就労支援センターにSOSをだして、職員の適切な行動によって命が助かったという西田さん(編集部撮影)

この連載では、女性、とくに単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。

今回紹介するのは、「生活保護受給者の30代独身女性です。私も声を上げることで、何かの力になれないかと思い、送らせて頂きました」と編集部にメールをくれた33歳の女性だ。

鬱病の症状が悪化して入院

西田朋美さん(仮名、33歳)からメールをもらって、彼女の住んでいる神奈川県のある駅前にきた。西田さんは2年前から生活保護を受給、この駅から徒歩圏のアパートで一人暮らし。古い木造住宅で、家賃は住宅扶助の上限よりだいぶ安い。月3万8000円という。

「先月、鬱病の症状が悪化して入院をしたんです。死のうと思っていたのに、いろいろ人に助けられ、退院してからすごく元気になりました。先週、新しく仕事も見つかりました。記事を読んでいると、貧困に苦しんでいる女性たちには本当に苦しそう。でも、お金がないからって絶望しなくていいし、大丈夫だよって。そう、伝えたいんです」


鬱病が悪化して、生活保護になった。この2年間は、月8万円弱の生活扶助で日々の生活をするが、どうしてもお金のやりくりが苦手だった。必要のない洋服や小物などを買ってしまって、お金を使いすぎてしまう。

いつもギリギリだったが、先月、月の半分もいかないうちにお金がなくなった。電車賃すらなくなって、食べるものをなにも買えなくなった。そのとき、絶望感に襲われて強く死にたいと思ったという。

「本当に死のうと思って、さあって直前に就労支援センターに電話したんです。すぐに駆けつけてくれて精神科の病院に連れていってくれた。手首の動脈を切ろうって決意して、切る直前でした。死なないで済みました。あぶなかった。それで入院して退院して、元気になって仕事が見つかった。再来月には生活保護から抜けることができそうです」

笑顔だった。退院後、希望が見えたようだ。生活保護受給になって、生涯、弱者として生きなければならないと絶望していたが、希死念慮をきっかけに就労支援施設のスタッフに支えられた。支えてくれる人の存在を知ることで、「自分は生きてもいい」と思えるようになったという。

死にたくなる希死念慮は鬱病の症状だ。自殺行為をしてしまって、本当に死んでしまう人も多い。西田さんにとって先月の自殺願望は大きな出来事だった。そのときの状況を詳しく聞く。

「お金がなくなって、もう死にたいと思いました。こんな人生いやだ、なんでこんなに苦しいんだ、もう死にたいって。私の人生、いつもお金がないことで苦しくなる。本当に苦しいことばっかりだって思ったんです。子どもの頃から一時期は回復したけど、ずっと病気があって人生が苦しかった。ずっと、自分ばっかりが苦しいって」

死のうと決意して、小さな包丁を持って洗面所にいった。水を出しっぱなしにして、手首の動脈を探して思いっきり切ろうとした。

就労支援センターにSOSをだした

「いま思いだしても、最初は本気で切ろうと思ってました。でも水がジャージャー流れているのをみながら、ちょっとだけ、いまおかしいんじゃないかって気持ちが芽生えた。いったん思考をストップして、落ち着こうって、就労支援センターに電話したんです」

平日の夕方だった。電話には職員がすぐにでた。西田さんは電話に出た相談員に「いま、死のうと思って包丁を持って洗面所の前にいます」と、そのままの状況を伝えた。

「その相談員さんは、もう、それはあぶないからすぐに病院に行きましょうって。家まで来てくれた。それで、病院に同行してくださった。診察されて、先生から入院したほうがいいって、即入院になりました。対応してくれた相談員さんがたまたま福祉歴が長くて、希死念慮があぶないって知っている方だったんです。本当に死んだ人も何にもいるって言っていました」

希死念慮は本当に死にたいけど、本当は死にたくない複雑な状態という。まだ、1カ月前の出来事なので記憶が鮮明にあった。

「どう死ぬのが一番きれいに死ねるか、みたいなことは鬱病になってから常日頃考えていました。希死念慮がはじまると、いつも手首を切る自分の姿が浮かぶ。浅はかな考えだけど、自殺するなら手首を切るって思っていました。あのときは自分には存在価値がない、そんなことを強く思っていた。だから死にたかった」

