今年8月15日の韓国「光復節」で、安倍首相を非難するスローガンを掲げる参加者(写真:AP/アフロ)

日韓関係は戦後最悪ともいえるレベルまで悪化している。

徴用工判決や「和解・癒やし財団」の解散という歴史問題から、韓国に対する輸出規制、軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄まで、対立は経済や安全保障の分野まで広がった。

北東アジアの秩序を大きく変える韓国

文在寅大統領が指名した法相候補のスキャンダルなど韓国内政の混乱も加わって、日本国内では韓国報道がエンターテインメント化し、韓国を嘲笑の対象とするような次元の低い内容がもてはやされている。

しかし、韓国政府の一連の対応は興味本位で取り上げるようなレベルを超えている。それは米韓の軍事同盟と1965年の日韓基本条約合意で作られた、北東アジアの安全保障秩序を大きく変えてしまう可能性さえ持っているのだ。

法相候補のスキャンダルが報道されているころ、あまり注目されなかったが文大統領が驚くような発言をした。8月29日の閣議で文大統領は日本に対し、「一度、反省を言ったので反省は終わったとか、一度、合意したからと言って過去の問題がすべて過ぎ去ったとして終わらせることはできない」「過去の過ちを認めず、反省もせずに歴史を歪曲する日本政府の態度が被害者たちの傷と痛みをこじらせている」と述べたのだ。

日本と韓国の間では、2015年の従軍慰安婦問題についての合意など数多くの合意がある。また、歴代の日本の首相は植民地支配について反省や謝罪を繰り返し表明してきた。

ところが、文大統領はこれら日本の政府や首相の公式な発言や政府間の合意の価値を全面的に否定したのである。そればかりか「過去の過ちを認めず、反省もせずに歴史を歪曲する日本政府」という誤った認識も披歴している。

反日感情が高まっている韓国国民に向けた政治的な発言なのかもしれないが、一国のトップが外交の意味を全面的に否定するというのは、ありえないことである。これが文大統領の本音であるならば、日韓関係の改善にまったく取り組む考えのないことを示している。

一連の日韓対立の起爆剤となった昨年10月の元徴用工に対する大法院判決は、日本の植民地支配は違法であるという前提に立っている。そして1965年に日韓政府が合意した日韓基本条約や請求権協定は、植民地支配が違法であるという立場に立っていないため、韓国憲法に反しており、元徴用工の賠償請求は条約や協定の枠外であって慰謝料は認められるという主張をしている。

文大統領はなぜ日韓基本条約を否定するのか

日本政府はこの判決が請求権協定を無視した国際法違反の内容であると批判し、韓国政府に対して日本企業に被害が及ばないよう求めている。しかし、文大統領は判決を尊重するとして日本側の要求にまったく応じようとしていない。外交的合意の意味を否定した文大統領の発言は、すでに実践されているのである。

日韓基本条約や請求権協定は韓国の経済成長を重視した朴正煕大統領時代に合意された。ところが韓国の民主化運動に携わった文大統領にとって、軍事独裁体制だった朴大統領は全面的に否定すべき対象である。請求権協定を軽視している理由もそこにある。

破棄の規定があったGSOMIAと違って、戦後処理や国交正常化などを目的とする平和条約や領土画定条約のような重要な条約は、一般的に終了や破棄の規定はなく、国際法的にも一方的な終了は認められない。日韓基本条約や請求権協定はこうした重要な条約に該当し、文大統領がいくら気に入らなくても、一方的に破棄することはできない。

しかし、条約を破棄しないことと、条約を守るかどうかは別問題である。文大統領の対応は明らかに協定違反であり、それが原因となって日韓対立があらゆる分野に広がっている。

日韓基本条約をはじめとする日韓関係は、主に韓国内の保守派政権によって形作られてきた。ところが、保守派と対立する進歩派の文大統領にとって、内政外交すべてにわたって保守派の遺産は否定の対象でしかない。日韓関係の外交的遺産も例外ではない。文大統領がこのまま日韓基本条約や請求権協定の価値を否定し続ければ、「1965体制」は危機に直面することになるだろう。

