「毎日、心地よく暮らすことが理想だ」という人がいる。だが、脳科学者の茂木健一郎氏は「そうやってルーティンを繰り返し、決まった脳の回路ばかりを使っていると、脳だけでなく人生も固まってしまう」と指摘する――。

※本稿は、茂木健一郎『ど忘れをチャンスに変える思い出す力』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。

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■長期記憶とIQの高さは関係ない

記憶には、「長期記憶」と「短期記憶」の二種類があります。

前者は、海馬を使って形成される記憶で、文字どおり、何カ月、何年という長い間、頭の中に保存されている記憶です。後者は、主に前頭葉が司るもので、数秒から数分というほんの短い間だけ保存されている記憶です。

ここでみなさんに質問です。いわゆる「頭のよさ(IQ)」と言われるものは、長期記憶と短期記憶のどちらに関係していると思いますか。こうたずねると、多くの人が前者、長期記憶と答えるのですが、そうではありません。

どれくらい多くの長期記憶を貯えられているかには、IQと関係していないことがわかっています。確かに、IQが高い人は、頭の中にたくさんの知識を貯えていることがあります。だからと言って、たくさんの知識があっても、IQが高くなるわけではないのです。

■「思い出す」ができないと記憶を使いこなせない

いわゆる「頭のよさ」に関係するのは、短期記憶だと言われています。短期記憶とは、前頭葉という脳の司令室にある、スクリーンのようなところに、今この瞬間にどれだけのことが同時に映し出されているか、だと考えることができます。11桁の電話番号を聞いて、メモする間だけ覚えていて、メモし終わったら忘れてしまうというのがそれにあたります。

「頭のいい人」というのは、話をするとき、それまでの自分が話してきた内容を、前頭葉のスクリーンに映し出して、はっきりと見渡すことができていて、そのうえで次に何を言うかを決められるために、筋の通った面白い話になります。前頭葉のスクリーンにほんの少ししか映し出されていなければ、前の話と今の話のつながりが見えない、支離滅裂な話になってしまうことでしょう。

長期記憶として、側頭連合野を中心とする大脳皮質にいくらたくさんの記憶を貯えることができていても、折に触れて前頭葉に引き出して、現実世界に参照する訓練をしていないと、記憶という宝をうまく使いこなすことはできません。「思い出す」つまり、記憶を引き出してきて現在の状況に照らして、編集するから、その宝を活かすことができます。思い出すことがどうして大事かを、脳の仕組みから理解していただけたでしょうか。

■「脳が危険な状態」かを5項目でチェック

自分が培った記憶を必要なときに思い出せるかどうかをチェックするリストがあれば、自分の脳の状態を判定できます。それを判定する材料として、「こういう状態になっていたら危ない」というチェックリストを用意しました。あなた自身、いくつか当てはまるものがあるでしょうか。

1.毎日つつがなく暮らしている感じがする

意外に思うかもしれませんが、心地よく暮らしている感じがするときは、あなたは自分の人生を自分で導いているとは言えません。「最近、人生に力を入れる必要がなくなった。スムーズにものごとが運ぶようになって、心地いいな。平和だな」という凪(なぎ)の状態は、ルーティンを繰り返し、決まった脳の回路ばかりを使っていて、人生が固まってしまっているということです。

2.忙しすぎる

忙しくしていればいいのかというと、それも1と同じく危険です。忙しいのは、仕事であれ、家庭であれ、忙しい原因となっている、単一の回路ばかりを使っていることが多いからです。

3.最近不安になったり、ドキドキしたりしたことがない

不安になったり、ドキドキしたりしたことがないということは、新しいものに挑戦していない、新しい状況に遭遇していないということです。これも一つの危険な兆候になります。自分で自分の人生を導く、自分の欲求に従うのは、正解がないことですから、もともと不安に感じるものなのです。

4.他人の望みに「何でもいいよ」と言っている

「どこに行きたい?」「何食べたい?」と聞かれて、「何でもいい」「どこでもいい」と答えてしまっていたら、これも、自分の脳の欲求に気づけなくなっている証拠です。「こういうレストランがあるけれど、どう?」という提案に対して、「別にいいよ」と吞み込むだけになっているなら、自分の欲求を抑えてしまっているか、自分から望むことがなくなってしまっているのかもしれません。

