エンジニアから「スイートピー農家」に転身した人がいる。農園を開いた場所は岡山県倉敷市。まったく見知らぬ土地で「農業に転職」を成功させるには、なにが必要なのか。同じく会社員から専業農家に転じた有坪民雄氏が、経験者に聞いた――。
画像提供=高尾英克氏
スイートピー農家を営む高尾英克氏 - 画像提供=高尾英克氏

■新卒で入った会社ではメカニカルエンジニアだった

【有坪民雄(専業農家、『農業に転職!』著者)】最初に、高尾さんが農家になったきっかけを教えてください。

【高尾英克氏(ファームたかお)】農家になる前は、自営業をしていました。DTPと呼ばれるパソコンで印刷物のデータを作成する仕事をしていたんです。当時はCRTといってすごく大きなモニターでの作業を、顧客の要望に応えるために徹夜でやるのも当たり前で、目が悪くなったんです。それで仕事を変えることにしました。2006〜2007年のことです。

【有坪】なぜ農家を選んだのでしょうか?

【高尾】もともと僕は理系出身で、新卒で入った会社ではメカニカルエンジニアをしていました。だから「なぜ農家?」と聞かれることは多いんですが、自分としては緑が好きで、自営業の傍ら、園芸関係の免許を取ったり、家庭菜園で野菜は自給していたりしたんです。だから、農家という選択は自然にそうなったという感じです。目にも良さそうだってこともありましたけど(笑)。

【有坪】前に住んでいたのが新潟ということで、米どころですよね。でも、いまここ(インタビューさせてもらっている場所)は岡山県の倉敷市です。そのあたりの経緯を教えてください。

■自分の資産から逆算して「スイートピー農家」に行き着いた

【高尾】農業を自分のなりわいにしようと決心したとき、最初に考えたことの一つが持っている資産についてでした。たとえば、私自身の親戚にもいる新潟の米農家は規模が大きく、当然のように数千万円単位の設備投資が行われます。

とてもじゃないけど、自分の資産でそんなことはできません。自分が持っている資産の範囲で、どんな農業ができるのか。そのことを考えていった結果、行き着いたのが倉敷のスイートピー農家でした。

【有坪】自分の資産から逆算していったということだと思いますが、具体的にどのように就農地と作物を決めていったのでしょうか?

【高尾】僕はもともと理系の人間ということもあって、かなり真剣にデータ収集を行いました。経営データや栽培データもそうですし、天候のデータも調べました。山梨や福島、兵庫、九州などが自分の中で候補にあがり、いくつかは実際に足を運びました。

そうした中、岡山のスイートピー農家の経営データが目に留まりました。規模が小さいながらも利益率が高く、これなら自分にもできそうだと感じました。

【有坪】それで、実際に足を運んでみたということですね?

【高尾】はい。実際に来てみて、話を聞きました。それで自分なりにシミュレーションも行いました。少ない自己資金をどう使うか、1年目、2年目、3年目と、どのくらいの収入が見込めるのか。それである程度行けそうだなと思ったところで、もちろん「本当に大丈夫だ」という確信はないままでしたけど、こっちでアパートを借りました。

■新規就農は「お見合い」みたいなもの

【有坪】目が悪くなっているのでDTPはもうできない。年齢的にも40歳を超えていたということで、再就職というのも簡単ではない。慎重に生活していても、貯金が減っていくばかりですから、どこかで腹を決めないといけなかったということですね。

【高尾】家を買ったり建てたりしたわけではないので、かかるお金はアパート代と引越し代くらい。そんなにリスクも高くありません。

今思えば、この決断が良かったのかもしれません。新規就農は「お見合い」みたいなもの。熱心さや真剣さが相手に伝わらなければ、そのエリアで行われる研修制度のメンバーになったり、就農支援センターからのアドバイスを受けたりは難しいですから。

【有坪】そのとおりですね。『農業に転職!』の原稿にも書きましたが、就農にあたってキーとなるのは、「経営(営農)計画」というのが私の考えです。その最大の理由は、就農支援機関の担当者に本気度を伝えるため。自分が生まれ育った土地ならば、知り合いのつてを使える可能性もありますが、まったく見知らぬ土地で就農しようと考えるならば、基本的に就農支援機関のバックアップは欠かせません。

■呼ばれたらどこにでも顔を出した

【有坪】話が少しそれてしまいましたが、アパートを借りた後についても教えてください。

【高尾】僕が就農したのは、倉敷市の船穂町というところです。ここは倉敷市と合併する2005年以前は、すごく小さな町だったんですけど、町のシステム自体がすごく良くできていた。全国的に見ても専業農家の割合が非常に高く、技術力や販売力というのを持っている農家も多く、そうした方々に対して行政サービスを手厚くしていたんです。

【有坪】具体的にはどういったことでしょうか?

【高尾】家庭ごみから堆肥を作って地元の農家が再利用できるようにしたり、県が主導する研修事業をいち早く採用し、新規就農者の受け入れや支援する仕組みを作ったりしていました。幸いなことに、僕はその研修制度の一人に入れてもらえました。最初の1年目は受け入れ農家での研修を受け、2年目は研修用の圃場(ほじょう)で自ら栽培を行いました。それで就農していいよ、ということになりました。

【有坪】もちろん研修を一生懸命に行ったことも重要であったかと思いますが、それと同等かそれ以上に支援制度のメンバーに入れたことが大きかったのでしょうね。なぜメンバーとして地元の方々に受け入れてもらえたのだと思いますか?

