久々の夫婦デートは単価5,000円のイタリアン。モヤる妻が気づいてしまった、夫の本音
やりがいのある仕事でキャリアを重ね、華やかな独身ライフを満喫する女。
早々に結婚し専業主婦となったものの、ひたすら子どもの世話に追われている女。
女として本当に幸せなのは、どっちだと思う−?
独身キャリア・工藤千明と、専業主婦・沢田美緒。
対照的な選択をした二人が、同窓会で再会。
20代で自己投資を惜しまなかった千明は洗練された美女へと変貌。複数の男性から言い寄られるも、最も気になる男からは、「結婚する気はない」と宣言されてしまう。
沢田美緒:夫との、久しぶりのデート
ひとりで優雅に、カット&カラー&トリートメントのフルコースなんて…一体いつぶりだろうか。
私は北青山のヘアサロンで、たっぷり4時間のヘアケアを終えた。
日常じゃ、子育てに追われ、ゆっくり髪の手入れをする余裕などない。
さらに言えば、出産を経たあと私の髪は驚くほどパサパサになった。栄養という栄養を、全て持っていかれたように。
仕方なく顎下までバッサリと切り、それからもうずっと短いままにしている。
それでも贅沢なケアにより、久方ぶりに現れた天使の輪を、私は感動の眼差しで食い入るように見つめた。
「…この後、どこかへお出かけですか?」
しばし鏡の中の自分に自分で見惚れていると、ブローを終えた美容師にそう尋ねられた。
「はい。久しぶりに…夫とデートなんです」
夫と、デート。
自らが発した言葉なのに、言い慣れないし聞き慣れず、こそばゆい思いがする。
それもそのはず。息子・遼が生まれてからのこの6年間、夫婦二人だけで外出をしたのなんて…きっと片手に数えるほどだ。
しかしおそらくまだ20代前半の、若すぎる男性美容師には、子持ち主婦が夫とのデートに浮かれる気持ちなどわからないらしい。
「へぇ」と軽く受け流し「軽く内巻きにしておきますね〜」と、さほど興味もなさげに言われただけだった。
久しぶりのデートに浮かれる美緒。しかしそこで、またしてもモヤっとする場面を目撃してしまう
「久しぶりにちゃんとデートしない?…二人だけで」
地元・金沢での同窓会から戻った日の夜。私は夫の貴志にそう自ら提案した。
「えっ?あ、いや別にいいんだけど…いきなりどうしたの?」
夫が帰宅したのは深夜、日付が変わった後だ。商社マンの夫は出張も飲み会も多く、平日早い時間に帰ることはほとんどない。
いつもは息子と一緒に寝てしまうことが多いのだが、どうしてもこの話がしたくて起きて待っていた。
「いきなりってわけじゃないの。夫婦二人だけでデートとか…そういう時間、今はもう作ろうと思わなきゃ作れないじゃない?でも大切なことだと思うのよ」
真剣な面持ちで続ける私に、夫も“これは行かずに終われない”と観念したらしい。
チラチラと私の表情を伺いながら「そうだなぁ…」と頷いてくれた。
「金曜なら早く上がれるかな。遼のことも母親に頼んでみるよ。でもデートって言っても何すればいい?食事とか?」
「なんでもいいの。ショッピングしてご飯食べるとか、なんでも!」
快諾してくれたことが嬉しくて、私は思わず興奮気味に叫ぶ。
夫はそんな私を愛おしそうに見つめると、シャツを緩めてこちらに近づき、そっと頭を撫でてくれた。
「わかった。じゃあ金曜、19時に六本木ヒルズで待ち合わせよう」
期待はずれだった、夫の反応
−貴志、驚くかな。
ヘアサロンからタクシーで移動し、時間より早く六本木ヒルズに着いた私は、エントランスの広場で、そんな妄想をしながら夫の到着を待った。
金曜夜ということもあり、目の前を過ぎ行く人の波にもカップルが目立つ。
中には同年代と思われる男女もあって、私は微笑ましい気持ちで眺めたりした。
手鏡を取り出し、髪の乱れと口紅を再度チェック。毎日顔を合わせている相手でも、いわゆるデートスポットで待ち合わせるとなると、なんとなくドキドキするから不思議だ。
ところが。5分遅れてやってきた夫の反応はというと…私の期待していたものとはまるで違っていた。
「お待たせ。…とりあえず、閉まる前に店でも見る?」
まだ仕事の感覚を引きずっているのだろうか。事務的な物言いで私を促すと、さっさと歩き出してしまう。
明らかにいつもと違うはずの、丁寧にブローされた髪にも気づいているのかいないのか。
「綺麗だよ」という言葉もなければ、先ほど目の前で待ち合わせていたカップルたちと異なり、私の手を握ろうともしない。
…ぽかりと心に穴が開き、空虚な風が通り抜けていく気がした。
−めちゃくちゃ綺麗だな。
−工藤って、あんなに美人だった?
