政界のプリンス・小泉進次郎氏の結婚報道がワイドショーをジャックした。小泉番として小泉家を長年取材してきた中山知子記者が裏側を明かした。
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■まな板の上のコイズミです

「一日の流れがまるでジェットコースターのようでした。結構、疲れがあります」(2019年8月10日、神奈川県横須賀市の納涼盆踊り大会で)

自民党の小泉進次郎衆議院議員が、令和元年最大級といわれる電撃婚を発表した。お相手が、フリーアナウンサー、滝川クリステルさんという、誰もが知る「大物」だったことに加え、18年1月からだという交際の間、マスコミに全くしっぽをつかませなかった究極の情報管理力に、われわれメディアも、脱帽するしかなかった。

首相官邸と横須賀市の小泉邸前で、2人で報道陣の取材に応じてから3日後。19年8月10日、地元・横須賀市にある小学校の納涼盆踊り大会に現れた進次郎氏は、人生の一大勝負(だったはず)をかけた「8.7」を振り返って、冒頭のように話した。

記者会見では堂々と振る舞っているように見えたが、「進次郎結婚」のニュースが、ゼロから一気にはじける衝撃の大きさは、発表する側の本人たちにも相当な勢いでぶつかってきたと想像できる。身重の妻への気遣いも含めて「疲れがある」という言葉に託したが、「疲れた」というコメントは進次郎氏からは、あまり聞いたことがない。発表までに、小泉家の家族会議や、関係各所への報告など段取りを水面下で踏んでいたことは、兄で俳優の小泉孝太郎氏が会見で言及している。「疲れがある」という言葉は、本音だったのだろう。

進次郎氏はこれまで、折に触れ報道陣の質問に応じるかたちで、自身の結婚観について語ってきた。政治家を輩出してきた小泉家の4代目。実際に子どもに政治家を継がせるかどうかは別として、結婚や跡継ぎへの期待は地元だけではなかった。全国を選挙で回っても「結婚は?」と声をかけられ、先月の参院選でもそう。結婚は避けては通れない問題でもあった。

しかも普通の政治家と違い、「政界のプリンス」の結婚だ。どこか、やじ馬的な視線が入った興味が注がれてきた。以前、女性に関するうわさがないことを揶揄するような報道があった際は、「ちょっと気をつければ『女っ気がない』、鼻の下を伸ばすと『女好き』と書かれる。もう、何を書いてもらってもいい。まな板の上のコイズミです」と、トホホな表情で語った。

■家の中まで議論したくない

当選回数が若いころは、結婚相手の「願望」も明かした。2013年3月、当時の少子化担当大臣の作業チームが、それまで子育て世代が優先されていた政策の支援を、婚活世代にも広げる方針となり、その感想を問われた。

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進次郎氏は「自分自身の立場を踏まえていえば、国会の中は出会いの場じゃないですから。出会いがあっても、僕は国会(議員同士の結婚)は嫌です。家の中まで議論したくないからね。でも、くっついている方も、けっこういますね。大変だなあ。僕はそれはないですね」。

当時から、相手は同業以外を望んでいたようだ。結婚会見では自身が身を置く政治の世界を「戦場」と語ったくらいだ。家庭が戦場の延長線上にあることは、避けたかったのだろう。

このときは同時に、メディアだけでなく、一般の国民からも動向をキャッチされる可能性があることに警戒感を隠さなかった。「みなさんの監視が、もう少し緩ければ楽なんですが……。今は大変です。ツイッターやフェイスブックもあり、一人一人がマスコミみたいな感じだから」と嘆き、「それ(メディアや大衆の監視)をどう、かいくぐって(結婚し)、少子化を堂々と語れる立場になれるか。これが、一番時間がかかるかもしれませんね」。

「時間がかかる」とした最後のフレーズは笑い交じりに話していたが、結果としてまさに監視をかいくぐり、6年前の言葉を「有言実行」した。

■編集部員も涙した、進次郎と育ての母

進次郎氏は1歳のとき、父の純一郎元首相が妻と離婚。その後は、純一郎氏の姉道子さん(故人)を「ママ」と呼んで過ごした。中学2年のとき、純一郎氏から「ママは私の姉だ」と明かされ、「うそ」「僕には本当の母親だよ」と返した当時の進次郎氏の言葉は、3年前に行われた道子さんのお別れの会で、純一郎氏が泣きながら披露した。そんな家庭環境も踏まえて、進次郎氏は「絶対に結婚、という価値観とか、考え方は正直私にはありませんでした」と話している。純一郎氏自身、「結婚のエネルギーを1とすると、離婚は10以上。私は二度と結婚しない」と公言。息子たちにも、結婚を急がせるようなプレッシャーは、かけていなかったのだ。

