「その10年が人生を決める」とも言われる、20代。

大半は自分の理想や夢を追い、自分の欲に素直になって、その10年を駆け抜けていく。

しかし中には事情を抱え、20代でそれは叶わず、30代を迎える者もいる。

この物語の主人公・藤沢千尋は病に倒れた母のため、都会に憧れつつも地元の愛媛に残り20代を過ごす

しかし母が他界したことをきっかけに、30歳からもう一度、上京を決意し、就職活動を始めることに。

苦戦しつつも父の紹介もあって総合法律事務所に就職が決まり上京した千尋は、就職先で茉莉と出会ったことをきっかけに、婚活デビューを果たすのだった。




「はぁ!?なんなの、その男!」

婚活パーティで出会った男・神田春樹とのデートの報告をすると、茉莉がそう声を荒げた。話を聞いてもらっていた千尋の方が「まあ、落ち着いて」と逆になだめる形になる。

事の発端は、1週間前のことだった。

ホテルのラウンジで軽く1杯、ということになり、千尋は仕事終わり、待ち合わせ場所に指定された六本木の『The Bar』に向かう。

しかし高級感溢れる雰囲気にすっかりしり込みしてしまい、“外で待ち合わせて一緒に入りませんか”とLINEを送ってみたのだが……。ほんの数秒で既読がつき、送られてきたメッセージはこうだった。

“僕はもう中にいます、効率が悪いので中で会いましょう”

そのとき、ちょっと冷たい人だなと一瞬嫌な予感はしたものの、まだ久しぶりにデートに誘われた喜びが断然勝っていた。

―まあ、忙しい中時間つくってくれてるんだから…。

なにせ弁護士なのだ。忙しいことは勤務先の弁護士たちを見て十分知っている。気がかりなのは、そんなことよりも美人揃いだったあの婚活パーティーで、なぜ圧倒的に地味な自分を選んだのかということだ。

―人違いだったらどうしよう……。

そんな不安を胸に、千尋はなんとかラウンジにたどり着いたのだった。


婚活初戦は“ヤバイ男”……?春樹が吐いた、衝撃的な一言


「僕のこと、覚えてました?」




席に着くなり春樹は陽気にそう尋ねてきたので、ひとまず人違いではなかったのだと千尋はそっと胸をなでおろす。

「もちろんです、ちゃんと覚えてました!」

「じゃあ勤務先はどこだったか言えます?」

30代後半に見える春樹は、キラキラと目を輝かせて問いかける。クイズ形式にしたのは彼なりのアイスブレイクなのだろうと思いながら答えた。

「丸の内の法律事務所で、弁護士をやってるって、おっしゃってた気がします」

途端に春樹の顔から明るさが消える。顎を上げて、「ふーん」と声に出しながら冷たい視線で千尋を見た。

―えっ、私なにかマズいこと言ったのかな……。

「君ってさ、30歳で上京してきて法律事務所に入ったわけだよね、やっぱり弁護士狙いなわけ?ハイスペがいいの?」

―べ、弁護士狙い……?

返事もできず、ぽかんとした表情で固まっていると、春樹は「あ、ごめん」と話し始めた。「冗談ですよ」と続くと思っていたら、その予想はあっさり外れた。

「職場に使えない新人が多くて。つい癖で君って言っちゃうんだよね……」

話し出すと彼は止まらない癖があるようで、その後も職場の後輩弁護士の愚痴が続く。右から左に流れていきそうになる春樹の話をなんとか食い止め、千尋は要所要所で相づちを打った。

「……で、なんで弁護士がいいの?」

30分ほど春樹の独壇場だったところで油断していると、急に話が戻された。完全に春樹のペースに振り回されている。

「特に弁護士がいいわけではなくて……」

「でも僕が弁護士ってスペックじゃなかったら絶対ここに来なかったよね?」

「そ、そんなことは……」

―なんで私、こんなに責められているんだ……?

