現在の紫雲荘202号室。右に赤塚不二夫、左にアシスタントの机のイメージが再現されている=豊島区南長崎(鵜野光博撮影)

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 記念碑「トキワ荘のヒーローたち」が東京都豊島区南長崎の跡地近くに完成した平成21年。

 手塚治虫ら著名な漫画家たちが住んでいたことを「地域の誇り」として生かそうとした地元住民らの取り組みは、一つの節目を迎えた。そしてこの年、活動に新たな方向性が加わることになる。

 「トキワ荘跡地の近くにある『紫雲荘』には、赤塚不二夫さんが住んでいたんだよ」

 このことを記念碑設置に取り組む人々に伝えたのは、地元で老舗写真館「東京写真工芸社」を営んでいた佐藤仁さん(28年に88歳で死去)だった。トキワ荘は昭和57年に取り壊されて既にない。しかし、34年に建てられた木造2階建てアパートの紫雲荘は、築50年を迎えながらも健在だった。

 赤塚は35年から1年あまり、トキワ荘の部屋に加えて紫雲荘の202号室を借り、仕事場兼寝室として使っていた。現在の紫雲荘の大家で、当時5〜6歳だった大山朱実さん(64)によると、トキワ荘2階の漫画家たちは、外で遊ぶ子供のためにロウ石で道に絵を描いてくれるような「優しいお兄ちゃん」だった。その一人が紫雲荘の2階に引っ越してくることになった。「表札や両親の会話などから、赤塚さんの名前だけは幼いながらに覚えていた」という。

 202号室はトキワ荘の石森(後の石ノ森)章太郎の部屋に近く、食事の準備ができると石森の部屋から声がかかり、赤塚は急いでトキワ荘に戻ったという。食事はトキワ荘に住み込んでいた赤塚の母親がつくっていた。

 記念碑の完成から4カ月後の平成21年8月、赤塚居住を知った地元住民と区の担当者が大山さんを訪ねた。202号室は、たまたま7月に空き部屋になっていた。

 「次の方が入るのを、ちょっと止めていただけませんか」

 10〜12月に池袋と現地などで開かれた企画展「トキワ荘のヒーローたち〜マンガにかけた青春〜」で、この部屋の公開は目玉の一つになった。大山さんはスタッフと協力して古い家具を集め、記憶にあった赤塚の部屋を再現した。

 その後、「漫画家の卵」を住人として募集する「紫雲荘活用プロジェクト」が発足。地元の取り組みは、漫画家の育成、漫画文化の発信へと踏み出す。

 最初の募集は23年3月にも行う方向だった。だが、6月にまでずれ込むことになる。その一因は、3月11日に発生した東日本大震災。余波は、この街にも及んでいた。