ロッテ・南が難病を乗り越え復帰、過去の「黄色靱帯骨化症」からの数少ない復帰事例とは?
ロッテの南昌輝投手が国指定の難病を乗り越えて復帰を果たした。8月15日の日本ハム戦で、6点リードの9回から登板。昨年7月20日のオリックス戦以来、実に391日ぶりの1軍マウンドだった。先頭打者を四球で歩かせたが、後続は打ち取って無失点で抑えた。
「戻って来られるとは思っていなかった」
「戻って来られるとは思っていなかった」と南は当時のことを振り返った。昨年8月、国が指定する難病である「黄色靱帯骨化症」と診断された。脊椎の後方にある椎弓をつなぐ黄色靭帯にカルシウムが沈着し、骨化することで発症する疾患。過去、何人ものプロ野球選手を悩ませ、時には引退にまで追い込んできた難病だ。
順調なキャリアを積んでいた選手を、知らぬうちに蝕んでいくところにこの病気の怖さがある。原因も多くの場合一つには特定できず、調子が下降線をたどり始めたところ、黄色靱帯骨化症が原因だったというケースが多い。
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オリックス・酒井勉、巨人・越智大祐、ソフトバンク・大隣憲司etc.
オリックス・酒井勉投手もそうだった。東海大浦安高、東海大、日立製作所を経て、1988年のドラフト1位でオリックスから指名され入団。1年目の1989年に9勝を挙げ新人王に輝いた。4年目には初の2桁となる10勝を挙げ、エース候補と嘱望されていた。翌1993年は3勝0敗と勝ち星を積んではいたが、防御率が前年の3・29から4・61と悪化させていた。シーズン中盤に黄色靱帯骨化症を患っていたことが判明。背骨の一部を摘出する大手術を受けた。
球団は復帰を目指すために、日本プロ野球史上初の複数年契約となる3年契約を結んだ。だが、1軍復帰は果たせないまま、3年契約満了をもって引退した。
巨人・越智大祐投手もキャリア全盛の2012年開幕直後にこの難病と診断された。2008年から4年連続で40試合以上に登板。2008、2009年のリーグ連覇に勝利の方程式として大きく貢献していた。2012年6月に手術を受け、リハビリを経て復帰を目指した。しかし、やはり1軍のマウンドには戻れず、2014年限りで引退した。
数少ない復活例は、ソフトバンク・大隣憲司投手だろう。左のエースとして2012年には12勝8敗、防御率2・03と素晴らしい数字を残した。2013年は3月のWBC日本代表にも選出。だが同年6月に黄色靱帯骨化症と診断された。
懸命のリハビリを続け、2014年に1軍復帰を果たした。7月27日のオリックス戦では先発し、7回1失点と好投し422日ぶりの白星。黄色靱帯骨化症から復活し1軍勝利を挙げた初めての投手となった。この年は優勝の懸かったシーズン最終戦に先発し6回無失点。日本シリーズも第3戦に先発し、7回無失点で勝利投手となるなど、日本一に大きく貢献した。優勝後には秋山監督に続いて胴上げもされた。
もっとも、翌年以降もケガには悩まされ続けた。2015年に11試合に投げたのが最多で、2018年限りで引退。病気から復活後、輝いたのはわずか短い期間だった。
「同じ病で苦しむ方々の力や勇気となれれば」
他にもヤクルト・徳山武陽投手、オリックス・宮本大輔投手ら、この病気が原因で引退に追い込まれた選手は多い。珍しい例としては、楽天・星野仙一監督が指導者だった2014年に同症を発症し、一時休養を余儀なくされている。予防法は特になく、共通点としては投手ということぐらいしか見当たらない。
南は完全復活へ向け、大きな一歩を踏み出した。越智や大隣は「同じ病で苦しむ方々の力や勇気となれれば」と繰り返してきた。南が刻むこれからのキャリアも、多くの人々の力となることだろう。
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[文/構成:ココカラネクスト編集部]