ラグビーW杯が迫ってきた。2002年日韓共催W杯を思い出す。単独開催と共催と。17年前と今回とで背景はずいぶん異なるが、多くの外国人ファンをお迎えすることに変わりはない。

 共催だった17年前は、韓国と比較することができた。大会期間中、両国を行ったり来たりしていると、そのつもりがなくても、知らず知らずのうちに両国を比較していた。

 日本と韓国。サッカーそのものにも大きな開きがあったが、それ以上に実感したのはホスピタリティだ。劣っていたのはズバリ日本。

 これには自分でもビックリした。ボランティア、警官や警備員を含めたスタッフの対応、そして一番酷かったのは案内表示だった。総じて分かりにくく、優しくなかった。日本語が読めるのに分かりにくい。韓国ではハングルが読めないのに分かりやすかった。その差はあまりにも明白だった。

 大会後、その話をすると多くの人は驚いた。僕自身がなにより驚いたので、当然といえば当然の反応になるが、そこに日本の問題を見た気がした。劣っているものを劣っているはずがないと思い込んでいる。何の疑いもなく大きな勘違いをしている。なぜこういうことになってしまうのか。

 ホスピタリティ。人をお迎えする精神を持ち合わせているか、いないかといえば、日本人はいる方に属するはずだ。外国からの旅行者を暖かく迎える気質の高い国だと思う。しかし、多くの人が殺到するスポーツイベントの現場ではどうだろうか。日本の空港に降り立った瞬間から、スタジアムで自分の席に着席するまでに限ると、話は変わる。民間人のホスピタリティ、滝川クリステル氏が言うところの「お・も・て・な・し」が、活かされる瞬間というのは思いのほか少ない。おもてなしを組織的に追求する概念に欠けていたのだ。17年前の日本はそこに大きな油断があった。

 その4年前、1998年の長野五輪の現場でも似たようなことは起きていた。しかし、それが教訓として2002年に活かされることはなかった。今回はどうなのか。その流れは来年の東京五輪に引き継がれることになる。

 日本語を解読できない旅行者目線にどこまで立てるか。新宿駅や渋谷駅、東京駅や上野駅の構造を理解することは、日本語が読める日本人、たとえば地方から東京に出て来た人にとっても難しい。案内表示は以前に比べればだいぶマシになっているが、相変わらず外国人には難解だ。分かる人にしか分からない、優しくないものになっている。

 スタジアムの周辺も、概念は駅や空港と同じだ。案内表示が分かりにくいと混乱を誘う。ラグビーW杯はともかく来年の東京五輪は炎天下で行われる。スタジアム周辺を右往左往させられれば、それこそ熱射病で倒れてしまう。それは少し誇張して言えば、生命線でもあるのだ。

 先日、成田空港は台風15号の影響をもろに受け、交通網が遮断されたことで、1万人を超える人が足止めを食らった。構内は人で溢れパニックに陥ったと言う。聞けば、状況を伝える適切なアナウンスはなかったそうだ。特に困ったのは外国人観光客だ。何が起きているのか、理解できなかった人が大半だったと思われる。

 空の玄関口と呼ばれる空港で、おもてなしの精神は機能していなかったことを意味する。空港というまさにホスピタリティの発揮しどころで起きたパニックは大いに恥じる必要があるのだ。

 問われているのは、民間人一人ひとりが発揮する「お・も・て・な・し」とは別種のものだ。繰り返すが、スタジアムは空港と共通項が多い場所だ。スポーツの現場に求められるホスピタリティも、これと同じ種類のものになる。それが組織的に機能する必要がある。大観衆をどのように誘導し、どのように捌くか。