5.同じものごとを繰り返す

大好きな音楽、大好きな映画、大好きな本に繰り返し戻っていくのは、もちろんよいことです。大抵「古典」と呼ばれる作品は、何度観ても聴いても、新しい発見があって、学びがあるものです。ただ、そのようにすでに自分が好きだとわかっているものの中だけで、生活を営むようになっているとしたら、実は、好奇心を失ってしまっているか、自分の欲望が見えなくなってしまっているのかもしれません。

これら5つのうち、当てはまるものが多ければ多いほど、「思い出す」機能が弱っていると言えるかもしれません。

ではもしあなたの脳の思い出す機能が弱っているとしたら、どうすればいいのでしょうか。その方法を次にお話ししていきます。

■「何もしていないとき」に働く脳部位がある

思い出す方法には、実は、二種類あります。無意識的にやる方法と、意識的にやる方法です。

前者は、デフォルト・モード・ネットワークの働き。後者は、脳の司令塔である前頭葉が命令を出して、意識的に記憶を引っ張り出すようにすることです。

デフォルト・モード・ネットワークは、何かに集中しているときよりも、何もしていないとき、リラックスしているときに、よく働く脳部位です(海馬もこのネットワークの一部と考えることができます)。

多くの人は、脳は集中しているときによく働いていると思っているようですが、それは、間違いです。何もやっていないときでないと、働かない脳部位があり、それがデフォルト・モード・ネットワークなのです。

■ぼーっとすると「記憶の整理」が始まる

休んでいるときに、脳は勝手にさまざまなことを思い出して、体験と体験とを結びつけ、記憶の整理をします。日中集中して仕事をしたり、たくさんの人に会ったりしているからこそ、脳は体験の整理をする時間が必要になります。何かに集中してばかりいたら、情報が入ってくるばかりで、脳が整理の時間を取ることができません。

ぼーっとしているのは「無駄」な時間にみえますが、大事な整理をしている時間なのです。何もしないでいると、脳はようやく記憶を整理し始めます。

デフォルト・モード・ネットワークが一番働くのは、眠っているときやシャワーを浴びているとき、散歩をしているときなどです。そうしたリラックスをしているときにこのネットワークが働いて、記憶と記憶を結びつけたり整理したりすることで、いいアイデアが浮かぶとか、ずっと忘れていたことを不意に思い出すことがあります。1日の中で5分でも10分でもぼーっとする時間を持ちたいものです。

■前頭葉に記憶を引き出すとメンテナンスができる

もう一つの意識的に思い出す記憶の整理術を説明しましょう。はっきりと意識するということは、前頭葉に記憶が引き出されるということです。

前頭葉は脳の司令塔ですから、そこに記憶が引き出されることで、「この記憶をどうしようか」「どういう意味があったのか」と改めて脳のさまざまな領域に問い合わせができるようになります。現実世界にも照らし合わせて、広範な記憶のメンテナンスをしてくれます。

意識して思い出す仕組みは、前頭葉の短期記憶の回路に、主に側頭連合野から記憶を引き出すことです。今の自分の前頭葉のスクリーンの中に、昔の記憶を映し出して、これからの役に立てることなのです。

■「ど忘れ」こそが脳を鍛えるチャンス

茂木健一郎『ど忘れをチャンスに変える 思い出す力』(河出書房新社)

意識的に思い出す場面とは、実は忘れてしまったときです。「あれ、何だっけな?」とものの名前や誰かと会う約束などをど忘れしてしまうことが誰にでもよくありますが、そのときは実は脳を鍛えるチャンスでもあります。思い出そうとしても思い出せないことはよくあって、そういう状態はイライラするので、思い出そうとすること自体をやめてしまう人がいますが、とてももったいないことです。

思い出そうとするだけで効果があるので、実際には思い出せなくてもかまいません。思い出そうとする癖をつけることは、記憶を整理する一連の回路を鍛えることになるので、結果として物忘れを防止することになります。また最高の脳のアンチエイジングです。

思い出すだけで脳が鍛えられる。これこそ、新しい脳の活用法です。

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茂木 健一郎(もぎ・けんいちろう)
脳科学者
1962年生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学院理学系研究科修了。『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞受賞。『幸せとは、気づくことである』(プレジデント社)など著書多数。
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(脳科学者 茂木 健一郎)