そして、同じことが米韓同盟にも起きている。

韓国政府は、事前にアメリカと十分な調整もないままGSOMIA破棄に踏み切った。アメリカが批判するのは当然のことで、国務省や国防省の幹部らが次々と「深い懸念と失望」「無責任」などという言葉で不満を表明した。8月下旬に行った竹島での訓練についても、「役に立つ訓練ではない」「日韓関係を悪化させるだけだ」と批判している。

米韓同盟に否定的な姿勢を見せる文政権

ところが、韓国政府はアメリカの批判に猛反発。外交部次官は駐韓アメリカ大使を呼びつけて「自制」を要求した。韓国政府内からは「重要な同盟関係であっても韓国の国益よりも優先することはできない」と、米韓同盟よりGSOMIA破棄のほうが優先されるという発言まで飛び出している。

さらに、韓国政府はすでに合意している在韓米軍基地の返還を急ぐようアメリカに要求しているのだ。まるで「アメリカは余計なことに口をはさむな」と言わんばかりの姿勢である。

しかし、文在寅政権の米韓同盟に対する消極的、否定的な姿勢は、急に表面化したわけではなく、政権発足当初からあった。朴槿恵政権時代にアメリカが要求した韓国内へのTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)の配備を受け入れると、これに批判的な中国が韓国を相手に猛烈な不買運動などを展開し、韓国は経済的に大きなダメージを被った。

これを受けて文政権の康京和外相は、2017年に中国の求めに応じ「THAADの追加配備はしない」「日米韓三国同盟は結成しない」などという方針を打ち出した。

日米韓同盟より中国との関係を重視する姿勢を明らかにしたのだった。また、日本やアメリカが積極的に打ち出している「インド太平洋戦略」についても、韓国政府は参加する意思のないことを表明している。

日本から見ると、北朝鮮の核やミサイル、さらには中国の圧倒的な軍事力と向き合っている韓国が、アメリカや日本と同盟関係を組むのは当たり前だろうと考えるが、文大統領はそうではないのだ。

韓国の歴史を振り返ると、米韓同盟も文大統領と敵対する韓国の保守派政権がつくり、維持してきた秩序である。冷戦状態を前提に韓国がアメリカや日本と手を握り、北朝鮮や中国、ロシアと向き合う。これが長く続いてきた北東アジアの安保秩序だった。

朴正煕大統領やその後継の全斗煥大統領時代に、民主化を求めて体制を批判し、激しい弾圧を受けてきた進歩派は、保守派の作り上げてきた歴史を認めることはできない。進歩派はアメリカによって南北が分断され、アメリカによって韓国が支配されてきたと考えている。

揺らぐ「1965体制」と米韓同盟

現在の韓国政府は、文大統領を筆頭に、進歩派を代表する元活動家たちで構成されている。彼らにとっては米韓同盟も日韓国交正常化も保守派の産物であり、否定の対象となっている。

彼らもさすがに歴史を書き換えることはできないが、保守派が作り上げ、今も残っている制度や仕組みを否定することはできる。もちろん直ちに日韓基本条約を破棄することも、在韓米軍を撤退させることもありえない。しかし、現実に起きていることは、これまで当たり前だった「1965体制」の揺らぎであり、米韓同盟関係の弱体化である。

韓国が日米と距離を置き、この地域でアメリカの影響力が低下していくと、安全保障のみならずさまざまな分野で北東アジア地域が不安定な状況に陥り、日本も巻き込まれてしまう。韓国では来年4月に総選挙を控えていることもあって、文政権のこの流れを方向転換させることは難しいだろう。

つまり、日本も大きな危機の可能性に直面しているのであり、韓国の政治の混乱を揶揄し、喜んでいる場合ではないのである。こうした状況を打開し危機を回避するには首脳会談を繰り返すしかない。面と向かって口論になってもいいから、とにかく首脳が直接会って相手の考えていることを把握し、溝を少しでも埋めていく努力をすることが不可欠だろう。