菅義偉官房長官を問い詰める姿が注目を集める東京新聞・望月衣塑子記者。著書『新聞記者』(角川新書)は同名映画の原案ともなった。そんな望月記者は日本の「記者クラブ」について、「菅官房長官の会見では同調圧力を感じた。権力とメディアとのあるべき緊張関係が、記者クラブ制度で失われている」と指摘する--。

※本稿は、望月衣塑子、前川喜平、マーティン・ファクラー『同調圧力』(角川新書)の第1章「記者の同調圧力」の一部を再編集したものです。

写真=時事通信フォト
2019年8月15日、記者会見する菅官房長官 - 写真=時事通信フォト

■「この記者はおかしい」というレッテル貼り

新聞記者の世界に同調圧力はあるだろうか。

私は他社に先駆けてニュースを取るべく夜討ち朝駆けを繰り返してきた。抜くか、抜かれるか。そんな世界だから、同調圧力とは無縁だった。

2017年6月から、私は菅官房長官の会見に出席するようになった。通常は新聞社やテレビ局の政治部に所属する記者たちが出席する会見のため、他部の記者が出席することはあまりない。ただ、東京新聞は部の垣根が比較的低い。

出席してみると、記者会見なのにとても静かだ。パソコンのキーを打ち込むカシャカシャという音だけが響く。

私はいくつも質問を投げかけた。納得のいくような回答はなかなか出てこなかったが、当時の菅官房長官は、慎重に言葉を選びつつ、できるだけ自分で考えながら返答しようとしていたように思う。

しかしその後、きちんと答えなくなった。各省庁に丸投げするだけでなく、北朝鮮のミサイル問題について聞くと、

「金委員長に聞いてください」

と木で鼻をくくったような回答をしてきたこともあった。

「事実に基づいて聞いてください」「ここはあなたの質問に答える場じゃない」という決まり文句も増えた。「この記者はおかしい」というレッテルを貼ろうとする意図を感じざるを得なかった。

■会見を覆う「無言の圧力」の正体

記者として私がやるべき仕事はシンプルだ。取材し、聞くべきことを菅官房長官に淡々と聞く。記者の仕事は、権力者の意図をニュースに仕立てて伝えることではなく、権力側が隠したい、隠そうとしている事実を明るみに出すことだ。過去も現在も未来も何も変わらない。

なぜ活発にならないのか。会見を覆う静かな圧力の正体は何か。ひとつは会見後、菅官房長官を囲んだ取材(オフレコの懇談=オフ懇)を行うため、会見の場で侃々諤々(かんかんがくがく)やってしまうと差し障ってしまうことだろう。どうしても同調圧力が生じてしまう。

それはわかるが、静かな会見を見ていると、やはり日本独特の記者クラブ、番記者という制度について向き合わざるを得ない。記者クラブについては後で改めて考察したい。

会見の異分子となってしまった私であっても、無言の圧力が顕在化しているという事実に向き合わざるを得ない出来事が起きた。

■「クラブ側の知る権利が阻害される」

神奈川新聞が2019年2月21日、「忖度による自壊の構図」「質問制限 削られた記事『8行』」というニュースを報じた。書いたのは、田崎基記者だ。

田崎記者は、共同通信の官邸の文書に対する大型記事のなかで、削られた部分があったと切り込み、分析していた。

共同通信という会社は、日本最大のニュースの配信会社で、24時間体制で世界中からニュースを送り出している。地方のメディアだけではなく、NHKをはじめ、都内の新聞社も加盟しているところが多い。東京新聞も共同通信に加盟している。共同通信からの配信は、編集局に放送で流れてくる。すでに配信したニュースの一部を削除したり修正することはままある。

