指折りの実力とブランド力、メガクラブへの登竜門…中島翔哉の新天地・ポルトってどんなチーム?

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「もしチャンスがあれば、将来はポルトでプレーしたい」

「リトル・エンペラー」と称されるほどのインパクトを残したポルティモネンセ時代、中島翔哉は現地メディアに夢を語った。時を経て2019年7月6日、ポルト伝統の青白のユニフォームを身にまとう中島の姿が、ポルトガル全土を駆け巡った。

 移籍を公表するやいなや、ポルトはクラブの公式Twitterに中島のインタビューを掲載。そこには「ポルトのユニフォームを着て、一員になれてすごく嬉しい」と夢の実現に満面の笑みをもらす中島の表情があった。

 日本人初、アジア人としては元韓国代表ソク・ヒョンジュンに次ぐ2人目。これまでアジアとは縁遠かったポルトに、日本代表次代のエースが加入したのは、日本サッカー界にとって大いなる一歩と言えるだろう。このポルトというクラブが誇るヨーロッパでの実力・ブランドと日本人選手が紐付くことは、中島にとっても日本サッカー界にとっても、さらなる発展を予感させる。

過去17年のリーグタイトルを独占する“2強”の一角

 ポルトは、ベンフィカと双璧をなす「ポルトガルの2強」の一角だ。ポルトガルリーグは「“3強 (トレス・グランデス)”が支配するリーグである」と言われて久しいが、スポルティングは2001−02シーズン以来約20年もリーグタイトルから遠ざかっており、近年は優勝争いにすら絡めていない。スポルティングが最後にリーグ優勝を飾ってからは、ポルトが10回、ベンフィカが7回とリーグタイトルを両者が独占。わずかだがポルトが上回っているような状況だ。

 また、ポルトは国内リーグだけでなく、ヨーロッパの舞台でも安定的に存在感を示している。ヨーロッパカップが現行のチャンピオンズリーグ(CL)に名称を変更した1992年以来、ポルトはこの欧州王者を決める由緒ある大会に23回も出場。これは、スペインの2大巨頭レアル・マドリードとバルセロナに並ぶ数字だ。

「ポルトガルでは最高級のチームのひとつであり、ヨーロッパでも指折りの強豪クラブ」――。これが、ポルトの実力を端的に示す表現だろう。特に21世紀に突入してからは、後世に語り継がれるべき印象的なシーズンを度々送ってきた。以下、3つ例を挙げよう。

全世界に轟いた『ポルト』と『ジョゼ・モウリーニョ』

 まずは、2002−2004シーズンのジョゼ・モウリーニョ監督期。リーグ2連覇のみならず、UEFAカップ(現行のEL)とCLを連続で獲得するという、ポルトガルのクラブとしては歴史上類を見ない偉業を達成し、『ポルト』と『ジョゼ・モウリーニョ』の名を全世界に轟かせた。

 モウリーニョは「ポルトガル人監督」というブランドを全世界に広げるパイオニアとなった。彼に師事したリカルド・カルバーリョやデコらは、その後欧州のスター選手の仲間入りを果たす。また一部の選手たち、すなわちヌーノ・エスピリト・サントやセルジオ・コンセイソンらは、今では欧州を代表する次世代の名将候補として、当時の指揮官ジョゼ・モウリーニョの足跡を追っている。

4冠と2季連続の無敗優勝を達成し崇拝の対象に

 次いで、そのモウリーニョのもとで分析官を務めていたアンドレ・ビラス・ボアスと、彼の跡を継いだヴィトール・ペレイラが指揮を執った2010−13の3シーズン。前者はリーグ無敗優勝と当時最年少でのEL優勝を含む4冠を達成し、1年でクラブを勇退。後者はコーチを務めたビラス・ボアス監督期から2年連続でリーグ無敗優勝を成し遂げた。選手としても、2年連続でリーグMVPを獲得したフッキ、EL得点王を戴冠したラダメル・ファルカオ、のちにW杯得点王の栄誉を授かるハメス・ロドリゲスなどを輩出し、まさにポルトの一時代を築き上げた。