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ジョン・トジェイロ製作 小型2シーター

1950年代のモータースポーツ界で、リスターほど刺激的な名前は多くないだろう。その有名な名前を冠する最初に製造された車両が売りに出されている。1951年製リスターJAPは、同社にとってその始まりを象徴する車両だ。最近開設されたリスター・クラシックは、この貴重な車両を売りに出すという。

しかし、決して安くはないはずだ。その重要性に相応しい値段は公開されておらず、事前に約束した人のみが実車を見ることができる。リスターJAPは、ACエースの開発で高名なエンジニアのジョン・トジェイロによって設計・製作された。

リスター最初のクルマ「JAP」

トジェイロは、ケンブリッジにあったエンジニアリング会社ジョージ・リスター&サンズの顧客だった。そしてジョージの息子ブライアン・リスターはこの小さな2シーター車を見た時、すぐに購入を決めた。

車名にあるように、エンジンは1100ccのJAP製V型2気筒を搭載。これにジョウェット・ジュピター製マニュアル・ギアボックスが組み合わされていた。この車両にはシャシーナンバー「BHL1」(ブライアン・ホランス・リスター)が刻まれ、これがシャシー・プレートにリスターの名前を持つ最初のクルマになった。同時にこれが「リスター」と名付けられた最初のクルマにもなった。

ヒストリックカー・レースに参戦も可能

数々のヒルクライムやスプリント・レースで成功を収めた後、エンジンはドン・ムーアによってチューンされる。そして「隻腕の名手」として知られるアーチー・スコット・ブラウンの運転によって、1950年代初期のレースで多くの勝利を挙げ始めた。

それによってチームの知名度は急速に上がっていった。JAPは売却され、リスターとスコット・ブラウンはリスターを自身のブランドとして確立することに注力する。1950年代後半にはDタイプのエンジンを搭載したリスター・ジャガーで大きな成功を収めた。

レース参戦も可能

その後もJAPは1950年代の間にはレースを続けたが、それからずっと姿を消してしまっていた。幸いなことに2009年に納屋で発見されたものの、その時は大掛かりな修理が必要な状態だった。現在は写真で見られるとおり、見事に修復されている。

JAP製1100ccやジョウェット製ギアボックスなど、ブライアン・リスターが所有していた当時の仕様に戻されており、サーキットではその実力を発揮できる。ただ、新たなオーナーを必要としている。グッドウッドをはじめとする多くのヒストリックカー・レースに出場する資格があるという事実が、この重要なクルマの価値をさらに高めている。

ランカシャーのショールームに展示中

「すべての物語には序章というものがあります。まさにこのクルマからリスター・モーター・カンパニーの歴史はスタートしたのです」と、同社のローレンス・ウィテカーCEOは語っている。

「このクルマによって、ブライアン・リスターとアーチー・スコット・ブラウンは、レーシングカー・マニュファクチャラーとレーシング・ドライバーとしてのスキルを磨くことができたのです。そしてさらに速く、成熟したレーシングカーを作り上げるに至りました。このリスターJAPは本当にかけがえのない、モータースポーツの歴史の一部です」

リスター・クラシックのショールームで展示中

リスターJAPは、ランカシャーにあるリスター・クラシックのショールームに展示されている。ただし、実車を見るには事前に約束が必要だ。

次の幸運なオーナーがこのクルマに相応しい使い方をしてくれて、われわれの誰もがヒストリックカー・イベントでこのクルマの走りを見られるようになることを願いたい。