恐らく犯人も『どうせ、一人で死んでくれよと思うんだろう?』と考えてた人物だと思う。どうせ、そういう世の中なんだろと思ってたからこそ、引きこもってたし、こういう事件を起こしてやろうと思ったのかもしれない。犯人に同情するわけではないですが、個人的には世間のそういう冷たさが気になりました」

 狂気の犯行にまで追い詰めた無言の圧力が、今回の事件でその姿をまざまざと現したのは、皮肉という言葉では片づけられない。

◆中学卒業後に就職した工場で「適応障害」に。引きこもりを経て現在はラブホテルの主任

 千葉県市川市の「ホテルM」は東京ディズニーリゾートが近いこともあり、月に5000組以上のカップルが訪れる人気のラブホテル。ここで働く船戸光明さん(36歳)も引きこもりを経験後に社会復帰を果たした1人だ。

 4年の引きこもりを経て、最初はアルバイトとして入社したが、6年間務めた現在は主任として50名もの従業員を管理をしている。船戸さんが引きこもりになったのは前職で体力的にも精神的にも追い詰められ、医者から「適応障害」の診断を受けたことがきっかけだ。

「中学卒業後に入ってから10年ほど勤めた鉄鋼系の工場でしたが、朝9時から終電前まで働くことがザラ。常に納期に追われ休日出勤も普通でした。適応障害の発覚後は会社に勧められて休職しました」

 しかし、復帰するタイミングを掴めずにずるずると引きこもり状態に。会社の方もリーマンショック後に業績が悪化し、早期退職という流れになった。再就職のための活動にも踏み込めず、引きこもりの生活が続いた。

「不幸中の幸いは300万の貯金があったこと。賃金は低かったのですが、使う暇もあまりなかったので」

 引きこもり中、船戸さんを精神的に助けたのが両親の態度と言葉だった。

「前の会社での多忙さを知っていましたし、自分がなってしまった障害についても理解があったので口うるさくいうことはありませんでした。そういう理解があったのは幸いだったと思います」

 焦りがないわけではなかった。引きこもって4年になった頃、アルバイトを始めることを決意。自宅から通える範囲で、初めてでもできる仕事をフリーペーパーで探したところ、見つけたのが「ホテルM」だった。

「やってみてダメだったらやめればいいという気持ちもありました。とはいえ、家族以外の人と話すのも本当に久しぶり。ブランクがあるという負い目もあり、非常に緊張しましたが採用してもらえました」

 しかし、入社から1〜2週間は「本当に怖かった」という。

「先輩が指導してくれるのですが、あちらは僕が引きこもりだったということも知らない。指導も厳しいですが、体力的にもきつかった。ベッドメイキングや夏場の風呂掃除は予想以上の重労働でスピードも求められます。実際、やめることも頭によぎりましたが、ここでやめたら何も変わらないと思い踏ん張りました」

 その後、続けているうちに仕事や環境にも慣れるようになった。不安要素だった接客は、ラブホテルという場所柄もあり最低限で済んだ。

「一番困ったのは部屋でパイ投げされたときですかね。清掃が本当に大変でした(笑)」

 将来の展望について「大きな変化がない限りは、この職場で腰を据えて頑張りたい」と語る船戸さん。川崎殺傷事件や、それを受けたマスコミの報道の在り方などについても語ってくれた。

「あの事件を受けて大人のひきこもりが注目されるようになりましたが、過度に取り上げるのは好ましくないと思います。報道を見ると、引きこもりから抜け出た今でも自分のことを言われてる気がする。当事者だったら更に追い込まれてるような気持ちになるのではないでしょうか。

 自分は運よく、家族もあまり追い込んだりせずに見守ってくれました。引きこもりから抜け出すには、結局は当事者の踏ん張り次第だとは思いますが、やってだめなら逃げればいいという気持ちを本人も周囲も持って少しずつ挑戦するのがいいじゃないでしょうか」

 今回、取材に協力してくれたミヤシタさんも船戸さんも共通して「周囲が追い込まないことの大切さ」を語ってくれた。引きこもりの問題について議論することも大切だが、当事者やその家族を追い詰めないような寛容な態度や空気が世間に求められているのかもしれない。 <取材・文/日刊SPA!取材班>