ふと、同窓会で男たちから熱い視線を集めていた千明の姿が思い出される。
…私だって夫から、あんな風に賞賛されたかったのに。
せっかくのデートなのに夫は塩対応…。その理由に、美緒はついに気がついてしまう
「私、女として見られていない…?」
「わ、この靴素敵…」
ウィンドウショッピングの途中、美しいスウェード素材のパンプスが目に止まった。ポインテッドトゥで、ボルドーの深い色味が秋らしく心惹かれる。
今夜はデートだからかろうじてヒールのあるサンダルを履いてきたが、楽に流され、普段はフラットシューズばかり。
しかしたまにはこんな女っぽいヒールを履いて、颯爽と歩くのも悪くない。
…あの日の、千明みたいに。
高いヒールで闊歩する彼女の後ろ姿は、自然と背筋が伸び、ふくらはぎもキュッと締まって、悔しいけれど正直、綺麗だった。
−でも私だって今日みたいにオシャレすれば、まだまだ通用するはず。
しかしそんな私の意気込みもまた、夫の失笑によりすぐに打ち消されてしまうのだった。
「そんなの、どこ履いて行くんだよ」
「そうだけど…」
確かに、そう問われてしまうと何も言い返せない。
専業主婦で、家事と育児しかしていない私の毎日のどこに、この美しいパンプスの出番があるだろう。
「さ、あまり遅くならないうちに食事しよう」
検討するそぶりもみせず、夫はさっさと私の手からパンプスを奪う。そして当然のように元ある場所へと靴を戻すと、私を振り返ることもなく歩き出した。
しばらくして彼が「空いているから、ここにするか」と言って適当に入ったのは…独身の頃に女友達と食事をしていたような、単価5,000円程度の気軽なイタリアンだった。
…記念日でもなんでもないのだし、別に高級レストランを予約して欲しかったとは言わない。
けれど…なんだろう、このモヤモヤとした感情は。せっかく楽しみにしていたデートなのに、まるで心が満たされない。
サラダに、ピザにパスタ。グラスワイン一杯では特に会話も盛り上がらず、何の特別感もないディナータイムを過ごし、私はさらに悶々と考え続けた。
…そしてついに、ある結論へとたどり着く。
−夫は私を“女”として見ていない−
確かに夫はいつも、素顔の私を「綺麗だ」と褒めてくれる。そんな彼が私を愛していることは間違いない。
しかし夫は私の外見に、興味すら抱いていないのだということを、私はこの時、思い知らされたのだ。
食事を終えると夫は、まだ22時を過ぎたところだというのに、当然のごとく駅へと向かって歩き出した。
地下へと降りて駅に向かう途中、 “グランドハイアット東京” の案内表示が目にはいる。思わず振り返って、私は心の中で呟いた。
−本当は、ホテルのバーで飲んだりしたかったな…。
しかし、まるでその気のなさそうな夫を誘う気にもならず、仕方ないと諦めて夫の背中を追いかけようとした、その時だ。
私の前を横切る形で、まさにグランドハイアット東京へと向かう美男美女が目に入った。
−…千明!