「じゃあなんで、あれだけたくさんの人と会って、僕の肩書しっかり覚えてるの?」

だんだんと面倒くさくなってきて、さすがに千尋にも小さな反抗心が芽生える。

「で、でも……、神田さんも私が30歳で上京してきたこととか覚えているんだし、別に私が神田さんの肩書を覚えててもおかしくはないと思います」

この理論だったら反論できないだろうと思いながら言ってみると、春樹はまた鼻をならした。

「僕は特別記憶力がいいんだよ」

“だって弁護士なんだから”とは口にしなかったものの、その言葉が滲むように伝わってくる。

「そ、そう……ですか」

そんなやりとりを含めながら当初の予定通りきっかり2時間を過ぎたとき、春樹のスマホのアラームが鳴った。

「さ、時間ですね。帰りましょう」

彼はすっと立ち上がる。2時間前、運命の人が待っているかもしれないと、そう少しでも思っていたことが嘘のようだった。

そして、これまた嘘のような話だが、春樹は別れ際、「次はちゃんと食事しましょう」と2回目があることをしっかり匂わせてきたのだ。

マイペースな春樹に、調子が狂わされる。千尋は彼と別れた瞬間、自分が空腹であることに気づいた。



「で、まさか行かないよね?2回目」

千尋がすぐに答えられずにいると、茉莉は「はぁ〜」と深いため息をついた。そしてあきれたように聞いてきたのだ。

「千尋って、まさかのダメ男好き?」


自分のタイプが分からない……。20代で恋愛をしなかった女の現実


「私、そもそも自分の好きなタイプが分からない……」

「えっー、千尋、もう30でしょ!?」

言われてみればそうなのだ。もう30歳。とっくに自分探しなんてみんな終わっている。“30歳・未婚”というカテゴリーに、一見、茉莉と仲良くいるつもりでも、実情はかなり違っていることに気づかざるをえなかった。

「とにかく、早くその男は切るべきね!30でそんな男と付き合ってる暇はないわ」

茉莉は強い口調でそう言い切ったのだった。

本音を言えば、春樹がいい男だとは全く思えていない。ラウンジでの一件のあと、千尋はふと、“30代後半男 独身”と検索してみたのだが、出てきたのは思った通り、「ワケあり」など否定的な言葉ばかり。

でも―、と千尋はそのとき思ってしまったのだ。

―私だって、30で上京してきて、ワケありじゃん……。




彼にも彼なりの事情があるかもしれないと思うと、なかなか簡単に切ることができないのだった。


予想外の関係性


「お疲れ様」

それから数日後、残業を終え、職場近くのコンビニで飲み物を選んでいると、後ろから声をかけられ、振り返ると速水が立っていた。

「あっ、……お疲れ様です」

何か世間話でもした方がいいのかと迷いつつ彼をそっと見上げると、速水が千尋に気を取られている様子は一切ないように見えた。

―まあ、無理に話しかける必要もないか。

そう思っていた矢先だった。

「春樹と知り合いなの?」

そういえばさ、というくらいのテンションで速水はそう尋ねてきた。驚きのあまり、鼓動が途端に早くなる。

千尋が答えられずにいると、外から急に雨音が聞こえてきた。1秒ごとに強くなり、ザッーという音で辺りが満たされていく。

「すごい雨だな」

速水が独り言をもらす。

「あ、傘……」

ちょうど速水の手に傘があったので、思わず千尋は自分が傘を持っていないことに気づき、そうつぶやいてしまった。

―入れてください、なんて言えない……。

「たぶん一時的な雨だから、駅まで送るよ」

速水は何でもないことのように告げた。



「あの、そういえば、速水先生ってどうして弁護士になろうと思ったんですか?」

沈黙になるのが気まずくて、千尋が唐突に尋ねると、速水は急に笑い出した。

「……どうしたんですか?」

「いや……。面接で上京の理由を尋ねたこと、まだ根に持ってるのかなと思って。その仕返しかと」

「そんなわけないじゃないですか。純粋な質問です」

「うーん、なんだろう…?20代のころは人の役に立ちたくて、とかそんな理由を恥ずかしげもなく口にできたんだけど……。結局親が弁護士だったからかもしれない。

……そんな答えだったら、僕は面接で落とされてしまうね」

「いえ、そんなことは」

困っている千尋を見て彼がまた笑った。可愛い人だと思いながら、肩が触れ合わないように絶妙な距離をとって歩く。

駅に着くころには雨はすっかりやんでしまって、お礼を言うと、彼はあっさり来た道を戻っていった。

―あっという間の時間だったな……。

“緊張するのに心地良い”その感覚はどうしたって春樹に対しては抱けないことをはっきりと理解する。好きになれないものは、どうやっても好きになれない。千尋は自分の感覚に素直になろうと決めた。

スマホを取り出し、返事をできずにいた春樹に断りのLINEを送る。バッグにしまおうとして、ハッとした。

―私、来月にはもう31歳だ……。

本当に、運命の人が東京にいるんだろうか?キラキラと輝く六本木の街に目をやりながら、そんなことをふと思った。

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恋は灯台下暗し!?誰にも気づかれないはずの誕生日に、千尋を待つ運命とは

▶明日8月16日(金)は、人気連載『家族ぐるみ』

〜夫の学生時代の友人2家族と、家族ぐるみの付き合いを開始した美希(36)。マンネリな日常からの変化に喜んだのも束の間、いつしか関係はいびつに変化していき…。続きは、明日の連載をお楽しみに!