8月26日、来日して記者会見するクエンティン・タランティーノ監督(左)と主演男優のレオナルド・デカプリオ(写真:アフロ)


 クエンティン・タランティーノ監督の最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)が日本でも公開となった。

 50年前のハリウッドを舞台に、レオナルド・ディカプリオ演じる落ち目の俳優リックと、ブラッド・ピット演じるその身代わりスタントマン「スタントダブル」を務めるクリフ、2人の架空の人物が主人公。

 そして、準主役的存在のシャロン・テートをはじめ、その夫ロマン・ポランスキー、ブルース・リー、スティーヴ・マックイーン、ママス&パパスなど、多くの実在セレブが登場し、CGを好まないタランティーノらしく、大がかりなセットで当時のハリウッドの様子を再現、映画史を考慮し、細部にわたるまで配慮の行き届いた描写で楽しませてくれる。
 1969年は、ハリウッドも米国社会も大きな変動のさなかにあった頃。

 とりわけ、人類が初めて月に行き、ウッドストックコンサートが行われ、「シャロン・テート殺害事件」が起きた夏の様子は、50年を迎えた今夏、多くのメディアが伝えたから、新たに「歴史」として知った人も少なくないだろう。

 自国の現代史の一部である米国人はもとより、タランティーノより上の世代なら日本人でも、事件、そしてその時代の様子をそれなりに知っていることだろう。

 しかし、映画史にさほど詳しくなく、当時の米国社会の様子を知らない日本の若い世代からは、冗長に感じるとの声も聞かれる。

 妊娠中のシャロン・テートが、友人たちとともに、ビバリーヒルズに近いシエロドライブの自宅で、チャールズ・マンソンをリーダーとするカルト集団「マンソン・ファミリー」に殺害された惨劇は、「カルト」を語るとき必ずといっていいほど取り上げられる事件である。

 2人の架空の人物を登場させることで、「よく知られた歴史」とは違った「Alternative History」とでも言えるものを、タランティーノ流の「昔々ハリウッドで」の物語として語っている。

 だから、「よく知られた歴史」を知らないと、様々な描写の「仕かけ」の意図が感じとりにくく、ストーリー展開の邪魔にさえなりかねない。

 そこで、今回は、そんな「仕かけ」を理解するために知っておいて損はない、背景にある1960年代後半のカウンターカルチャーの時代、そして前回、前々回に続き、ハリウッドそのものの動きをみていきたいと思う。

 反戦(特にベトナム戦争)、公民権運動、学生運動、ウーマンリブ、新左翼、反核、ヒッピー、フリーセックス、ドラッグ、サイケデリック・・・。

 ジョン・F・ケネディ(JFK)暗殺後、米国社会は、理想を追い求める時代から、既存の権威、システムに疑問を投げかけ自由を求める「カウンターカルチャー」の時代へと変わっていった。

 ハリウッドでも、システムへの疑問は強く、過去の「縛り」からの解放へと向かっていた。

 メジャー・スタジオが大作の度重なる失敗で次々と経営不振に陥り、企業への売却も進み、スターも監督も脚本家も、スタジオに雇われる時代は終わっていった。

 そして、それまで避けられてきた様々なテーマをメジャーも扱うようになり、多様なスタンスの映画が登場する「New Hollywood」「American New Wave」(日本では「アメリカン・ニューシネマ」と呼ぶ)の「監督の時代」が始まりつつあったのである。

かつてテレビウェスタン「Bounty Law」の賞金稼ぎ役で大スターだったリック・ダルトンは、1969年2月のいま、テレビシリーズの悪役などに甘んじている。

マカロニウェスタン出演を勧めるプロデューサーに、テレビ局がニュースターを育てるための引き立て役に使われている現実を指摘され、自分はもう「Has-Been(過去の人)」だ、と落ち込んでいる。

 リックがスターとなったテレビウェスタンは、1958年秋から61年春まで3シーズン続いたスティーヴ・マックイーン主演の「拳銃無宿」を思い起こさせる。

 現実のマックイーンは『荒野の七人』(1960)『大脱走』(1963)を経て大スターの道を上っていくが、架空の存在リックの場合、映画はB級アクションばかりでテレビでもいまや「引き立て役」という体たらくなのだ。

