江戸時代には長寿指南本の『老人必要養草』が存在した(撮影/浅野剛)

写真拡大

 82才、84才、85才――これらは江戸の偉人たちの“享年”。上から順に、作家の滝沢馬琴、蘭学者の杉田玄白、儒学者の貝原益軒が亡くなった年齢を列挙したものだ。

【写真】84才まで生きた杉田玄白

 世界でも有数の長寿国となった現代日本に置き換えても、充分に長生きしたと感じられる年齢だろう。ましてや、栄養や衛生の状態が悪かった時代、これだけの長生きができた要因は何なのだろう。看護師として40年以上の臨床経験を持ちながら、「医療の歴史」を研究してきた中村節子さんが語る。

「戦争もなく、安定して長く続いた江戸時代は“健康長寿”を求める風潮があったうえ、出版文化が花開いたことで、健康や医療に関する本が多数執筆され、医学が大きく進歩した時代でした」

 特に江戸時代中期に活躍した伝説的名医である香月牛山(1656-1740)が書いた『老人必用養草(やしないぐさ)』には、現代にも通用する健康で長生きするためのヒントが多く詰まっているという。

◆松尾芭蕉も伊能忠敬も! 江戸時代は「ご隠居さん天国」

 そもそも、江戸時代に生きた人たちの寿命はどのくらいが平均だったのだろう。一般的に江戸時代の平均寿命は32〜44才とされているが、これには“マジック”が隠されているという。

「当時は新生児・乳児死亡率が高く、生まれてすぐ亡くなる子供が多かったことで数字としての平均寿命は短くなっています。一方で、幼少期を乗り越えた人は長寿になることも珍しくなかったのです」(医療ジャーナリスト)

 つまり、病気にかかることなく成人できれば、その先は現代に劣らないほど長生きできたということが真相なのだ。

 しかも、「長く生きたい」というモチベーションが高まったのも江戸時代だったという。

「戦乱の世が終わって訪れた平和な時代だったため、社会も安定し、人々の生活も落ち着いたものになった。民衆も常に死と隣り合わせだった戦国時代とは一変、観劇やお伊勢参りといったレジャーが誕生するなど、生きることが楽しめる時代に変わっていった。そんな中で、『人生を満喫するために最も大事なのは健康』だと人々が気づき、長生きの秘訣に関する研究も盛んになったのです」(中村さん・以下同)

 当時の状況は現代日本に非常に近しいものがある。中村さんが指摘する。

「戦争の時代が終わり、安定した世の中になった今の世は、江戸時代と状況が非常に似通っていると思います。江戸の世で健康長寿を成し遂げた人たちの暮らしぶりから学べることは非常に多いのです」

 高齢者の暮らしぶりも、重なる点が多い。江戸時代にはある一定の年齢になると家督や仕事を子供に譲り引退する「隠居」の制度があった。現代でいえば「セカンドライフ」、当時はいわゆる「ご隠居さん」。隠居制度は明治まで続くことになるが、悠々自適に暮らしたり、趣味や新たな事業を始めるなど、第二の人生への区切りとして機能していた。

 たとえば元禄期(江戸前期)に生きた松尾芭蕉は40才を前に隠居生活に入り、本格的に俳句を行うようになったとされる。『おくのほそ道』に代表されるその後の活躍ぶりはご存じの通り。死の直前まで旅を続けた。

 また、千葉県出身の伊能忠敬は50才で隠居、なんとそこから江戸へ出て天文学や測量法を学んだという。幕府の命で全国の沿岸を測量し、「大日本沿海輿地全図」を完成させるという大事業を成し遂げている。享年73の大往生だった。

 これらの人物は、まさに「生涯現役」を実現した。むろん年齢を経ても健康でなければ成し遂げられなかったはずだ。このような健康長寿が江戸の世に実現できていた背景には、医療の充実がある。

◆江戸時代の医療とは

「共通の教科書も検査機器もない時代ですが、当時の医師たちが病状を熱心に観察したり、意欲的に実験を積み重ねたりした記録は、現代の医学の基礎にもなっています。治療するというよりは、痛みを和らげるような民間療法が中心ではあったと考えられますが、それがのちに科学的裏付けをもって進歩していったのです」

 当時は「漢方医」という、今でいう内科医のような存在が地域ごとに存在し、病気やけが、そのほかの不調を診ていたという。

「診療科も分かれておらず、ひとりのお医者さんがすべての病気を網羅していた。だから、今より勉強も大変だったはずです。また、漢方というと中国のものをそのまま使っていると思うかもしれませんが、実は海外の知見をもとに江戸の医師たちが日本人の体質に合うようアレンジし、日本独自のものとして発展したのです」

 しかも江戸が発端となった医療や薬は当然のことながら、日本人に向けて作られたものだ。現代の世界的ビッグデータに基づいた医学や健康法が、しばしば日本人の体質に合わないのと違って、どれもわれわれの祖先が“体を張って”効果を証明してきた健康長寿の知恵である。

 そんな江戸の医師の中でも名医として伝えられるのが、前述した香月牛山だ。

「1656年に筑前遠賀郡植木町(現・福岡県直方市)で生まれた牛山は若い頃、貝原益軒に儒学を伝授された後、豊前中津藩の藩医である鶴原玄益に医学を学んだ大変な勉強家です。医師になったのは30才。豊前中津候である小笠原氏の侍医として14年間活躍したのち、京に上り、ほかの医者が治せなかった皇族の難病を治したことで、その名が一躍全国に広がりました」

 彼の23冊ある著書の中でも、高齢者の「食事」「常備薬」「性生活」までを指南した『老人必用養草』は現代にも通じる内容だという。

※女性セブン2019年9月5日号