西田さんは就労支援センターにSOSをだした。そして、職員の適切な行動によって助かっている。彼女の命をつないだのは、人とのつながりだったといえる。

貧困は経済的貧困だけではない。人間関係を失う状態に陥る「関係性の貧困」がある。関係性の貧困は虐待、不登校、引きこもりなどで、家庭や学校、社会に居場所がない人々が陥りがちだ。経済的な貧困と関係性の貧困が合併すると、深刻な貧困状態に陥って命を失いうこともある。それが現代の貧困である。

彼女は生活保護になっても、通っていた就労支援センターに居場所があった。身近な人に電話でSOSの言葉を伝えただけで、自死を思いとどまり、治療する方向にむかった。

入院中、担当医を筆頭に、看護師やソーシャルワーカー、就労支援センターの職員たちが、状態が悪化した西田さんを支えた。すごく感謝をしていることが伝わる。

生活保護まで落ちてしまって、ずっと自分には存在価値がないと思っていました。でも、そんな私のためにみんなが一生懸命動いてくれて、考えてくれた。入院しながら自分1人ではない環境があるってことに気づいて、だんだんと考えが変わったんです」

病院では服薬をしながらゆっくりと過ごした。彼女は就労支援センターでは最も優秀な利用者のようで、退院して就職活動を勧められた。先日、面接があり、ある企業の障がい者枠で採用が決まった。

10歳のときに両親は離婚

いま、駅前のカラオケボックスで話を聞いている。両隣から学校帰りの高校生たちが盛り上がる声が漏れてくる。テンションが高い。ここだけでなく、駅前や駅ビルには髪の毛をブリーチして化粧、短いスカートの女子高生がたくさんいた。男子も髪型を決め、制服を着崩している。東京から電車で1時間ほど、若者たちの雰囲気は東京とはまったく違った。

西田さんは子どもの頃から、この街で育っている。母親も近くに住んでいる。「子どもの頃から人生が苦しかった」という。10歳のときに両親は離婚。シングル家庭になって、母親は離婚をきっかけに福祉の仕事をはじめた。現在はケアマネジャーを統括しているという。

「離婚後、小児不安神経症になってしまったんです。母親から離れることができなくなって、仕事を休ませたりしていました。ある日、母親が怒った。ちょっと来いって大きな声で呼ばれて、アイロンを持って私の腰を焼こうとしたことがあった。泣いて家を飛びだして、お友達のお母さんの家に逃げました。母親がちょっとでも離れると、もうそれだけで不安でパニックになるっていう。母親は、本当に迷惑だったと思います」

小児不安神経症とは「子どもが親と離れ離れになることを極度におそれる」疾患で、家のなかでは母親に四六時中ついて歩き、トイレまでついて行ったという。朝、仕事にでようとすると泣いて暴れた。小学校にも行けなくなり、不登校になった。

「学校に問題はなかったけど、大人がいる場所にいたかった。大人が近くにいないと不安になる。学校に行くのもこわくて、不安になってしまう。だから保健室に行って、保健の先生に甘えてたというか。小学校5年、6年は不登校。よく覚えているのは、駐車場で母親だけ買い物に行って、不安になってしまって窓開けて『お母さん! 』って大きな声で何度も何度も呼んだ。それは記憶に残っています。結局、児童養護施設に行くことになりました」

児童養護施設には職員がたくさんいる。不安になる症状はおさまった。高校時代に自宅に戻って、学校にも普通に通学した。無事に卒業した。医療系の専門学校に進学、学費はすべて奨学金を借りた。借りたお金は元金だけで600万円を超えた。

児童養護施設以降は平穏な日常を送っていたが、再び問題が起こったのは専門学校に進学し、スナックでアルバイトをはじめてから。時給1800円で週5日働き、月10万円ほどを稼ぐようになった。