シエロドライブの豪邸に帰ると、1か月前から隣に住む女優シャロン・テートとロマン・ポランスキー監督夫妻が車で通りかかる。リックはクリフにまくしたてる。

「隣に住んでいるのが誰だか分かるか?『ローズマリーの、クソ、赤ちゃん』の監督だぞ。ポランスキーはこの街で、いや世界で、いまいちばんホットな監督だ!何が起こるかなんて分かりやしない。ポランスキー映画に出られるかもしれないじゃないか!」

 ポーランド人監督ロマン・ポランスキーは1962年、ポーランド映画『水の中のナイフ』で世界的注目を集め、フランスなどで数本撮ったのち、ホラー映画のパロディ『吸血鬼』(1967)を監督した。

 そして、その撮影中恋仲となった出演者のシャロン・テートと、1968年1月、英国で結婚。夏には、ミア・ファロー、ジョン・カサヴェテス主演のハリウッド映画『ローズマリーの赤ちゃん』が大ヒット、批評家の受けも良好、と公私とも絶好調だった。

新作テレビウェスタン「Lancer」でも悪役を演じることになり、監督のサム・ワナメーカーに、「ヒッピー的」な扮装、そして、髪型には「ヘルズ・エンジェルス的」要素もとり入れようと言われるリック。

「それではリック・ダルトンだとわからなくなる」と反論しても「それがいいんだ。私が雇ったのは俳優としての君だ、「TV Cowboy」ではない」と返され・・・

 ヒッピーカルチャーは、メインストリームの社会のシステムを否定した「反体制」が基本。「Love&Peace」を語り「自由」を求めた。

 ハーレーダビッドソンで爆走するバイカー集団「ヘルズ・エンジェルス」も「反体制的」で「自由」を求めるが、非合法活動疑惑もあり、真摯な社会的ポリシーを感じ取ることは難しかった。

 それでも、ヒッピーもバイカーも、それまでの「普通」とは違う存在として若者たちの注目を集め、彼らを描いた低予算「B級映画」は結構当たっていた。

クリフもスタントマンとしての仕事は少なくなるばかり。いまは、リックの雑用何でもござれの「便利屋」であるのが現実。

かつて、テレビシリーズ「グリーン・ホーネット」の「Kato(米国では「ケイトー」として通っている)」役で人気沸騰中のブルース・リーと「Friendly Contest」と称し「勝負」をしたばかりに干されている現実もあった。

「グリーン・ホーネット」の成功で、ブルース・リーは、多くのハリウッド映画人の武術コーチをするようになった。

 スティーヴ・マックイーンやジェームズ・コバーンとの交友は特に有名である。

 そして、シャロン・テートが出演した『サイレンサー 第4弾/破壊部隊』(1969)の武術演出も行っており、1969年10月米国公開の「フィリップ・マーローもの」探偵映画『かわいい女』にもチョイ役で出演している。

夜、夫ロマン・ポランスキーとプレイボーイ・マンションに向かうシャロン。友人のスティーヴ・マックイーンやミシェル・フィリップス、ジェイ・シブリングと合流しパーティに加わる。中にはママ・キャス・エリオットもいる・・・

「The King of Cool」と呼ばれたマックイーンは、『ブリット』(1968)『華麗なる賭け』(1968)でもひとひねりしたアンチヒーローを演じ、時代にもマッチ、好調を維持していた。

