騙されたのは女か、それとも男か?
「恋」に落ちたのか、それとも「罠」にはまったのか?

資産200億の“恋を知らない資産家の令嬢”と、それまでに10億を奪いながらも“一度も訴えられたことがない、詐欺師の男”。

そんな二人が出会い、動き出した運命の歯車。

200億を賭けて、男と女の欲望がむき出しになるマネーゲームはやがて、日本有数の大企業を揺るがす、大スキャンダルへと発展していく。

男の計画通り、令嬢はジワジワと追い詰められたように見えたが令嬢は簡単には騙されず…平穏な日々が戻るかに見えたが…令嬢の夫の裏切りが再び詐欺師にチャンスを与えてしまう。




「小川さん、あんた、松岡さん以外の女性からも…大金をもらってるんじゃないか?」

刑事である福島のその言葉に、小川親太郎は少し驚いた顔になった後、…嬉しそうに笑った。

「なんで、笑う?」

長身の男前に見下ろされながら笑われたことが、妙に癇に障り、福島の声には苛立ちがこもったが、小川は気にする様子はなく微笑んだまま言った。

「もらった、という表現ならそうですね。安くはない金額を、確かに数名の方から譲りうけています」

あっさりと自分の問いが肯定されたことに、福島は拍子抜けし、なぜ笑ったのかという質問は無視されたことを忘れて、また聞いた。

「何人から、いくらもらったんだよ。全員女か?」

「刑事さんは調べるのがお仕事なんですから、その気になれば僕の情報なんて簡単に手に入れられますよね?」

「…挑発か?」

からかうような小川の口調に、福島の苛立ちが怒りに変わった。街を歩けば職質されてしまうような強面のギョロリとしたその目が、小川を睨み上げる。

「まあ、挑発といえば、そうかも」

それなりの悪党でさえ脅える福島の睨み。それが小川には全く効かなかったどころか、その口調が急に砕けた。

「福島さんみたいに、感情をそのまま顔や言葉で表現できる人ばっかりじゃないんですよ。特に女性はね。世間体とか、常識とか…まあ、理由は様々ですけど、第三者的方向からかかってくるプレッシャーから身を守るために、自分の感情や欲望に蓋をする。

分かりやすく言うと、我慢という言葉が近いですが。そんな状態を続けているうちに、自分の本当に欲しいものがわからなくなる」

「…何が言いたい」

質問に全くリンクしない答えを続ける小川に福島が問うと、小川は、ほらまた、と嬉しそうに笑って続けた。


罪をあっさりと告白する男の意図は?そして妻は夫に疑惑のメールを見せ…。


「思ったことをすぐ素直に口にして、刑事なんか務まるんですか?ああ、そうか、今までは一課で強行犯係とか暴力犯係だったから…腕っぷしと度胸がある方が大事だったのか。検挙率ナンバー1ですもんね。それで何度も表彰されてるんだから…」

「なんで…俺のことを調べた?」

「それについては、ただの興味です。僕、好奇心旺盛なんで。それに福島さんみたいに真っ直ぐな人がホントに羨ましくて。大好きなんですよ」

質問すればするほど小川のペースにハマり、翻弄されてしまっている。

確かに福島は、自他共に認める真っ直ぐな…感情的な人間ではあるが、取り調べは得意だ。

2桁の人を殺した凶悪な殺人鬼や、日本の暴力組織のドンなど、難攻不落と言われた犯人たちを何度も、完全に落として自白させたことから、「完落ちの福島」と言われている。

どんな相手であっても、会話の主導権を奪い、握ることには慣れているはずなのに。

「さっき、いくらを何人から、とおっしゃいましたよね」

黙ったままだった福島に、小川は楽しそうに声を弾ませ、そう言った。返事をせず、見つめ続けてくる福島に構わず、小川は続けた。

「もう一つだけ、あなたに情報を与えることにします。僕は、もうすぐまた…ある女性から大金を譲られます。それが罪だというのなら、是非福島さんに調べてもらいたいし、福島さんに裁いてもらいたいな。

こんなことをあなたに伝えることになるとは、僕にとっても予想外の展開だけど…実に楽しみです。あなたの次の行動が」

最後に、では今度こそ失礼します、と付け足すと、入口のレジに向かった小川は、福島が飲んだコーヒー代まで支払った。男前にはめっぽう弱いマダムが、またお待ちしていますー♡と、浮かれた声で送り出すまで、一度も福島の方を振り返らなかった。




