さて、世の中は夏休みまっただなかである。お盆も目前、そろそろ各テレビ局が遠慮がちに心霊特番を放映する時期でもあるので、この『昭和子どもオカルト回顧録』もいつもと趣向を変えて、今回と次回は「夏休み特別納涼企画!あなたの知らない世界〜箱根・仙石原の怪!」みたいな感じで、僕が小学生時代に体験した極めて地味な実話怪談をお送りしたい。

箱根・仙石原。広大なススキの野原や湿原が有名な箱根の名所。現在は美術館なども多い高原のリゾート地になっているが、当時は宿泊施設なども比較的少なく、ものさみしい光景が広がるエリアだった。

 

最初に言っておくが、僕はまったく霊感体質ではないので、幽霊と確信できるものを目にしたことなど生まれてこの方一度もなく、この話のなかでも僕が直接心霊現象的なものを体験しているわけではない。そもそも、これが怪談と呼べるのかどうかもわからないし、なんの資料性もない曖昧なお話なので、「肩すかし」は覚悟しておいていただきたい。読むだけ時間のムダかも知れないが、寝苦しい熱帯夜に蚊取り線香などを炊きつつ、古き良き「日本の夏、心霊の夏」を堪能するタシにでもしていただければと思う。

 

僕は一度だけ「霊媒師」を生業にしている人から「お祓い」なるものを受けたことがある。両親に強制されて「霊媒師」宅の大きな一軒家に連れていかれ、そこのだだっ広い畳敷きの部屋の巨大な神棚(?)の前で、白と金色のド派手な着物を着た大勢のおばさんに取り巻かれながら、家族ともども延々と続く「お祓い」の儀式を受けたのだ。記憶はあやふやで、すでに夢の光景のようにボンヤリしているが、長時間の正座で足がしびれたことと、おばさんたちが声を合わせて唱えるお経というのか念仏というのか、奇妙な歌のようなものがひどく恐かったことだけは覚えている。おそらく小学校の2年生のころ、9歳の年の夏の終わりごろのことだったと思う。

 

40年前の夏休みの家族旅行で……

その年の夏休み、家族旅行で箱根に行った。箱根には毎年のように行っていたが、なぜかその年は親が奮発して、いつもの旅館ではなく、仙石原にある老舗の旅館に泊まることになった。母親が言うには、夏の旅行シーズンにはめったに空室が出ない有名な旅館だが、今年は運良く予約がとれた、とのことだ。この旅館は40年後の現在も営業しており、あのころよりもさらに老舗としての格を上げているらしい。ここでは名前は伏せるが、仮に「仙石原旅館」としておく。

 

旅行当日は父が運転する自家用車で出かけた。ところが仙石原に入ってから、ひたすら道に迷ってしまった。目的の旅館はすぐ近くにある。有名旅館なので、そこら中に看板が出ている。「仙石原旅館 1km直進」とか「仙石原旅館 この先300m左折」みたいな道順を示す看板がしつこいほどに出ているのに、なぜか途中でルートがわからなくなって通りすぎてしまう。Uターンして再び看板に従って走ると、やはり道を見失って通り過ぎる。こんなことを1時間ほども繰り返してしまった。あきれた母親が「なにやってるのよ? こんなに案内の看板が出てるのにどうして迷うの?」とイライラしだして、父も「しょうがないだろ! 看板がおかしいんだよ!」と応戦する。車内がどんどん険悪になっていくので、僕は肩をすくめてヒヤヒヤしていた。

 

後日、ある「識者」から聞いた話では、もうこの時点で「ダメ」だったらしい。迷うはずのない道でやたらと迷う。また、目的地に近づくに従って同行者の間でいさかいが生じるときは、すでに目的地そのものが「ダメ」なのだそうだ。ただ、僕の父はもともと方向音痴で、運転中によく道に迷う。「ダメ」なのは目的地ではなくて、方向音痴の父だったんじゃないのかなぁ……とも思うが、とはいえ、逐一道順を示す看板が立ち並ぶなかでのあの迷い方は、やっぱりちょっとどうかしていたのかも知れない……という気もする。

 

確かに見た“ありえない光景”

ギスギスした雰囲気のまま、ようやく旅館に到着した。母親が「ほら、ここよ」と指す「仙石原旅館」を一目見たとたん、僕は驚いて大泣きしはじめた。「こんなところはイヤだっ! 絶対にここには泊まりたくないっ!」とギャーギャー泣きわき、シートにしがみついてクルマから降りることを断固拒否した。「仙石原旅館」を正面に見て、確か右斜め後ろの高台の上に、大きくてきれいな白いホテルが建っていた。僕はそのホテルを指差して、「あっちがいい! 絶対あっちに泊まる!」とダダをこねた。

 

僕は小学生時代から、この箱根の体験を何人もの知人に話しているが、このくだりの説明に毎回苦労してしまう。この大泣きしたときの感覚が、非常に説明しづらいのだ。

 

後に母親は、僕がああやって大泣きしたのは、すでに「何かを感じていたんだろう」と言っていた。「子どもは敏感だから、不吉な場所がわかるのよ、きっと」。しかし、まったくそうではない。不吉さや恐怖など、僕はまったく感じていなかった。

 

僕が泣いたのは、高級旅館だと聞かされていた「仙石原旅館」が、驚くほど汚いボロアパートのような建物だったからなのである。赤錆だらけのトタンやすすけた板を釘で打ち付けた壁に、あけっぱなしの引き戸の玄関がある。玄関にはたくさんの子どもの靴が乱雑に脱ぎ捨てられていた。その奥は真っ暗で、まったくひと気がない。引き戸の横にはほこりだらけの牛乳瓶が無造作に並んでいて、さらにその横には、錆びた古い自転車が何台も置かれ、子ども用自転車のいくつかは倒れたままめちゃめちゃに積み重ねられていた。