夫の対応にモヤモヤとする美緒。そこに千明が、男と共に現れた!?
すらりとした長身、ツンと尖った顎先や無造作なまとめ髪にも見覚えがある。
間違いなく、千明だった。
二人の男女は、私がまさに名残惜しく眺めていたグランドハイアットのエントランスへと消えていく。…きっと、バーに行くに違いない。
その光景は、私の心を鋭く抉った。
なぜなら彼女の隣を歩く男性は、これまで私が出会ったどの男と比べても格段に素敵だったから。
そして何よりも私の心をざわつかせたのは、そのとんでもなくいい男が、千明をまるでお姫様のごとく丁寧にエスコートしていたことだ。
自由が丘の自宅に戻ってからも、先ほど見た千明カップルの残像が頭から離れなかった。
…まるで、別世界を垣間見た気分。
千明はいつもあんな風に、夜な夜な素敵な男性とデートをしているのだろうか?
息子不在の自宅は不安になるほど静かで、先にバスルームへと消えた夫の鼻歌が、やけにうるさく響く。
私はおもむろにテレビを点け、気を紛らわせようとした。
するとたまたま、詳しくは知らないが、どこかのセレブ主婦がホームパーティーの様子を披露している映像が流れた。
ただぼんやりと眺めていた私だったが、急にある考えが浮かぶ。
−そうだわ。千明を自宅に招待しよう。
なぜ、そういう発想に至ったか?それは私にもうまく説明できない。
しかし彼女を自宅に招き、得意のテーブルコーディネートとおもてなし料理を振る舞ってみせるというアイデアは、どんよりと沈んでいたはずの私の心をにわかに浮き立たせた。
“良かったら、我が家に遊びに来ませんか?”
勢いのまま千明にメッセージを送ると、心を埋め尽くしていた靄がすーっと晴れていく気がした。
そうだ。夫がバスルームから戻ったら、彼も同席できる日程を確認しておかなくちゃ。
テーブルに飾るお花は、何がいいかしら。前菜は夏野菜をたっぷりと使って…メインはスペアリブ?それともアクアパッツァの方が良い?
確かに千明は、20代を自己投資に使い、洗練された美女へと変貌を遂げたかもしれない。
“女”として恋愛対象となり、素敵な男性にエスコートされ、夜な夜なデートを楽しんでいるのかもしれない。
しかしそれを言うなら私は、20代を良き妻、賢い母として生きたことで、独り身では得られない“温かな家庭”を築いてきたのだ。
“お誘いありがとう。ピンポイントで申し訳ないのだけど…再来週の日曜なら、お邪魔できるかも”
しばしの間を空けて届いたメッセージを読み、私は小さく頬を緩ませる。
…千明がこの誘いに乗り気でないことくらい、最初からわかっている。日程が合わなければいい。そんな風に願っていることも。
だからこそ、私は即座に返信を打った。
“再来週の日曜、大丈夫!お待ちしてるね”
夫の都合をまだ確認していないが、まあ、きっと平気だろう。
「ねぇ千明。女の幸せは、外の世界に転がってない。…家庭の中にあるのよ」
私はそっと声に出して立ち上がると、着なれなくて苦しい、タイトなワンピースを脱ぎ捨てた。
▶NEXT 8月26日 月曜更新予定
美緒の家に招かれた千明。そこで目にした、彼女の“危うさ”
▶明日8月20日(火)は、人気連載『もう1人の私』
〜自分でも戸惑うような意外な一面を、誰しもが持っている。優雅な暮らしを送る人妻・陽子(40歳)の“もう1人の自分”とは…?続きは、明日の連載をお楽しみに!