『神崎智さま。あなたのご主人の大輝さんは、あなたを裏切っています』

『出会った時から今まで、ずっとあなたを騙している』

『あなたちの結婚は偽物で、彼の打算的なものだ。彼はあなたが思っているような人ではない』

『私はあなたの味方です。ご主人の偽善を暴いて、あなたを解放してあげましょう』

娘の愛香を寝かしつけ、リビングに戻ってきた大輝に、見てほしいものがある、と智が差し出したのは、携帯だった。

開かれていたショートメールの文章を確認すると、脳内に一気に血が集まる。携帯を持つ右手が震え出す前に、大輝は携帯を自分の膝の上に置き直して聞いた。

「…何これ?」

眉間にしわを寄せ、驚いた顔を作って、大輝は智にそう聞いた。コの字型のソファーの角の部分に並んで座ってしまったことを後悔しながら。

―ついにこの日が来てしまった。

何度も、何度も、智にバレた時のことはシュミレーションしてきたから、上手く声は出せたと思う。でも、大きく脈を打ち出した心臓がうるさい。

そして、大輝の様子をしばらくジッと見つめていた智が、一昨日届いたんだけど、とどこか申し訳なさそうに言った。

「こんなメール、気にする必要ないって分かってるし、わざわざあなたに見せるべきじゃないのかもって悩んだりしたんだけど。でも私、大ちゃん…あなたのことだけは、できれば疑いたくないの。だから、はっきりと違うっていって欲しくて」

仕事の時とはまるで違う、自信のなさそうな声とその表情。おそらく自分だけが知っている智の顔。いつもなら嬉しく思う妻の無防備な姿に、今日はキリキリとした胸の痛みを感じながら、大輝は笑顔でウソをつく覚悟を決めた。

「こんなメールが何で送られてきたのか分からないし、気味が悪いけど、書かれてることがウソだということは、智が一番よく知ってるはずだ」

このメールの打算的とか、裏切りとかいうワードが何を示唆しようとしてるのか分からないけど、思い出して欲しい…と前置きして、続ける。


夫のウソと本心に、妻は…?そして詐欺師がついに勝負に出る!


「俺は、智が社長令嬢だということを隠している時に出会って、好きになった。女性があんまり得意じゃなかった俺が、必死で智を口説いたあの間抜けさを、智も覚えてるはずだ。デートだって緊張しちゃって、かっこ悪いとこばっかり見せた。だろ?」

過去を自虐し笑った大輝に、智も微かに笑みを返した。それに力づけられ、大輝は、膝の上に置かれていた智の手をギュッと握って、その目を見つめながら誓うように言った。

「浮気とかは、もちろん考えたことすらないよ。俺にとって、今この世で一番大切なのは、智と愛香だ。2人を失ったら生きていけない。大げさではなく、本当に生きていけなくなると思う」

ウソに混ぜた、心からの言葉。智の手を握る大輝の手に力がこもった。智の瞳が少し潤んでいるように見えて、大輝はたまらず抱き寄せた。

―ごめん。

心でつぶやいてから、大輝はその細い体を離し、もう一度向き合い、言った。

「智を安心させたい。この送り主を特定しよう。これって仕事用の携帯だよね?」

大輝の言葉に智が頷く。

「この携帯、少しの間預かっててもいいかな?この手の調査に強い人に調べてもらうよ。智と俺を名指しで書いてくるなんて、ただの嫌がらせだとしても手がこんでるし悪質だ。俺に任せてくれる?」

「…お願いしていい?」

智の言葉には、まだ力がない。それが辛くて、大輝は、じゃあ早速メールを入れてくる、と自室に戻る言い訳をし、携帯を持つと智に背を向けた。

大輝には、リビングに取り残された智がどんな表情で自分の背を見つめ…どんなことを考えていたのか、思う程の余裕はなかった。


栃木県の元採石場:兼六堂の新商品お披露目パーティー会場


東京から車で2時間半の場所にある、栃木県の元採石場。この洞窟をパーティー会場に作り変え、今夜大々的に、兼六堂の新商品お披露目パーティーが行われる。

親太郎は、悪友マサの愛車のマセラッティを運転しここまで来たが、東京から招待された選び抜かれたゲストは、兼六堂が貸し切った新幹線の車両で最寄駅まで到着し、そこから専用のリムジンで30分かけてこの会場に入るらしい。

パーティーの終わりが遅くなるため、全ゲスト分の部屋を高級旅館に手配済み。新幹線の中でも、シャンパンを提供し、ゲストにアペリティフを楽しんでもらう、というのだからこの商品にかける兼六堂の意気込みがわかる。その総責任者が、神崎智だ。

―とんでもないプレッシャーを…感じてるだろう。


「甘やかしてあげます」美しい男の甘い言葉に、令嬢は…?