「自分で働くようになってから金銭感覚が崩れました。必要なお金は払ってたけど、お洋服を買うようになったんです。服をすごく買うようになった。貯めたりとかすることなく、全部使う。1万円前後の服をバンバン買って、お金のことはまだ苦しんでいます」

働いたお金を全部使ってしまうのは誰でもある一般的なことだが、本当に苦しんでいるようだ。専門学校を卒業していくつかの仕事を転々として、アパレルメーカーで働くようになって再び買い物に拍車がかかった。

雇用はずっと非正規で、どんな仕事をしても月15万円程の収入しか得ることができない。クレジットカードを使うようになって、奨学金の返済と洋服の買い物で少しずつ赤字家計になった。つねに借金を抱えていたが、アパレルメーカーで社員割引など購買意欲をそそられる環境になって破綻までいく。

1年間で100万円以上の借金をつくった

「店員は服をいくらか買わなきゃいけなくて、また洋服を買う日々がはじまりました。本格的におかしくなったのはそこから、1年間くらいで100万円以上の借金をつくって、夜スナックとかでバイトしていても追いつかなくなった。母親にバレて、そのときは母親が借金を全部払ってくれました」

借金を肩代わりした母親に徹底的に怒られたが、それでも買い物癖は治らなかった。


クレジットカードで200万円くらいの借金を作っていしまい、自己破産をした(編集部撮影)

「またクレジットカードで200万円くらいの借金を作ってしまって自己破産です。アパレルの後にチェーン系の飲食店で働いたんですけど、連日の長時間労働で重い鬱病になってしまって、カラダが動かなくなった。収入がなくなって、もうどうにもならなくなって2年前に自己破産して生活保護です」

就労支援センターは精神障害や発達障害をなどを抱えている者が、さまざまなとレーニングを受けながら就労を目指す通所施設である。挨拶からビジネスマナー、接客、文書作成、パソコンなどのトレーニングメニューがある。障害の重さはそれぞれなので通所して自主的に学ばなければならない。

「週6日、毎日通ってSSTというソーシャルスキルトレーニングやエクセルの勉強をしました。3カ月前に一度企業に就職できたのですけど、上司にイジメられて辞めました。3週間くらいしか続かなくて、そのストレスでまた鬱病の状態が悪くなって希死念慮が再発した。お金もうまく管理できなくて、どうしても余計な買い物をしてしまう。先月はスピリチュアル系の指輪を買ってしまって、まあ5000円くらいですけど。それで月半ばまでお金がもたなかった。それで自殺しようみたいな感じになってしまいました」

生活保護は8万円弱の生活扶助に家賃補助、就労支援センターへの支払いは教育扶助がでている。8万円弱の金額で光熱費、通信費、衣料、食費などを賄わなければならない。最低限度の生活ができる金額であり、無駄使いをしてしまうと、最低限の生活もできなくなる。

生活保護だと1000円、2000円の無駄使いがダメージが大きく、彼女のように命を捨てようとまで発展してしまうこともあるのだ。

最も問題視されたのは「お金使い」

最も問題視されたのは「お金使い」だった。先日、就労支援センターのセンター長、病院に同行した相談員、生活支援センターのソーシャルワーカー、それに西田さんが集まってカンファレンスが行われた。


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「月のお金の用途をすべて書きだして、1つひとつを検証するみたいなことをしました。携帯を格安に変えようとか、コンビニ弁当ではなく自炊とか。モバイルWi-Fiは解約するとか。それと2000円以上の物を買うときは、必ず誰かに報告して許可をもらうとか。いろいろ心配してくれて、助言してもらって、私はまだ生きていていいんだって前向きな気持ちになれました。自己肯定感がでた、というか」

彼女は貧困で苦しむ女性に、諦めないで誰かに頼れば救われることもある、ということを伝えたがっていた。

「就労支援センターの方々に支援をされたことで、お金があろうとなかろうと、生きていればそれでいいのかな。そう思えるようになりました」

洋服の物欲はなくなった。あとは細かい無駄使いをなくすだけ。就職も決まって、もう少しで生活保護から抜けて普通の生活ができる。生きていいと気持ちがポジティブになってから、日々が充実しているようだった。

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