しかし、このときは通常の修正ではない、看過できないと、田崎記者は記事にしてくれた。

以下、田崎記者の記事を要約する。

2月18日に共同通信が各加盟社に対し、いったん配信した記事の一部を削除すると通知してきた。その記事は、官邸側が私の質問に対して制限をかけようとしてきたことに対し、さまざまな反対の声が上がっていることを紹介する内容だった。年末に、官邸から記者クラブへ申し入れ書が出された経緯や、その後に報道関連団体から出された抗議声明、識者の見解などを紹介する記事の終盤に差し掛かる以下の段落の記述が削除されたという。

〈メディア側はどう受け止めたのか。官邸記者クラブのある全国紙記者は「望月さん(東京新聞記者)が知る権利を行使すれば、クラブ側の知る権利が阻害される。官邸側が機嫌を損ね、取材に応じる機会が減っている」と困惑する〉

さらに共同通信は削除理由について、こう記していたという。

〈全国紙記者の発言が官邸記者クラブの意見を代表していると誤読されないための削除です〉

■記者が政治家を忖度することで失われるもの

この共同通信の削除に対し、田崎記者は、

「特に今回の記事は、権力と報道という緊張関係について指摘する内容であり、かつその核心部が削られた」

と指摘。そこには田崎記者の問題意識が詰まっている。

私がほかの記者に歓迎されていないことは明らかだ。私の取材によって「クラブ側の知る権利が阻害される」と同業の記者が言ってしまっている。

田崎記者はこうまとめている。

会見の場で質問を遮る妨害、さらには記者クラブに対し要請文をもってかける圧力。権力者によってこれほどあからさまに私たちの報道の自由が抑圧されたことが戦後あっただろうか。
「権力は常に暴走し、自由や権利を蹂躙する」という歴史的経験を忘れてはならない。
次なる闇は、その片棒を報道の側が担ぎ始めるという忖度による自壊の構図だ。その象徴は、削られた8行に込められていた。

この一件をもって、会見場でのやり取りは、権力者の問題だけではない、一人ひとりの記者がメディアと権力の関係をどう考えるかという大きな問題なのだと感じるようになった。

記者たちが政治家の顔色をうかがいながら接するようになれば、結果的に「国民の知る権利のため」という大きな役割を放棄することになる。

■「記者クラブ」制度の問題点

日本には記者クラブという独特の制度がある。報道に携わっていない方にはわかりにくいこの制度を簡単に紹介したい。

記者クラブは、国内の新聞社やテレビ局などで構成され、中央省庁や国会・政党、業界・経済団体、各地方自治体や警察本部などそれぞれについて、およそ全国に800程あるといわれる。私が現在、出席している官房長官会見は内閣記者会が主催している。多くのクラブでは、事務連絡や会見の司会などの「幹事業務」を加盟各社が輪番で務めている。

双方にとってメリットがあるからこそ続いている制度なのだが、半面、問題点も長く指摘されてきた。

まず、記者クラブに加盟していないメディアが定例会見に参加する際には、クラブ側の了解がなければ参加できず、参加できても質問できないなどのハードルがある。

民主党政権時にはその閉鎖性が問題視され、加盟社以外の媒体の記者やフリーランスなども参加できるよう、記者会見のオープン化が進んだ。

自民党の政権復帰後もフリーランスが参加できる会見は増えているという。だが、クラブ員以外の記者が乗り込んで活発に質問する会見は減っている。

さらに官房長官会見については、ネットメディアのなかでは民主党時代から参加しているニコニコ動画は常時参加できているが、他のネットメディアは認められていない。そのため、官邸会見は、閉鎖的・排他的との批判が根強い。

■「国民と対話している」意識が感じられない

これまで記者として、記者クラブ制度の恩恵を受けてきたが、どの記者クラブにも属さなくなってからは、この制度の問題点を感じるようになった。権力とメディアとのあるべき緊張関係が、記者クラブ制度の中の番記者制度によってなくなってはいないか。知る権利を守るべき記者たちが、権力側に都合のいいように使われてはいないか?

