段ボールで作られた蒸気機関車の実物大模型

写真拡大 (全3枚)

 兵庫県北部の豊岡市出石町。

 旧出石藩の城下町の風情が残り、但馬の小京都として人気の観光地に戦前、軽便(けいべん)鉄道(小規模の鉄道)の「出石鉄道」が走っていた。その歴史を後世に伝えようと、地元の若手経営者らが当時の小型蒸気機関車(SL)を段ボールで実物大に再現し、町内で展示している。段ボールとは思えないリアルな模型は「今にも動き出しそう」と評判で、関係者は「住民の熱意で開通した鉄道の歴史を知ってほしい」としている。(谷下秀洋)

 模型は、合併前の旧出石町と山陰線江原駅(同市日高町)間11・2キロを走った出石鉄道のSL「6号」を“復元”したもの。全長7・8メートル、幅2・4メートル、高さ3・4メートルで、直径1・3メートルの動輪は何枚もの段ボールを重ね、小さなリベットなども再現。運転席には人が乗り込める。

紆余(うよ)曲折、出石鉄道の歴史

 出石町史などによると、明治期に鉄道網が全国で整備される中、同町は鉄道網計画から取り残されたが、住民有志が「このままでは将来はない」と立ち上がり、大正8年6月に出石鉄道会社を設立、鉄道敷設免許を取得した。

 施設工事が北但大震災(14年)や丹後地震(昭和2年)で遅れるなどしたが、同4年にようやく悲願の鉄道(単線)が完成。出石−江原間は5つの駅があり、片道約35分で1日7往復し、住民や物資を運んだ。

 その後も不運は続き、9、17年には円山川にかかる橋梁(きょうりょう)が台風で流失。戦争が激化すると不要不急路線の対象となり、18年に営業休止命令が出され、翌19年にレールがすべて撤去された。戦後は鉄道復活の陳情も実らず、営業期間はわずか15年と短命に終わり、住民にとって出石鉄道の歴史は過去のものとなった。

出石鉄道を住民の誇りに

 出石は皿そばの「出石そば」で知られ、約40店が味を競い、年間約72万人の観光客が訪れる。模型は、同市商工会青年部出石支部(奥村佳紀支部長)が今年で創立50周年、出石鉄道が創立(出石鉄道会社設立から)100年を迎えるのを記念した「出石みらい鉄道プロジェクト」として製作。実行委員長の川原一郎さん(35)は「出石鉄道を知っているのはお年寄りだけ。鉄道を開通させた当時の住民の熱気を次代を担う子供たちに知ってもらい、出石鉄道を郷土の誇りに思ってほしい」と話す。

模型製作に住民も参加

 製作も苦労の連続だった。機関車は設計図がなく、京都府北部の旧加悦(かや)鉄道(60年に全線廃止)の機関車が「兄弟車」と知った支部のメンバーらは、保存されている現地に何度も出向いて採寸し、復元の資料とした。

 さらに、段ボール工芸作家の島英雄さんの指導を受け、昨年12月にまず4分の1サイズの機関車を段ボールで製作。構造や作業手順などを理解し、今年1月から住民やOB会員らの協力も得て約100のパーツを図面化し、段ボールの強度を出すためパーツを何枚も重ねて製作した。

元運転士も感激

 同市の出石庁舎前広場で9月1日にお披露目式があり、住民ら約300人が完成を祝った。観光客らも「リアルで、今にも動き出しそう」と出来栄えに驚いていた。

 式には地元に住む出石鉄道の元運転士、秋山雅美さん(93)が招待され、機関車と75年ぶりの再会に感無量の様子だった。秋山さんは15年から運転士を務め、19年のレール撤去では機関車でレールを運ぶ最後の運転も担当。「レールが悪く、脱線しないよう時速30キロで走るのがやっとだった」と当時を振り返った。

 また、18年8月に出石駅構内の機関庫火災では、「夜間なのに大勢の住民が駆けつけ、機関庫から機関車を綱引きのロープで引っ張り出そうとした。結局、別の機関車を使って無事、外に出したが、住民はバンザイを三唱して喜んでいた」と懐かしんだ。このエピソードに、川原さんは「当時の住民の思いは熱かった。段ボール模型を通じて、郷土への誇りを100年先に伝えたい」と話した。

 機関車模型は29日まで、出石振興局市民ホールで展示されている。問い合わせは同支部(0796・52・2113)。