新しいことに挑むとき、まずは先人の知恵を利用すべしです(写真:adam121/PIXTA)

「日本企業は年功序列だからダメだ」

「役立たずの中間管理職が多すぎる」

こんな話をよく耳にします。でも、これは単にシニア層に責任を押しつけているだけで、実際に実力ある若手があふれているかと言うと、はなはだ疑問です。

拙著『AI救国論』でも詳しく触れていますが、日本経済の失われた20年、いや30年を生き残っている企業は、どこも広く若手に活躍の機会を与えていますし、IT業界、とくにAI系では、若手が一気に昇進するファストパスは今や珍しくもありません。これからのICT時代にシニアも若手も関係ないのです。

日本はエンジニアを正当評価できていない

今に始まったことではありませんが、日本の教育システムは、時代の流れにまったく追いついていません。ノーベル物理学賞を受賞した中村修二さんは、「日本の受験は単なるウルトラクイズ」だと言いましたが、いまだに志望校に受かるためだけの受験勉強に明け暮れ、いざ合格しても、アルバイトやサークル活動に若者が成長できる貴重な時間が費やされています。

これは、同じ能力程度なら年が若いほど評価されるという「年齢補正の原理」から見ても、明らかなムダだと思います。

最近、NECやソニー、あるいはファーウェイなどが高度な理系人材を破格の待遇で採用するというニュースが相次ぎましたが、アメリカや中国やインドなどに比べると、日本ではエンジニアの待遇が低く抑えられています。実際に手を動かすエンジニアより、営業や交渉など、口を動かして付加価値を生みだすコンサルタントのほうにキャッシュが流れているからです。

それに加えて、もともと日本の企業にはテクノロジーをきちんと理解して仕事を発注できる管理職がほとんどいないので、受注する側に要求を丸投げするか、コンサル側の言いなりになってしまうことが少なくありません。

某金融機関ではシステム構築に膨大な時間と予算をかけているのにいまだに完成していないらしく、業界で「サグラダファミリア」と揶揄されているケースもあります。ほかにも、コンサルタントに相談して見積もりをとったらケタが1つ2つ違っていたとか、納品されたが使えなかった、あるいは納品にさえ至らなかったというケースもあります。

つまり、発注側のお客さんは本物の寿司の味がわからないので、受注する側が提供するカリフォルニアロールを、これが寿司だと思って食べている、そんな状況です。

こうした中で、エンジニアもより高い報酬を得ようとするなら、文系スキルが必要です。ただ、文系のコンサルタントも入社してからスキルを身につけていくわけですから、その意識さえあれば逆に理系エンジニアが文系スキルを身につけて対応することも可能なはずです。現にアメリカでは、プロスポーツ選手並みの報酬を得ている高度エンジニアが大勢います。

水平思考で「意外な組み合わせ」を発見

時に大きな富を生みだす「イノベーション」という言葉には、何かを発明したり、天才的なアイデアが閃いたりするというニュアンスがありますが、要するに、その本質は「意外な組み合わせを発見する」ことにあります。

意外な組み合わせが発見につながることは、もともと学術分野では特許や論文を書く際の経験則として知られていて、私が以前いたIBM東京基礎研究所では、「巨人の肩に乗れ」という標語で伝えられてきました。新しいことに挑むときはまずは先人の知恵を利用すべし、という意味になります。

IT企業は、最初にいち早くプロダクトを世に出して、後発ライバルに差をつけることが重要です。その際、1社単独の垂直統合型ビジネスモデルより、自社の持つ強みに集中し、足りないリソースは適宜他社から調達する水平分割型モデルのほうが、生産面でもスピード面でも効果的であるのは言うまでもありません。

かつてコンピューターというハードウェアからソフトウェアまで、すべてを自社で制作していたIBMは、ソフトウェアしか提供しないウィンドウズ(マイクロソフト)と、ハードウェアしか作らないインテルとの「ウィンテル」陣営に粉砕されました。

さらにウィンドウズがソフトウェアの開発環境をオープンにしたことでフリーウェアが生まれ、誰でも先進的ソフトウェアを利用できるようになり、インターネットの拡大と相まって、オープンソースという集合知文化が醸成されてきました。

AI業界には、以前からこうしたオープンソース文化が根づいています。例えば、カップ麺工場のベルトコンベヤーに固定カメラを設置し、カップ麺にゴミが入っていないかを調べる不良品検出AIは、今は基本的にタダで作れます。もちろん、人件費とサーバー代程度は別としても、外資系メーカーの特殊なシェアウェアを使う必要はなく、フリーウェアで十分に高品質なものが作れます。従来のようにソフトウェアの原価がかからず、組み合わせが高い付加価値を生むというビジネスモデルになります。

日本ではこうしたソフトウェアも内製化することが多いのですが、基本的にオープンソースのクオリティーにも届かず、精度が低いのが現状です。オープンソースのように水平分割化が進んだ市場では、個々の強みとオリジナリティーに集中して、それ以外はレンタルして組み合わせる戦略が有効で、発想の転換が必要です。

「熊蜂はなせ飛べるのか」

演繹と帰納をベースとする垂直思考(バーティカル・シンキング)は、前提から結論までいわば一本道ですから、基本的に誰がやっても同じ結論になります。そのため安定感と説得力はあっても、何か突拍子もないアイデアが閃くような創造的思考には向いていません。

しかし、従来の定説にしたがい、演繹的に解を導き出す思考法では、企業も個人ももはや持続性を高められなくなりました。

だからこそ、水平思考(ラテラル・シンキング)が重要になるのです。

「熊蜂はなぜ飛べるのか」という有名な話があります。かいつまんで言うと、「意志の力で飛んでいる」という精神論的な説明がされていたのが、その理論自体を疑うことで、結果として「空気の粘性を利用して渦を巻き起こすことで飛んでいる」ことがわかりました。

これと同じように、私の知る限り、「すべてのイノベーションは水平思考の結果である」と言ってもいいほどです。水平思考によって得られた仮説をそのまま実行に移すと、「その手があったか!」「ずるい!」なとど言われます。また、水平思考が身につくと斬新なアイデアや企画を思いついたり、行き詰まったプロジェクトを蘇生させたりすることが可能になるだけでなく、自分の生活に適用すれば、人生におけるイノベーションにもつながります。

今や経済の主役は、かつての自動車や電機のような製造業や金融業から、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)のような巨大プラットフォーマーをはじめとしてさまざまなIT企業、さらにAI系へと移りつつあります。

そういう意味では、先端テクノロジーを学びながらマネジメントに活かす、いわば文理融合型のMOT(技術経営)という学問分野は、今後ますます重要になっていくでしょう。