 

「なんだこれ?」と驚いたのだ。どうして夏休みの家族旅行で、こんな自分の家の何倍もボロくて汚いところに泊まらなければならないんだ? なにかの間違いだ! 絶対にこんなところに入りたくないっ! そう思って、衝動的に大泣きしたのである。

 

しかし、言うまでもないが、高級老舗旅館で知られる「仙石原旅館」の玄関が、そんなボロアパートのようなありさまであるはずはない。実際、僕は親にクルマから引きずり出され、旅館のなかに一歩入ったとたん、嘘のように泣きやんだ。内部は驚くほどきれいで明るく、広々としているのだ。仲居さんに案内されて部屋に行くと、新しい畳の匂いのする清潔で快適な日本間だった。窓から見える日本庭園越しの山並みの景色も素晴らしい。

 

部屋で一休みしてから、「芦ノ湖へ行ってみよう」ということになった。そして再び駐車場に向かったのだが、入ってくるときに確かに見た、あの汚いボロアパートのような光景は嘘のように消えていた。そこには、掃除の行き届いた広々とした玄関と、白い玉砂利を敷き詰めた中庭、そして由緒正しいお寺のような立派な正門があった。

 

今これと同じ体験をしたら、僕はパニックになって大騒ぎしたと思う。さっき見たばかりの光景がまったく変わっているという事態は、たぶん今の僕には受け容れがたい。しかし、9歳の僕はそれをたいして不思議だと思わなかった。むしろ上機嫌だったのだ。イヤだイヤだと思っていた旅館がびっくりするほどきれいで立派なことがわかって、「なぁーんだ、よかった! さっきあんなに大泣きして、バカみたいだったな」と思っただけだったのである。そして、あのボロアパートの光景は、「なんかの見間違いだったんだな」で済ませたのだ。

 

しかし、大人になって考えても、あれは「見間違え」ではない。最初に「仙石原旅館」を見たとき、僕は「ボロい」という抽象的な印象を受けただけではないのだ。ボロアパートじみた光景が具体的に見えたし、汚い玄関や脱ぎ捨てられた靴、牛乳の空き瓶、乱雑に置かれた自転車など、個々の具体物の質感や位置関係を、今もはっきりと思い浮かべることができる。いくら9歳のボンクラ少年でも、そんな「見間違え」があるだろうか?

 

……と、ここで字数オーバーである。この後で僕らは芦ノ湖に出かけ、僕と母親はある「失敗」をしでかしてしまう。後に「お祓い」をしてくれた「霊媒師」によると、それがこの体験の「元凶」で、「絶対にしてはいけないこと」だったのだそうだ。その顛末は後編で……。

ホテルや旅館などが建ち並ぶ現在の仙石原。この話に登場する旅館はススキ野原から山道に入った高台に位置していた。現在も営業中である。

 

初見健一「昭和こどもオカルト回顧録」

◆第36回 権力と心霊譚、「津の水難事故怪談」の政治学

◆第35回 「津の水難事故怪談」の背景にあった「悲劇の連鎖」

◆第34回 テレビとマンガが媒介した最恐怪談=「津の水難事故怪談」

◆第33回 あの夏、穏やかな海水浴場で何が?「津の水難事故怪談」

◆第32回 「小坪トンネル」は本当に「ヤバい」のか?

◆第31回 「小坪トンネル怪談」再現ドラマの衝撃

◆第30回 70年代っ子たちと『恐怖の心霊写真集』

◆第29回 1974年『恐怖の心霊写真集』の衝撃

◆第28回 「コティングリー妖精写真」に宿る「不安」

◆第27回 コティングリー妖精写真と70年代の心霊写真ブーム

◆第26回 ホラー映画に登場した「悪魔の風」

◆第25回 人間を殺人鬼に変える「悪魔の風」?

◆第24回 「幸運の手紙/不幸の手紙」の時代背景

◆第23回 「不幸」の起源となった「幸運の手紙」

◆第22回 「不幸の手紙」のはじまり

◆第21回 「不幸の手紙」…小学校を襲った「不安の連鎖」

◆第20回 80年代釣りブームと「ツチノコ」

◆第19回 70年代「ツチノコ」ブーム

◆第18回 日本産ミイラ「即身仏」の衝撃

◆第17回 1960年代の「古代エジプト」ブーム

◆第16回 ユニバーサルなモンスター「ミイラ男」の恐怖

◆第15回 昭和の「ミイラ」ブームの根源的な謎

◆第14回 ファンシーな80年代への移行期に登場した「脱法コックリさん」

◆第13回 無害で安全な降霊術? キューピッドさんの謎

◆第12回 エンゼルさん、キューピッドさん、星の王子さま……「脱法コックリさん」の顛末

◆第11回 爆発的ブームとなった「コックリさん」

◆第10回 異才シェイヴァーの見たレムリアとアトランティスの夢

◆第9回 地底人の「恐怖」の源泉「シェイヴァー・ミステリー」

◆第8回 ノンフィクション「地球空洞説」の系譜

◆第7回 ウルトラマンからスノーデンへ!忍び寄る「地底」世界

◆第6回 謎のオカルトグッズ「ミステリーファインダー」

◆第5回 東村山水道局の「ダウジング事件」

◆第4回 僕らのオカルト感性を覚醒させた「ダウジング」

◆第3回 70年代「こどもオカルト」の源流をめぐって

◆第2回 消えてしまった僕らの四次元2

◆第1回 消えてしまった僕らの四次元1

 

関連リンク

初見健一「東京レトロスペクティブ」

 

文=初見健一

 

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