 ミシェルやママ・キャスは「ママス・アンド・パパス」のメンバー。カウンターカルチャーを象徴する存在の人気ミュージシャンである。

 シブリングもセレブお抱えの超人気ヘアスタイリストで、のちに『シャンプー』(1975)でウォーレン・ベイティが演じた主人公のモデルの一人ともなっている。

 そして、ポランスキーは、前年夏公開の『ローズマリーの赤ちゃん』が批評家にも観客にも大評判。

 パーティに集まったのは、リックやクリフとは対照的に「今が旬」の面々である。

クリフはヒッチハイカーのヒッピー少女を乗せ、仲間たちと住んでいるというロサンゼルス郊外の「スパーン映画牧場(Movie Ranch)」へと送り届ける。

そこは、かつてクリフも「演じた」ことのある馴染みの場所だったが、少女は、「チャーリー」と会わせたいと言う。しかし留守。

逆にクリフは、そこで暮らす若者たちの異様な空気を感じ、かつての知り合いである映画牧場の持ち主ジョージに会いたいと言うが・・・

「チャーリー」とは、カルト集団リーダー、チャールズ・マンソンのこと。

 実際、「マンソン・ファミリー」は、かつてテレビウェスタン「ボナンザ」の撮影も行われた「スパーン映画牧場」で生活していた。

 そして、ブルース・ダーン演じる、その持ち主ジョージも実在の人物である。

 1936年生まれのダーンは、1969年当時、すでに映画界で知られる存在だった。その出世作がロジャー・コーマン監督の『ワイルド・エンジェル』(1966)。

 コーマンの「American International Pictures(AIP)」製作の「ヘルズ・エンジェルス」を題材とした「若者向き」バイク映画で、事故死するキーパーソンを演じ、主演のピーター・フォンダに匹敵する存在感を示していた。

 この低予算早撮りの若者向き映画は、予想をはるかに超える大ヒットとなり、数多くの類似作品が作られることになる。

 AIPのような独立系の製作する低予算「B級映画」は、メジャーではできないことをやった。

 それは、新しい才能を育てる「学校」となり、AIPは「ロジャー・コーマン・ゲリラ大学」とも呼ばれた。

 前回、前々回コラムで紹介した『ニッケルオデオン』(1976)『ブロンドと柩の謎』(2001)の監督ピーター・ボグダノヴィッチも、この映画の助監督を務め、映画作家としての重要なステップを踏んでいる。

 ダーンは翌1967年3月公開の『Psych-Out』(日本劇場未公開 DVD邦題「ジャック・ニコルソンの嵐の青春」)では、ミュージシャンに扮したジャック・ニコルソンと共演。

 そのヒッピーカルチャーの中心地サンフランシスコのヘイト・アシュベリーを舞台に「サイケデリックな(Psychedelic)」ライフスタイルが描かれる「若者向け」映画でも独特の雰囲気を醸し出している。

 サイケデリック・ポップ・バンド「The Strawberry Alarm Clock」も出演、1967年10月にはビルボード・シングル・チャートで、ナンバーワンとなる大ヒット曲「Incense and Peppermint」なども聞けるこの作品では、LSDなどの幻覚剤に導かれる「サイケデリック」な感覚を表す独特の渦巻模様のイメージが至る所で見られる。

 さらに、翌年ダーンが出演したコーマン監督作品『白昼の幻想』(原題「The Trip」)は、「Psychedelic Experience」そのものがテーマ。再びフォンダと共演、デニス・ホッパーも出演している。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でも、ヒッピーから50セントで買ったLSDづけのタバコで「Trip」するクリフの様子が描かれるが、当時、少なくない「一般人」が「サイケデリック」体験をした。

 もちろん、「普通の人」には無縁だったのだが、彼らには、その独特の感性を伝える「サイケデリック音楽」が一役買った。

 5月末リリースされたビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」がそのブームを後押し。さらに、6月、3日間にわたり、ジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッド、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ママス&パパスなどが出演した「モントレー・ポップ・フェスティバル」が弾みをつけた。

 ミュージシャンやヒッピーのみならず、ヘルズ・エンジェルス、そして多くの「普通の」若者たちが集うその様子は、ドキュメンタリー映画『モントレー・ポップ』(1968)で見ることができる。

 映画では、冒頭、スコット・マッケンジーのヒット曲「San Francisco(Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)」が流れるが、「Anthem」ともいえるこの曲が歌うように、1967年夏、髪に花をさし、フリーラブを語る多くの若者がヘイト・アシュベリーに向かい、サイケデリックムーブメントは「Summer of Love」と呼ばれるピークを迎えた。

 その夏、1930年代実在した銀行強盗「ボニーとクライド」を描いた『俺たちに明日はない』が公開されていた。

 しかし、多くの批評家が酷評、その暴力描写と「衝撃的な」エンディングをめぐり議論は絶えなかった。

 1960年代中頃には、ハリウッドの昔ながらの「スタジオシステム」は崩壊。映画館に足を運んでいた客が家でテレビを見、かつての「夢工場」からは、ベテランの芸術家も技術者も消え始めた。

 それでも、メジャー・スタジオは同じような映画を作り続けた。

「新分野」を求めた若い映画人たちは外国映画をアートシアターで見た。外国映画には「Production Code」で表現を自主規制するハリウッド映画にない魅力があった。

