テレビは連日、甲子園の熱戦の模様を伝えている。もちろんすべての試合をチェックしているわけではないけれど、実況と解説がそのやりとりの中で、甲子園のあり方に触れたり、疑問を投げかけたりするシーンに出くわすことはない。目の前で行われている試合について両者はきわめて従順な姿勢で言葉を交わしている。

 令和になって初めて迎える夏の甲子園。「それは令和という新しい時代に相応しい概念なのか」という視点が、巷でいまスタンダードになりつつあるとすれば、甲子園はその格好の題材になる。

 大会前、岩手県大会決勝対花巻東高校との一戦で、大船渡高校のエース佐々木朗希投手が登板を回避した一件について、その是か非かで湧いていた。そうした中で、サンデーモーニング(TBS)のスポーツコーナーで毎週、ご意見番役を担う張本サンは「怪我が怖かったらスポーツはやめた方がいい」という、非令和的というべき見解を例によって大きな声でドーンと述べた。議論に拍車が掛かる起爆剤となった。

 非令和的とはもちろんこちらの見立てになるが、張本サンの意見に賛同する人は思いのほか多くいる。決勝戦でも投げさせるべきだった! との意見の持ち主は4割近くに及ぶと思う。大雑把に括れば半々と言ってもいいくらいだ。8対2のような一方的な関係にはない。対立軸が鮮明な議論するにはもってこいの題材だと思う。

 ところが夏の甲子園が始まると、そのあたりの議論は下火になった。大多数のメディアが大会を盛り上げたがっているからだと思う。懐疑的になるより、素直に従った方がいまは得策だ、と。夏の甲子園は日本のスポーツ産業を支える貴重なコンテンツであるからだ。

 高野連とともに大会を主催するのは朝日新聞社だ。テレ朝もそれに深く関わっている。春の選抜はTBSと関係が深い毎日新聞との共催になる。読売新聞と関係深い日本テレビは、冬の高校サッカー選手権だ。正月の箱根駅伝も関東陸連とともに主催する。

 また、フジテレビといえば春の高校バレーが有名だが、大手メディアは甲子園の高校野球に限らず、学校スポーツの大会と積極的に関わってきた。セールスプロモーションにそれを活用してきた。

 日本のスポーツ界が令和的になれない大きな理由だ。日程や競技方法など、様々な箇所を見直すことは、主催者でもあるメディアにとって歓迎すべき話ではない。報道する側にとっては、従来通りであった方が何かと都合がいい。

 平成最後となった昨年の夏の甲子園では、金足農業の吉田輝星投手が881球を投げて話題になったが、令和的には是非論が大いに湧いてもいいテーマだ。しかし、その連戦連投で世間が盛り上がったことも事実。世間が盛り上がれば、関連するメディアも儲かる。強引に言ってしまえば、会社の利益を考えれば、張本サン的な考え方を肯定した方が得策なのだ。

 スポーツ界に令和的な思考法が浸透しない理由だ。メディア自らがブレーキを踏んでいるという印象だ。

 岩手県大会の決勝戦で、佐々木投手を先発のマウンドに上げなかったのは、誰なのかと言えば監督だ。問われているのはこの監督の選択になる。張本サンは、その監督の判断に異を唱えたわけだが、こうしたケースは珍しいと思う。

 高校野球に限らず、学生スポーツは、学生スポーツと言いながら、監督というポジションには大人が座る。実際にプレーを実行するのは学生や生徒ながら、監督も間接的にはプレーヤーなのだ。監督の判断は結果に大きな影響を与える大きな要素になっている。だが、そうした特異性を指摘する人は少ない。

 クラブスポーツならば監督はプロだ。アンダーカテゴリーの監督に求められるのは成績もさることながら、それ以上に上のカテゴリーに優秀な選手を送り出したかになる。少なくともサッカーでは批評の対象になるが、甲子園の高校野球で、たとえばテレビの解説者が監督采配に異を唱えることはほとんどない。選手のプレーの善し悪しについては言及しても、監督が送った指示の善し悪しについては語ろうとしない。