画像:エキストラ・イニングス――僕の野球論(文藝春秋)

写真拡大

 連日熱戦が続く夏の甲子園だが、名勝負といわれる試合は、なぜか明日、8月16日に集中していることを皆さんご存知だろうか? 

 実は今も語られている以下の試合はすべてこの8月16日に行われた試合なのである。

◆1958年第40回大会準々決勝 徳島商 0-0 魚津(富山)

 大会屈指の剛速球投手・坂東英二(元・中日)を擁する徳島商はこの大会堂々の優勝候補。対する魚津はこの大会が甲子園初出場ながらエース・村椿輝雄の巧みな投球術で3戦連続接戦を制しての勝ち上がりだった。

 試合はこの両投手の対象的なピッチングスタイルが展開され、投手戦に。球威十分の剛速球で三振の山を築く坂東に対し、丁寧にコースを突き、打たせて取る村椿。気づけばこの当時の規定でこの回を終わって同点なら引き分け再試合となる延長18回に突入していた。

 その18回表。徳島商は1死一、三塁とするもスクイズ失敗、ダブルスチール失敗で無得点。対する魚津も中越えの長打が出たが、三塁を欲張ってアウト。規定により引き分けとなる。なお、この試合で坂東は参考記録ながら、1試合最多奪三振となる25をマークしている。

 この翌日に再試合が行われ、徳島商が3-1で勝利。この激闘を制した徳島商はこの大会の準V校に輝くとともに坂東は、1大会最多記録となる83奪三振の大記録を打ち立てることに。

◆1973年第55回大会2回戦 銚子商(千葉)1-0 作新学院(栃木)

 銚子商の先発は、この翌年の夏の大会で優勝投手となる土屋正勝(元・中日など)。対する作新の先発は“昭和の怪物”江川卓(元・巨人など)。試合はこの2人の好投手の雨中の投げ合いとなり、0-0のまま延長戦へ突入する。

 最後は延長12回裏に1死満塁のピンチを招いた江川がサヨナラ押し出し四球を与え、緊迫した投手戦はあっけない幕切れを迎えることに。そしてこれが江川にとって高校時代の甲子園最後の試合となったのである。

◆1979年第61回大会3回戦 箕島(和歌山)4-3 星稜(石川)

 箕島はこの年の春の選抜王者で史上3校目となる春夏連覇を狙っていたが、その箕島を倒すために“対・箕島対策”を練ってきた星稜に大苦戦。試合は4回に両校とも1点を取り合ったまま延長戦に突入し、12回表と16回表に星稜が1点ずつ勝ち越す。だが、その裏に2死無走者と追いつめられた王者・箕島は2度とも瀬戸際で同点ホームランを放つという奇跡を演じてみせた。

 しかも12回裏は1番・嶋田宗彦(元・阪神)の予告同点弾、16回裏は星稜の一塁手・加藤直樹がファールフライを転倒して捕れなかった直後に命拾いした2年生の6番・森川康弘の放った一発だった。しかも、森川は14回裏に1死三塁というサヨナラの場面で隠し球にあってチャンスをつぶしてしまったときの三塁走者。さらに付け加えるとこのホームランが森川にとっては高校野球での初ホームランでもあったのだ。

 そして試合は引き分け再試合目前の延長18回裏に4-3で箕島が劇的なサヨナラ勝ち。のちにこの試合は“神様が創った試合”と称され、高校野球史上最高の名勝負とされているが、この試合の価値は箕島がそのまま勝ち進んで春夏連覇を遂げたことでなおさら高まったといえよう。

◆1992年第74回大会2回戦 明徳義塾(高知)3-2 星稜(石川)

 のちのメジャーリーガー・松井秀喜(元・巨人など)が伝説となった試合である。この試合、星稜の4番・松井の強打を恐れた明徳義塾ベンチは先発した背番号8の河野和洋に全打席敬遠を指示。0-0の1回表2死三塁で回ってきた第1打席、0-2の3回表1死二、三塁での第2打席はともかく、1-3での5回表1死一塁と2-3での7回表2死無走者の場面でも勝負を避けるなど、作戦を徹底したのだった。