 ジャン・リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーなどのフランス・ヌーベルバーグ、日本の黒澤明、イタリアのネオレアレズモ、フェデリコ・フェリーニ、スウェーデンのイングマール・ベルイマンなど、その「作家性」が人気だった。

 ポランスキーの『水の中のナイフ』(1962)も注目の一作で、アカデミー賞外国語映画賞候補ともなった。『俺たちに明日はない』の脚本も、最初、トリュフォーのもとに持っていかれたという。

 その一方で、女性の上半身の裸がシドニー・ルメット監督の『質屋』(1964)で、いまのレイティング・システムでも思いのほか厳しい、タランティーノ作品では当たり前のように連発される「卑語」もマイク・ニコルズ監督の『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966)で、渋々ながら容認されるなど、「Production Code」による「道徳的」自主規制も崩壊へと向かっていた。

『俺たちに明日はない』は、ニューヨーカー誌にポーリン・ケイルの好意的論評が載り、否定的な前評価を撤回する批評家も出てくるなど、一転して、再評価へと向かった。

 そして、大ヒット。「New Hollywood」の「映画作家」の時代へ弾みをつけた。

 アーサー・ペンは次なる作品の題材に、フォークシンガー、アーロ・ガスリーのベトナム戦争徴兵へのプロテストソング「アリスのレストラン」を選んだ。

 ガスリー自身の体験を歌った曲をベースに、フィクションを加え、映画『アリスのレストラン』は製作された。

「徴兵猶予か免除適用の政府公認の教育」を受けるため大学入学したガスリーが、ヒッピーの旧友との交友からもめごとに巻き込まれ放校処分となり、ヒッピーコミュニティで暮らすようになるが、結局徴兵検査を受けることになり・・・という物語は、ヒッピーの生活が垣間見られ、権威をあざわらい、反戦を静かにうたい上げる。

 ガスリー自身を主演に撮られた作品から感じられるヒッピーカルチャーは『Psych-Out』などとはまた全く違ったトーンである。

「反体制」は、1960年代後半、世界的ムーブメントとなった学生運動でも核だった。

 東部の名門コロンビア大学での抗議行動などの体験記をベースとする『いちご白書』(1970)のノンポリの男子学生が「反体制」学生運動に目覚めていく物語は、「アメリカン・ニューシネマ」の代表作の一本として作品ともども、メインタイトルで流れる「サークル・ゲーム」は日本でヒットした。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でも、そのバフィ・セント・メリー歌う「サークル・ゲーム」が、疾走するポルシェから聞こえてくる。

 運転しているのはマーゴット・ロビー演じるシャロン・テート。そして向かった地で、出演作『サイレンサー 第4弾/破壊部隊』が上映されている劇場に入り、自分の演技への観客の反応に満足する様子が実にキュートに描かれている。

 シャロンのキャリアも順風満帆だった。

 2か月後、アカデミー賞授賞式が行われ、『ローズマリーの赤ちゃん』は、脚色賞候補だったポランスキーは受賞を逃したものの、ルース・ゴードンが助演女優賞を獲得、作品とポランスキーの名を広く知らしめることになった。

 ミア・ファローの夫役を演じたジョン・カサヴェテスもノミネートされ注目を集めていた。

 しかし、それは別の作品『フェイシズ』でのことだった。

 カサヴェテスは、前年、『特攻大作戦』で助演男優賞候補ともなっている演技派俳優だが、その一方で、独立系での監督作『アメリカの影』(1959)でも知られる存在で、即興演出など「新鮮な」手法で撮られた『フェイシズ』も異彩を放っていた。

 自身、脚本賞候補となり、さらに助演男優賞、助演女優賞候補にもなったことは、驚きをもって迎えられ、アカデミーの変化を世に知らしめたのである。

 30年以上続いた「Production Code」がようやくなくなり、1968年11月、レイティング・システムに移行しており、自主規制と古いしきたりの壁が崩れ、レイティングで制限を受けようとも、「自由」に表現し得る時代となり、スタジオと監督、俳優などの関係も大きく変わりつつあった。