ゲストに用意された男女別の控え室も、「アラビアの王の夜会」というお披露目パーティーのテーマに沿って、飾られている。

開宴よりも1時間前に到着した親太郎は、そこで身支度をととのえると、ウェルカムシャンパンを飲みながら、ぼんやりと悪友であるマサの軽い口調を思い出す。

「はじめてじゃない?親ちゃんがターゲットの携帯番号を手に入れてくれとか、会社に入り込んでくれとか…夫のことを調べてくれとか、俺に頼むの」

限定100名と決められたパーティーの招待状は、マサから奪った。俺から美人ちゃんたちとの出逢いの場を奪うなんて高くつくよ、としぶりながらも、マサは譲ってくれたあと、忠告しとくけど、と珍しく神妙な顔で言った。

「やたらと執着してない?あの令嬢に。いつももっとこう、残忍なくらいサラッとしてるじゃん、女に対して。神崎智さんが簡単に堕ちないから、そそられちゃってるわけ?ムキになってるようにも見えるし、らしくないっていうか…」

「執着してる?俺が?」

マサの言葉の意味が分からず、キョトンとした親太郎に、マサは苦笑いし、分かってないならいいよ、と言って愛車の鍵を渡してくれた。

シャンパンを一杯飲み終えた親太郎は、タバコを吸える場所をサービスの女性に尋ねた。ご案内しましょうか、と言った彼女の目に自分への好意が宿っていることを察知し、その申し出を断ると場所だけ聞いてゲストルームを出る。

普段は全く吸わないのに、勝負の時を前にすると、不思議と吸いたくなるのだ。

―今日で決める。

親太郎は、今夜こそ神崎智の心を奪うつもりでここに来た。そのために、ちゃんと…葉子にフラれてきたし、夫の裏切りを密告するような…らしくない手まで使ったのだから。

ふと、マサの言葉を思い出した。

―たしかに、らしくない手まで使ってるな。今回は。

テラスの喫煙所に人はいなかった。胸ポケットから取り出したタバコに火をつけると、何気なく階下を見た。

裏口になるのだろうか。ほとんど人気はないが、時折スタッフらしき人々の出入りが見え、親太郎はしばらくその様子を眺めていた。すると。

黒いパンツスーツに身を包んだ女性が、1人出てきた。神崎智だった。

神崎智は、あたりに誰もいないことを確認してから、大きな深呼吸を数回くりかえした。それから彼女は、自分の頬を両手で挟むとパンパンと二回叩いた。その様子が微笑ましくて、親太郎は、思わずテラスから身を乗り出した。

「神崎さん!」

突然の声に、智の体がビクッと震え、親太郎を見上げた。親太郎だと認識すると、驚いた様子で固まった彼女に、親太郎は胸ポケットから招待状を取り出し、ひらひらと見せる。そして、周囲に人気がないことを確認してから、智に聞こえる程度の声で叫んだ。

「あなたなら、きっとやり遂げられます。絶対に大丈夫です」

智は固まったまま親太郎を見上げている。親太郎はとびきりの笑顔を作って続けた。

「終わったら、祝杯をあげましょう。今夜は俺があなたを…とろけさせて、甘やかしてあげます」

言い終わると、頑張って、という意味の仕草で小さく拳を作って振って見せると親太郎は智に背を向けた。

智がどんな表情をして自分を見送っているのか、見ずとも分かる気がして…親太郎の口元には、自然と笑みが浮かんだ。





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親太郎と智の、はじめての夜…そして、夫の大輝がとった意外な行動とは?

▶明日8月19日(月)は、人気連載『立場逆転』

〜高校卒業後15年。再会した2人の人生は180度違うものとなっていた…。女のプライドをかけた因縁のバトル、続きは明日の連載をお楽しみに!