「受験に失敗、この世の終わりかと思った…」挫折を克服するため2,000万払った、元・女医の闇
女は、直感にしたがい、時として大胆にお金をつかう。
その瞬間、彼女たちが心に描くのは、とびきりの夢や幸せな未来。
この連載で紹介するのは、“ある物”にお金をつかったことで人生が変わった女たちの物語。
欲しい物にお金をつぎ込み、夢を見事に叶えた女や、それがキッカケで人生が好転した女もいれば、転落した女もいる。
これまで、子供の塾代に500万円支払う女性やドクター争奪戦に敗れた女性や、結婚相談所に130万円かける女性、アプリで加工した顔とのギャップを埋めるために美容皮膚科に240万かける女性や、8万円で再婚した女を紹介した。
Vol.6 コンプレックス解消に2,000万支払った女性
名前:斉藤萌さん(仮名)
職業:主婦・トレーダー
年齢:37歳
「小学生の頃『大きくなったら何になりたい?』って聞かれてなんて答えていましたか?」
今回の取材対象者・萌さんは開口一番こう言った。
「私は“お医者さん”でした」
待ち合わせ場所『ブリコラージュ ブレッド&カンパニー』に現れた彼女は、艶やかな黒髪が妖艶さを惹きたてる美人だ。
「実は私、社会人になってから医学部に入り直したんです。どうしても医者になりたくて…。その学費のために2,000万以上を支払いました」
ここまで聞くと、子供の頃から諦めきれなかった夢を実現するための投資、というサクセス・ストーリーに聞こえる。
だが彼女、いま現在は医者ではない。医学部を卒業後、しばらくして辞めたという。
「夢…と言えば聞こえはいいのですが、医者になるまではかなりの暗黒時代で、コンプレックスの塊だったんです。いま思えば、自分のコンプレックスを解消するための2,000万、ですね」
社会人からの医学部受験、そして現在は主婦という驚きの経歴を持つ萌さんに、その詳しい事情を聞いてみた。
天才少女がゆえに狂い始める人生の歯車
東大医学部に合格確実と言われていた高校時代
彼女は、物心ついた時から医者を目指していた。というより、そう教育されてきた。
「父が医者だったことや、小さい頃から成績が良かったので、両親は私が医者になることを期待するようになりました。妹もいましたがそこまで成績がよくなかったし、私が長女ということもあって」
親の期待通り、都内でトップクラスの中高一貫の女子校に入り、その学校でも成績は常にトップだったという。
「こんなこと、あんまり自分から言うことではないんですが…。人より頭が良いっていう自覚は、幼いころからありました。カメラアイっていうんでしたっけ?だいたい教科書とか一度読んだら忘れないですし、旅行とかで一度しか見ていない景色とかも鮮明に覚えているタイプです(笑)」
そんな萌さんが医学部を目指すのは当然の流れだったし、本人もその気になっていた。
しかも父親含め、親族は皆東大医学部出身のため、萌さんにも同様の進路を強く希望しており、現役の時は東大しか受けなかったという。
「今思い出しても、この話をするのはつらい」と伏し目がちになりながら、当時の話をしてくれた。
「センター試験はほぼ満点でしたが、本試験で失敗してしまって…。緊張からなのか、頭が真っ白になり試験を途中で棄権してしまったんです」
模試の判定もよく、合格は確実と言われていた彼女に起きたまさかの出来事。
そしてこのことがきっかけで、人生の歯車が大きく狂い始めたのだ。
天才少女の狂い始めた人生
東大に落ち精神的ショックをうけた彼女は、とても受験を継続できる状態ではなかった。とりあえず出願していた、センター試験の結果だけで入れる有名私立大に入学。浪人する気力も湧かなかった。
医学部ではないものの、世間一般からみると十分な進学先のように思えるが、本人は全く納得がいっていなかったようだ。
「あのときの絶望感は、この世の終わりという感覚でした。世界がゆがんで見えたというか。東大医学部以外は大学じゃないと思ってましたから(笑)」
受験に失敗したというショックとトラウマで、大学に行くことすらできないこともあった。そのため、華やかなキャンパスライフとは程遠い、孤独な日々を送っていたという。
そうこうしているうちに、あっという間に就職活動の時期になった。
医者になりたかった彼女が選んだ意外な職業とは?
「医者以外の仕事を、自分の中では“仕事”と認めていなかったので全くやる気が起きませんでした。でも、外面を取り繕うことは得意なので、就職試験にはパスしたんです」
大学時代の成績が優秀だったのと、留学経験はないにも関わらず流暢に話す英語能力が買われて、外資系投資銀行に就職が決まった。
ところがハードな職場で3年ほど働いて体調を壊してしまう。
「休職中にカウンセリングを受け、やはり医者になれなかったことが大きな挫折となり、コンプレックスになっていることに改めて気づいたんです。そして医者になることでしかこれを解消することはできない、と27歳の時、医学部受験に再度チャレンジすることにしました」
だがトラウマで国立大学を受けることは出来ず、私立の医学部を受験することに。
そうなると、問題となってくるのが学費だ。最低でも2,000万以上かかるため、それをどうやって工面するか。
「実家暮らしだったので蓄えはあったので、自分の貯金と、あと残りは親に頼みこんでなんとか借りることができました。人生最大の投資ですね」
もともと天才肌の彼女は、無事合格し医学部もトップの成績で卒業。
33歳でようやく、小さい頃からの夢をかなえて医者になった。
「やっと手に入れたかったものを手に入れたのに、実際働いてみると、何かが違うって思い始めて…。これだけお金と労力をかけたのに、全く熱意が持てないんです。こういうのを燃え尽き症候群って言うんですかね…」
そして研修期間をなんとか終えたタイミングで、側にいた医学部時代の先輩と結婚することになり、結婚を機に医者をやめたという。
結局コンプレックスを解消したかっただけかもしれない、と彼女は話す。
「2,000万もかけたのに、という感じですが、小さい頃からの“医者じゃなければ人じゃない”という呪縛から、やっと解放されました。でも親にお金だけは返さないとと思ってるので、外銀時代に得た知識を活かして、今はネットトレーダーをしてます。対人ではない、こういう仕事の方が自分に向いているみたいで(笑)」
そう語る萌さんは、現在1歳になる息子がいる。医者になりたかったというコンプレックスに悩まされることも鬱状態になることもなくなったという。
「たとえ今医者でなくても医学部を卒業したことで、人生が好転しました。自分自身を、認めてあげることができたんです。自分の子供には、職業や学歴を押し付けるようなことは絶対にしないようにしたいと思います。それで人生を壊すことにもなりかねませんからね」
コンプレックスが解消され、人生の後悔が無くなるのであれば、金額の多寡は問題ではないのかもしれない。笑顔で語る萌さんを見ていると、そう感じた。
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