 そして5月、カンヌ国際映画祭で、デニス・ホッパー監督の『イージー・ライダー』(1969)が大旋風を巻き起こすことになる。

 ブルース・ダーンは出演していないが、『ワイルド・エンジェル』『Psych-Out』『白昼の幻想』で共演した3人が主演。

 ヒッピーの映画であり、バイクの映画であり、サイケデリックロックも流れる、カウンターカルチャーそのものの「自由」の探求を描くロードムービーは、まさに、独立系映画が築いてきた要素を詰め込んだ一作。

 その成功は、若い監督に映画を撮らせるのも悪くない、と映画会社に思わせるのに十分だった。

保守的な南部で、ヒッピー風情の彼らは2流ホテル、モーテルにさえ泊まれない。

不満を語るホッパーに飲んだくれ弁護士のニコルソンが言う

「彼らが怖がるのは君たちの象徴するもの「自由」だ」

「自由を語るのと自由であるのとは違う。カネで動く人間は自由でいることが難しい」

「彼らは個人の自由を議論するのに、自由な人間を見ると怖がるのさ」

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の「クライマックス」への導入部で、酔ったリックが、マンソン・ファミリーの若者に対し「デニス・ホッパー!」と言い罵倒する。

『イージー・ライダー』のガチガチ保守の南部人たちがホッパーも、フォンダも、ニコルソンも罵倒したのと同様、リックは時代の変化に対処しきれない古い時代の「Cowboy」なのか、と思うシークエンスでもある。

 カンヌで映画の「自由」を世界に示した『イージー・ライダー』は7月米国公開となった。

 それから1週間もしないうち、人類は初めて月に到達。1960年代初め、実現できそうもない理想を掲げたJFKの「公約」である人類の夢は実現した。

 そして、そのJFKが暗殺され、カウンターカルチャーの時代へと変わった1960年代最後の夏の関心は、さらなるビッグイベント、「Love & Peace」を体現する音楽の祭典「ウッドストック」へ向かっていた。

 しかし、その直前・・・。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、終盤近く、8月8日から9日にかけての、架空の存在リックとクリフの行動と、実在したシャロンの行動をパラレルに示しながら、「シャロン・テート殺害事件」の「Alternative History」を、タランティーノらしいバイオレンスを通し描いていく。

 ここから先は、ネタバレとなるので、詳細を書くことは避けるが、事実としての事件の経緯については、『ロマン・ポランスキー 初めての告白』(2012)というドキュメンタリー映画での旧知のプロデューサーとの対話を通し、ポランスキーの視点からみていくことにしたい。

パリ生まれのポランスキーは、第2次世界大戦直前、父親の母国ポーランドに帰国した。

両親にはユダヤ人の血が流れており、それからの苦難は『戦場のピアニスト』(2002)に反映されている。

まず母(妊娠していたらしい)が、間もなく父も連行された。母は強制収容所でガス室行き、父とは生き別れとなったが、ポランスキー自身は父親の機転で逃げ、生き延びた。

戦後、共産国となったポーランドで映画の道に進んだものの、この国では文化省に脚本を提出し初めて製作許可が得られる。

『水の中のナイフ』は一度却下され、再提出でようやく製作できた作品だが、完成作は酷評を受けた。

しかし、ベネチア映画祭で批評家連盟賞を受賞するなど、世界的評価を受け、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされることになる。

その後、『反撥』『袋小路』などを経て、自身も出演する『吸血鬼』を撮るなか、出演者のシャロン・テートと恋仲になり結婚、そして、『ローズマリーの赤ちゃん』が、1968年夏、大ヒット、セレブの仲間入りをし、シャロンとのカップルは、理想の夫婦とたたえられるようになった。

事件の当日、ポランスキーはロンドンで、脚本を書いていた。
子供は米国で産みたかった。妊娠8か月のシャロンは飛行機に乗れず、ひとり先に船で米国に帰っていた。

電話が入った。「皆死んだ」という・・・

事件後、ゴシップ紙は、ひどいことをあれこれ書いた。記者会見でポランスキーは語った。

「事件の真相が明らかになれば恥じるだろう。多くの記者が自分の利益だけを考え、私を卑劣な言葉で非難し、妻の名誉を傷つけたことを」と。

捜査は難航した。証拠はあるのに、逮捕まで時間がかかった。

別件で拘留されていた「マンソン・ファミリー」のスーザン・アトキンスが、犯行への関与を別の拘留者に自慢げに話したのがきっかけで、ようやく犯人たちは逮捕された。

 事件から数日後、東海岸でウッドストックコンサートが行われ、「愛と平和の祭典」は成功した。

 新時代のウェスタン『ワイルドバンチ』『明日に向って撃て』、フリーセックスを描く『ボブ&キャロル&テッド&アリス』、そして『アリスのレストラン』・・・8月から9月にかけ、「New Hollywood」を代表する作品が次々と公開された。

