズを贈った場所も関門海峡でした。(朝日新聞下関支局記者・山田菜の花)

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「ママのためなんだよ」

2009年9月2日夜、小笠原万里枝さん(70)は山口県下関市の水族館「海響館」のレストランにいた。夫の貞善さん(69)が開いてくれた還暦記念パーティーだ。市内で生まれ育った万里枝さんは、関門海峡の景色が大好き。雄大な海景が夕闇に染まる様を、ガラス越しに見ながら、家族や友人20人ほどと食事を楽しんでいた。

「せっかくだから外で乾杯しましょう」。午後8時、貞善さんが一同を外へ促した。「還暦おめでとう」とグラスを掲げた瞬間、唐戸桟橋からシューッと音がして夜空に赤い花火がパッと咲いた。全部で60輪。「ママのためなんだよ」。貞善さんが万里枝さんにそっとささやいた。夫の心づくしのサプライズに、思わず涙ぐんだ。

遠距離恋愛の末に結婚

2人は中学校の同級生として出会った。当時の貞善さんにとって万里枝さんは雲の上の女性。「名前を呼ばれても直立不動になるくらい、勉強はできるし、美しかった」。好きだと思う余裕もなく、卒業した。

貞善さんは高校に進学後、広島へ就職。20歳の頃、中学校の同窓会に出席すると万里枝さんもいた。東京の女子大生になっていた。中学時代以上に輝いて見えた。今度は告白までこぎ着け、付き合えることに。週に1度は手紙を書き、遠距離恋愛を育んだ。

1972年1月に結婚。ほどなく貞善さんは仕事を辞めて下関に戻り、カウンターに5席ほどの小さな喫茶店を開いた。長女と長男にも恵まれた。

30歳で医学部に入学

万里枝さんは高校生のとき、家族に医学部への進学を勧められていた。当時は気乗りがしなかったが、子育ての傍らふと、医学部の受験を思い立った。高校を卒業して10年経っていた。「喫茶店を始めたのも無謀なら、医学部なんてもっと無謀。それでも突き進んだのは、無意識に将来への不安を感じていたのかも」と万里枝さんは振り返る。

常連の大学生に参考書をもらい、コーヒーを入れながら数学の問題を解いた。3度目の挑戦で山口大医学部に入学。30歳だった。

万里枝さんを支えるため、貞善さんは主夫として家事も子育ても一手に引き受けた。「男性は仕事、女性は家庭」という意識が根強かった時代だ。卒業後、万里枝さんは皮膚科医として病院に勤め始めたが、扶養手当は妻を養う男性だけが対象だった。夫を扶養する万里枝さんは受けられず、悔しい思いをした。

「家事もお金のやりくりも、得意な僕が」

しかし、貞善さんは世間の目が気にならなかった。「彼女はスーパーウーマン。仕事に決して手を抜かないし、どんな患者さんでも差をつけずに接する。家事もお金のやりくりも、得意な僕がやった方がいい」

92年、万里枝さんは喫茶店の跡地に皮膚科医院を開いた。貞善さんが事務長として切り盛りしている。時折、喫茶店の常連だった人が患者として訪れる。コーヒーを入れていたママが目の前の医師とは思わず、不思議そうに帰るたび、2人でほほえみ合った。

貞善さんは今でも、万里枝さんと巡り合えたことが奇跡のように感じる。そんな思いを表したくて、還暦祝いにサプライズの花火を企画した。「打ち上げのタイミングをこっそり電話でやりとりするのに必死で。でもいい思い出になった」

関門海峡では季節を問わず、記念の花火が打ち上げられる。結婚式に、長寿のお祝いに、誕生日に。思いを込めた夜空の大輪が、それぞれの人生の節目を彩る。