ただ、一方で「プリンス」の結婚の行方に注がれる「外野」の関心は、年を重ねるごとにどんどん高まっていった。進次郎氏は次第に、その板挟みになっていたようにも感じる。

近年は、結婚に関する質問には、神経質なほど「塩対応」だった。18年7月、「平成のうちに伴侶をという声があるが」という質問を受けた際は、「女性議員にもこういうことを聞くんですかね」と返し、答えなかった。おそらく、滝川さんとの交際が始まっていた時期ではないか。変化球のような質問だったが、どストレートに受け止めていたのだろうと、今となっては考える。

毎年、通常国会の召集日には本会議後に、一年の抱負などを語ってきたが、19年はそれがなかった。さきの臨時国会では、報道陣が待つのとは別の扉から出たこともあった。

進次郎氏は17年末に、月刊誌の企画で作家塩野七生さんと対談。政治家として成長するため、現状からの「脱皮」を強く勧められていた。18年の通常国会召集日には、18年のテーマを「脱皮」としたことに質問が及ぶと「今までうまくいっていることを続けていても、成長の限界は必ずやってくる。変えていくべきは変えていかないといけない」と話した。うがった見方になるが、結婚という高いハードルを越えることにも、踏ん切りをつけて動き出す。「脱皮」のススメは、そんなきっかけになったのかもしれない。

19年4月にインタビューをした際にも、「変化」に挑む思いを話していた。

現役引退した元マリナーズ、イチローさんのルーティンを引き合いに出し「現役時代、毎年バッティングフォームを変えていた。200本打てるのになぜいじるのか。200本がゴールではなく、もっと結果を出せるフォームがあるかもしれないという、あくなき探求心、向上心。これですよね」「僕も常に思っている。演説の仕方や言葉選び、政策分野を含めて、知らない自分を見てみたいし、自分がどこまでいけるか見てみたい。変化の先には、希望もあると思っている。今を続けることではなく、変わることに意味があるんです」。

今となっては、言葉と人生の変化がリンクしているように感じる。

■進次郎氏がどんな「イクメン」になるのか

永田町の関心は、進次郎氏がどんな「イクメン」になるのかに移っている。今の時期の発表は、滝川さんが安定期に入ったことを受けたもので、出産は年明けとみられる。例年1月になる通常国会の召集時期に、重なるかもしれない。そのとき、どんなポストについているかはわからないが、少なくとも現在担当している厚生労働部会長(18年10月に就任)は、子育て政策を語るうえで「ど真ん中」の立場だ。

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党厚生労働部会長として少子高齢化対策に奮闘する進次郎氏。 - 時事通信フォト=写真

これまで、今後の日本は「人生100年時代」になると訴え、少子高齢化に伴う社会保障制度改革も唱えた。18年末、妊娠中の女性が医療機関の外来を受診した際、自己負担金が増える「妊婦加算」への批判が拡大し、凍結に追い込まれたが「妊婦さんを社会全体で支えるメッセージが、誤ったかたちで届くことがないようにしたい」と苦言を呈した。「多様化してきた国民の生活一人一人の選択を支える社会をつくる」ために政治の役割があると訴えてきた。

自民党には19年6月、男性の育児休暇を義務化することを目指した議員連盟が設立された。男性の育休の取得率は女性に比べてかなり低く、そもそも社会の理解が得られていない現状を変えるため、政府に提言した流れもある。

ここは、子育てが人ごとから「自分ごと」になった進次郎氏にとって、自身が体現してみせることも、1つの選択肢ではないだろうか。今回の結婚報道でもわかったように、進次郎氏の言動が社会に与える影響力は、やはり大きい。OJTではないが「ど真ん中」にいる立場から、社会を変えるきっかけをつくる、またとないチャンスをつかんだのではないかとも思う。

(日刊スポーツ記者 中山 知子)