そういった危機感をより強く感じるようになったのが、2017年から出続けている菅官房長官の会見だ。

「カミソリ」の異名をもった後藤田正晴官房長官の番記者を1986年から1987年まで務めた元北海道新聞記者の佐藤正人さんから話を聞いた。

後藤田氏の会見ではクラブ員であれば、官房長官番の記者だけに限らず、だれもが自由に質問していたそうだ。時に厳しい質問があっても、後藤田氏はその場で臨機応変に対応し、自分の言葉で答弁した。

国家を代表して国民と対話しているという意識が後藤田さんにはあった。それが品格ある会見になっていた。

アメリカのホワイトハウスの会見は、参加メディアの制限はあるが、新興メディアも自由に質問している。トランプ大統領は1日あたり1、2回の記者のぶら下がりに応じている。もちろん、事前質問は一切ない。一方、安倍晋三首相の官邸会見は年に4回程度。受け付ける質問は毎回5問程度しかない。説明責任を果たしているとは決していえない状況だ。

■「慰安婦」の表現を変えたジャパンタイムズ

2017年10月に刊行した『新聞記者』(角川新書)では、記者会見場で後押しする記者が少しだがいる、と書いた。そのうちの一人、ジャパンタイムズの名物編集委員の吉田玲滋さんは2017年9月ごろから会見場に来なくなった。ジャパンタイムズの親会社が2017年6月に変わったことと無縁ではないと思っていた。

その予想をはるかに超える記事が、2019年1月25日にロイター通信から配信された。

「焦点:『慰安婦』など表記変更 ジャパンタイムズで何が起きたか」だ。私はこれを読み、衝撃を受けた。

そこにはこのように記されていた。

今後、ジャパンタイムズは徴用工を「forced laborers(強制された労働者)」ではなく「戦時中の労働者(wartime laborers)」と表現する。慰安婦については「日本の軍隊に性行為の提供を強制された女性たち(women who were forced to provide sex for Japanese troops)」としてきた説明を変え、「意思に反してそうした者も含め、戦時中の娼館で日本兵に性行為を提供するために働いた女性たち(women who worked in wartime brothels,including those who did so against their will, to provide sex to Japanese soldiers)」との表現にする。
こうした編集上層部の決定に、それまでの同紙のリベラルな論調を是としてきた記者たちは猛反発した。
(中略)
安倍晋三政権に批判的だったコラムニストの記事の定期掲載をやめてから、安倍首相との単独会見が実現し、「政府系の広告はドカッと増えている」と編集企画スタッフが発言すると、「それはジャーナリズム的には致命的だ」との声も。翌日に開かれた同社のオーナーである末松弥奈子会長とのミーティングでは、発言の途中で感情的になって泣き出す記者もいるほどだった。

■新聞社の仕事は「権力の広報」ではない

このような事態が起きていたとは、私の想像をはるかに超えていた。会社側は記者たちにこれまで積み上げてきた価値観を捨てろといっているのだ。

望月衣塑子、前川喜平、マーティン・ファクラー『同調圧力』(角川新書)

ロイターの記事は、普段わりと淡々と事実を書いている印象だが、この記事は臨場感と危機感にあふれている。ロイターの記者たちも同業者としてとんでもないことが起きている、世の人々に伝えなければと思ったのではないか。ロイターの記事によれば、この変節は部数と広告の低迷が背景にあるといっている。権力に批判的な記事を載せることが本当に部数減の要因だろうか。

新聞社の仕事は権力のチェックであり、広報ではない。ニューヨーク・タイムズは今、電子版の部数が伸び、空前の黄金期だという。なぜなのか。そこにしかない情報があるから、読者はお金を払ってでも読みたい、と思うのだ。今、記者に求められていることは何か。そんなことを改めて考えさせられている。

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望月 衣塑子(もちづき・いそこ)
東京新聞社会部 記者
1975年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、東京・中日新聞社に入社。経済部などを経て社会部の遊軍記者となる。森友学園・加計学園問題以降、菅内閣官房長官への鋭い質問が注目される。近著は『新聞記者』。2児の母。
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(東京新聞社会部 記者 望月 衣塑子)