 独立系がやってきたことをメジャーもやるようになり、才能を認めれば自由に撮影させる「監督の時代」が到来した。

 1970年4月のアカデミー賞では、(ウェスタンではなく)現代ニューヨークの片隅でもがく男たちの物語『真夜中のカーボーイ』(原題「Midnight Cowboy」)が、作品賞、監督賞など主要部門を獲得。

 その一方で、「正統派」ウェスタン『勇気ある追跡』で、ジョン・ウェインが初の主演男優賞を獲得。新旧「Cowboy」がアカデミー賞を席捲した。

(ちなみに「Midnight Cowboy」の邦題は「真夜中のカウボーイ」ではなく「真夜中のカーボーイ」である)

 翌1971年、「正統派」ヒーローを演じ続けてきたジョン・ウェインは、『11人のカウボーイ』で、珍しく、悪役のブルース・ダーンに殺され、ラストまで生きられない役柄を演じた。

「正統派」ウェスタンの時代は終わりつつあることを感じさせる作品だった。

 その一方で、1960年代型「カウンターカルチャー」も、70年代に入ると急激に勢いを失い、メインストリームへと合流していった。

『ロマン・ポランスキー 初めての告白』は語る。

「(それまでのハリウッドは)誰もが自由を謳歌し歓喜とお祭り騒ぎの日々。夕暮れ時にヒッピーが裸足で歩き回り、ドアにも鍵をかけなかった」

「(しかし)ハリウッドは(シャロンの事件の起きた)一夜で変わった。鍵をかけ、銃を携帯し、誰も信用しない(時代へと移っていくのである)」

 そんな時代の変化の象徴ともいえる事件がどう描かれたか、公開から間もない今、語ることは控えるが、「New Hollywood」にも、独立系B級映画にも、メジャー・スタジオの「普通の」ハリウッド映画にも、すべての先輩たちに愛を感じるタランティーノらしいものであることは伝えておこう。

 そして、事件がなければ、ポランスキーとシャロンは、ウディ・アレンとミア・ファロー、ダイアン・キートンのような名作を作り続けたかもしれない、とも思ってしまうのである・・・。

(本文おわり、次ページ以降は本文で紹介した映画についての紹介。映画の番号は第1回からの通し番号)

(1418)ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド (1419) 俺たちに明日はない (451) (再)イージー・ライダー

1418.ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド Once upon a time ... in Hollywood 2019年米国映画

(監督)クエンティン・タランティーノ
(出演)レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー

 1969年のハリウッドを舞台に、落ち目のアクション俳優とそのスタントダブルの物語を、マンソン・ファミリーによるシャロン・テート殺害事件の「Alternative History」にからめ描くタランティーノの映画愛あふれる一作。

1419.俺たちに明日はない Bonnie and Clyde 1967年米国映画

(監督)アーサー・ペン
(出演)ウォーレン・ベイティ、フェイ・ダナウェイ、ジーン・ハックマン

 1930年代実在した銀行強盗「ボニーとクライド」の物語を、クライド役のベイティが製作も兼ね、すでに『奇跡の人』(1962)などで知られていたアーサー・ペンが斬新な描写を用い監督、「New Hollywood」(日本では「アメリカン・ニューシネマ」と呼ぶ)の大きな流れを作った一作。

(再)451.イージー・ライダー(イージー☆ライダー) Easy rider 1969年米国映画

(監督・出演)デニス・ホッパー
(出演)ピーター・フォンダ、ジャック・ニコルソン

 ハーレーダビッドソンにまたがりロサンゼルスから東へと向かう長髪の若者2人が、途中酔いどれ弁護士を加えた自由を体現する旅で直面する厳しい現実を描いたロードムービー。

 バックに流れるステッペン・ウルフの「ワイルドでいこう」やロジャー・マッギンの「イージー・ライダーのバラード」といったロックの名曲も聴きもの。映画のメッセージの一部ともなっている。

筆者:竹野 敏貴