【編集マツコの 週末には、映画を。Vol.21】「ドッグマン」

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こんにちは。ふだんは雑誌『オレンジページ』で料理ページを担当している編集マツコです。

たいていの映画館には、飲み物を入れるホルダーが各座席についてますよね。
あれって、左右どちらが自分の席のものか分かりにくくないですか? たま〜にだけど、両隣の人がホルダーを使っていて、「あ、俺のがない」っていう状況に(笑)。
声をかけたいけど、どちらの人が間違っているのか分からないし、感じが悪くならないように言い方を選ぶのも難しいんですよね。言った方がいいと思いつつ、そのまま何もしないことも。

こういうお人好しで優柔不断な行動が、結果的には取り返しのつかない結果を生むことになってしまったのが、今回紹介する『ドッグマン』の主人公です。
タイトルだけ聞くとハートウォーミングなストーリーを想像しますが、平凡な男がいつの間にか暴力の世界に堕ちていく、不条理でやるせないお話。
それでいて引き込まれてしまうのは、この物語が決して他人事ではない、誰でも陥ってしまう可能性のある状況を描くものだからかもしれません。

「じゃあどうすれば良かったんだろう」という出来事が、誰の人生にもあるのではないでしょうか。
このままではいけないと思いながらも、明日こそは、今度こそはと自分に言い聞かせて先延ばしにしてしまう。ダイエットじゃないですよ。
気づけばもう戻れない、取り返しのつかない状態になっている……。
「あのとき、こうしておけば」と後悔できればまだ良くて、後から思い返してみても、どこが分岐点だったのかが分からないケースはけっこうあるように思います。

この映画の主人公マルチェロ(マルチェロ・フォンテ)もそう。
イタリアの田舎町で犬のトリミングサロンを営む彼の人生は、ささやかながらも幸せと呼べるもの。
それが、暴力的な友人シモーネ(エドアルド・ペッシェ)の存在によって、じわじわと悪のメカニズムに巻き込まれてしまうのです。

思い通りにいかないとすぐに暴れるシモーネの行動は常軌を逸していて、その容貌もあいまって怪物的でさえあります。
なぜこんな友人と関係を続けているのかと思いますが、狭い町では慣れ親しんだ友人がいる一方、煩わしい人間関係も断ち切りにくいのでしょう。
こういう支配的な関係は、程度は違えど多くの人が悩む類のものだと思います。


人が堕ちていくストーリーに無性に魅力を感じてしまいます。
好きな小説があって。その中で、広告代理店勤務のエリート男性が不倫をきっかけにとことん堕落していくのですが、その堕ちっぷりがとてもすがすがしくって。
いつもビシッとスーツなりジャケットなりを着こなしていた人が、アニマル柄のスウェットを着てパンチパーマ(!)をかけて、女性のヒモとして生きていく……その姿がなんだか幸せそうにさえ感じられたんです。

マルチェロの場合は事情が違いますが、シモーネの脅しによって犯罪の世界へ足を踏み込んでしまう。
今までと違う世界のドアを開けてしまった彼の表情に、どこか解放感のようなものも感じられて……。
怖いもの見たさなのか、「こうはなるまい」という自分への戒めなのか、もしくは彼同様に何かを断ち切りたいのか分かりませんが、決して明るくはないストーリーになんだか浄化された気持ちになるんです。
それにしても、この世の果てみたいにうらぶれた町だなあ……。海沿いなのに荒野のような。
明るい昼間の場面が極端に少ないから、余計にそう感じるのかもしれません。


この映画にたくさん出てくる犬という存在は何を象徴しているんだろう。
飼い主とペットという主従関係は、シモーネとマルチェロのメタファーなのかな。

冒頭、マルチェロが自分よりもおそらく大きい、どう猛な犬を上手くあやしながら体を洗ってやるシーンがあります。
狂暴な存在に対して知恵や愛嬌でもって対応する、これはまさしくシモーネと対峙する際にマルチェロがとっていた方法。
支配されているようで、実はマルチェロがシモーネを上手に「飼っていた」のかもしれません。
後半、マルチェロとシモーネが暴力的にぶつかり合うシーンでは、大型犬たちがまるで猛獣を見るように2人を眺めているのが印象的でした。

以前紹介したイタリア映画『幸福なラザロ』もそうでしたが、このお話は実際にあった事件がベースになっているそう。
とはいえ『幸福な〜』と同じく、事実をそのまま伝えるというよりは、犬という存在を巧みに登場させながら寓話的なスタイルをとっています。
陽気なイメージのイタリアですが、映画となると、こういう不条理で決して明るくはない作品が多いんですよね。

小心者で穏やかな男がだんだんと変貌を遂げ、やがてもう戻れない場所にたどり着く。
その過程に背筋がゾクッとする、夏の終わりにぜひ見たい作品です。

「ドッグマン」 8月23日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開
配給:キノフィルムズ/木下グループ
©2018 Archimede srl - Le Pacte sas

【編集マツコの 週末には、映画を。】
年間150本以上を観賞する映画好きの料理編集者が、おすすめの映画を毎週1本紹介します。
文/編集部・小松正和

次回8/30(金)は「おしえて! ドクター・ルース」です。お楽しみに!