【高尾】最初から積極的に地元の方々とコミュニケーションを取ろうとしたことが良かったのだと思います。研修前も研修中も、お誘いを受ければ、どこにでも顔を出しました。自分としては、後がなかったこともあって、とにかく熱心にやるしかないと思っていましたから。

■「地元の人」とのつながりを大切にする

【有坪】就農前には就農支援機関との面談もあったかと思います。どういうことをお話しされたか覚えていますか?

【高尾】基本的には、自分がシミュレーションしていたことをそのままお話ししたと思います。それに対して、ハウスを建てようと思ったら、一棟でいくらかかって、そのお金はどこで借りられるか。そのときに使える補助制度には、どんなものがあるのか。そういった具体的な話をもらいました。

【有坪】そうしたお話をうけて、どう感じましたか?

【高尾】痛感したのは、自己資金が不足気味だということ。だから、栽培計画も厳しくシミュレーションするべきだと思いましたし、経費もそぎ落としたほうがよいだろうと考えました。

具体的には、いろいろなものを業者さんから直接買うのではなくて、だれか要らない人からもらう必要があるし、スイートピー栽培では必須のハウスもなるべく業者さんを使わずに建てたほうがいい。それなら、そのノウハウも教えてもらう必要があるなということを感じた。

だからこそ地元の方々とのつながりをおろそかにしてはだめだと、人間関係を大切にしてきました。実際、ハウスを作るのがすごく上手な先輩農家さんがいて、すごく助けられたこともあり、人間関係は重要だと実感する毎日です。

画像提供=高尾英克氏
高尾英克氏のスイートピー畑 - 画像提供=高尾英克氏

■「失敗を織り込んだ」計画を立てた

【有坪】2年間の研修を経て、3年目で実際に就農しました。順風満帆だったのでしょうか?

【高尾】少しややこしい言い方になりますが、順風満帆ではありませんでしたが、予定通りではありました。どういうことかというと、失敗を織り込んだ計画を立てていたということです。

まわりのずっとスイートピー栽培をしている農家さんに「どのくらいの収量になりますかね」って聞いたところ「やる気さえあれば、僕らが100だとしたら70くらいは採れるだろう」って言われました。

でも、僕はそんな甘くはないはずだと、50の収量で計画を立てました。実際に収穫量が50だったので、「やっぱり」とは思いましたが、悲観的になることはありませんでした。

【有坪】もし70で考えていたら、資金計画などを根本的に見直さなくてはならなくなり、「本当にやっていけるだろうか」と不安になったかもしれませんね。でも、なぜ収量が50にとどまったのでしょうか?

【高尾】最大の問題は、土地だったと考えています。ちょっと耕しただけでゴロゴロと石が出てくるような農地で、しかも土壌は強い酸性。今は根気よく耕し、土壌改良もしたかいあって収量も増えましたが、当時はスイートピーに限らず、どんな野菜でも育成は難しかったでしょうね。

■消費者との交流やSNSでの情報発信もする

【有坪】お聞きするのを忘れていましたが、農地はどのくらいの大きさですか?

【高尾】2反ちょっと(約20アール)です。労働力としては僕と妻。それから繁忙期は数人にパートタイムに来てもらっています。この規模で経営が成り立っているのは、やはりこの地域のスイートピーがブランドとして確立されてきた歴史があるからです。

有坪民雄『農業に転職! 就農は「経営計画」で9割決まる』(プレジデント社)

つまり30年間ここで栽培してきた人が出荷するものと、僕が出荷するものは、基本的に同じ値段で卸すことができます。だから僕はここで食べていくことができている。恵まれた環境で農家をさせてもらっているとも言えます。

ですから、本当に船穂町の先輩農家さんたちには感謝していますし、そうした実績を自分も守り、さらに花の栽培を底上げしていくような努力をすることで、恩返しをしていきたいとも思っています。

【有坪】その努力とは、具体的にはどんなことですか?

【高尾】さまざまなイベントを開催するなどして、一般消費者の方々やプロのフローリストさんたちとの交流を深めたり、彼らが好む色や形といったニーズやトレンドを把握しようと努めたり、ブログやSNSでの情報発信なども心がけています。

【有坪】これからの農業を考えたときには、農産物をただ生産するだけでなく、いろいろな情報にアンテナを張って、社会と関わりながら活動していくことも必要なのでしょうね。本日は貴重な就農のお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

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有坪 民雄(ありつぼ・たみお)
専業農家
1964年兵庫県生まれ。香川大学経済学部経営学科卒業後、船井総合研究所に勤務。94年に退職後、専業農家に転じ、現在に至る。1.5ヘクタールの農地で米、麦、野菜を栽培するほか、肉牛60頭を飼育。著書に『農業に転職する』(プレジデント社)、『誰も農業を知らない』(原書房)、『農業で儲けたいならこうしなさい!』(SBクリエイティブ)、『イラスト図解 農業のしくみ』(日本実業出版社)などがある。
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(専業農家 有坪 民雄)