個人競技と団体競技の違いはあるとはいえ、サッカー選手にはそれがない。招集されれば、参加しなければならない。日本代表に招集された選手が、怪我をしているわけでもないのにそれ辞退したという話は、外国ではともかく、日本ではまず聞かない。世の中には招集を断れないムードが蔓延している。断れば、ネット上で非国民などと呼ばれかねない陰湿な風土も輪を掛ける。

 遠慮や配慮の効かない代表監督が生まれやすい環境が、日本には出来上がっている。
「とりあえず手元に置いて見てみたい」とは、ザッケローニやハリルホジッチが、招集する際に、常套句のように使っていた言葉だ。必ず起用するわけではない。それは手元に置いて見て、もし印象が悪ければ、起用しないことだってあると言っているも同然だ。監督が選手に対して圧倒的に優位な立場にあることを証明する言葉に聞こえる。

 そう言われてしまった選手は、所属クラブを離れ帰国の途に就かなければならない。それでも、喜んで参加する選手もいるだろうが、ありがた迷惑に思っている選手もいるはずだ。

 使うかどうか決まっていない選手は呼ぶなと言いたくなる。手元に置いて見るという行為、言い回しに傲慢さを感じる。その間に所属チームでスタメンの座を奪われても保証してくれる人は誰もいない。怪我をした場合もしかり。代表監督と選手は、かなり一方的な関係で結ばれている。選手は代表チームと理不尽な雇用関係(?)で結ばれている。

 招集した選手はできるだけ多く使う。これが、代表監督の選手に対するあるべき姿勢だ。最低限の礼儀と言ってもいい。したがって、親善試合で交代枠を使い切らなかったり、タイミングが遅かったりする代表監督をこちらは見過ごすわけにはいかない。「手元に置いて見る」行為を放置するわけに行かないのだ。

 日本代表監督は代表選手一人ひとりを、もっと丁寧に扱うべき。欧州までの距離が、他国に比べて遠い日本の場合はとりわけだ。久保を日本の至宝というのであれば、招集には慎重さが求められる。W杯アジア2次予選を勝ち抜くために、久保は欠かせない人材ではまったくない。客寄せパンダとしては欠かせないかもしれないが。いまは呼ぶべきでないと森保監督に対し、声を大にして意見したくなる。