専業主婦がいないと回らない日本の「構造問題」
女性の社会進出を促進させるには、日本企業の雇用形態の見直しが必要です(写真右より、東京大学大学院教育学研究科の本田由紀教授、ジャーナリストの中野円佳さん)(撮影:梅谷秀司)
東洋経済オンラインでの連載「育休世代VS.専業主婦前提社会」に大幅加筆した書籍、『なぜ共働きも専業もしんどいのか〜主婦がいないと回らない構造』が発刊された。これに合わせて、本著の中で書籍や論文の引用をさせてもらった有識者らにインタビュー。第3弾は、東京大学大学院教育学研究科の本田由紀教授。
崩れつつある「戦後日本型循環モデル」
中野:本田先生は、戦後の日本において、仕事・教育・家庭の3領域において循環が起こっていたとする「戦後日本型循環モデル」と、その破綻について唱えておられます。
戦後日本型循環モデルとは若者が新卒一括採用で企業に入り、正社員になれば長期安定雇用と年功賃金を得られる。そうして家族を持つことができるようになり、父が持ち帰る賃金を受け取り母が家庭での役割を担い、次世代の子どもへの教育にも時間や費用をかけられたということですね。
(出典:本田由紀『社会を結びなおす―教育・仕事・家族の連携へ』(岩波ブックレット、2014)
しかし、それが崩れつつあります。まずバブル崩壊以降、正社員になれない人たちが増えた。家族形成できないような低賃金や劣悪な労働条件なのに、男性が稼ぎ主で、女性は家庭にといった価値観はあまり変わらない。ゆえに、共働きで支え合うという形にもなりづらく、少子化につながった。子どもに与えられる教育にも格差が出ている……これが戦後日本型循環モデルの破綻ですね。
拙著ではそれを参考に、「主婦がいないと回らない構造」の図を描かせていただきました。最初にこのモデルが崩れてきているとして提示されてから、現在に至るまでの変化をどう見ていらっしゃいますか。
本田:この図を初めて提示したのは2008年のことです。戦後日本型循環モデルが崩壊しつつあるという図に関しては、あまり状況は変わっていないと思います。
バブル崩壊以降に正社員雇用が減少し労働環境が悪化したという点については、団塊世代の引退などで就職環境が改善しているので、やや正社員雇用が復活している側面はあると思いますし、一部には働き方改革が進んでいるホワイト企業もあります。
が、企業内の働き方は大きくは改善していないでしょう。仕事と家庭の関係も、いまだに男性育休の取得率は低く、女性の就労率は上がっているとはいえパート中心。家族と教育の関係も、家庭に教育費がのしかかり、家庭間で格差が広がるという状況が続いています。保育も足りていません。
循環モデルは一方向では成り立たなくなっている
中野:循環モデルでは教育→仕事→家庭→教育という形で一方向だった矢印を、これからは双方向にしていく必要があるとおっしゃっています。
本田由紀(ほんだ ゆき)/1964年生まれ。東京大学大学院教育学研究科教授。専攻は教育社会学。著書に『社会を結びなおす』(岩波書店)、『もじれる社会』『教育の職業的意義』(ともに筑摩書房)、『軋む社会』(河出書房新社)、『「家庭教育」の隘路』(勁草書房)、編著書に『現代社会論』(有斐閣)など(撮影:梅谷秀司)
教育→仕事はこれまでは人材が教育サイドから新卒一括採用で送り込まれるだけだったけれども、一度仕事に就いた人が再度戻ってリカレント教育を受けるとか、仕事サイドとの対話によって職業にとって有用な教育訓練をしていく。
仕事→家庭では妻が家族賃金を受け取るという形ではなく、きちんと男女ともにワークライフバランスが実現され、男性も家庭に関わるし女性も仕事や公的な場で報酬と発言力を得る。
家庭→教育も、家庭の資源によって子どもの有利・不利が左右されすぎないよう、学校が子どもの教育達成を保障したり保育園が増えて子育てに関する家族の負担を減らすといったことを提示されています。こうした双方向にしていく動きについて変化は見られますか。
本田:10年間こうした内容を発信してきたのですが、最近ようやく国の議論でも同じようなことが土俵に上がりはじめていると感じます。
まず仕事については、従来のような、時間・場所・職務が限定されず「いつ転勤辞令が出てもどこにでも行きます」「どんな業務でもやります」といったメンバーシップ型の働き方ではなく、ジョブ型雇用、つまり、ある特定の業務や、勤務場所、時間などを固定して働ける正社員を増やしていく必要がある。企業によってはテック系専門人材に新卒から1000万円を提示するといった事例がでてきていますよね。こういったことは事務系でも可能なはずです。
中野:ジョブ型正社員と、日本企業における終身雇用に代表されるメンバーシップ型正社員。今後、その両方が存在する企業が増えていくとして、ジョブ型は社内にその仕事がなくなると解雇されうる、という状況ですよね。
中野円佳(なかの まどか)/1984年、東京都生まれ。ジャーナリスト。東京大学大学院教育学研究科博士課程在籍。2007年、東京大学教育学部卒、日本経済新聞社入社。金融機関を中心とする大企業の財務や経営、厚生労働政策などを担当。2014年、育休中に立命館大学大学院先端総合学術研究科に提出した修士論文を『「育休世代」のジレンマ』として出版。2015年に新聞社を退社し、「東洋経済オンライン」「Yahoo!ニュース個人」などで発信をはじめる。現在はシンガポール在住(撮影:梅谷秀司)
そうなると多くの人は、解雇の不安がない旧来型のメンバーシップ型を選びがちなのではないでしょうか。それでは、日本の会社全般として働き方は改善しないように思います。システム全体をジョブ型に変えていく必要があるのではないでしょうか。
本田:でもいきなり全体をジョブ型に、というのは現実的ではないのではないかと思います。ジョブ型にしていくには、ジョブディスクリプション(その人の職務範囲を決めること)が必要です。
しかし、日本企業の人事自体に専門性がなく、前例踏襲をしてきたために、社員の採用や配置に関する新しい制度や取り組みの導入には腰が引けています。まずは部分的にでもジョブ型正社員を導入し、徐々に拡大していくというステップを踏むことは必要だと思います。
中野:ジョブ型正社員は今までの非正規社員とどう違いますか?
本田:ジョブ型は無期雇用です。これまでの非正規は有期雇用ですから、圧倒的に立場が弱かったのに対し、ジョブ型正社員は雇用の安定が得られます。
また、非正規は低賃金である場合が多いですが、ジョブ型正社員はジョブの専門性に見合った賃金が得られることが前提です。もちろん拠点が閉鎖されたら解雇されるなどはありますが、閉鎖されない限りは無期雇用かつ妥当な賃金で働ける。そこに向かって移行していくことが私は必要だと思います。
新卒正社員と非正規社員の間の選択肢
中野:これまでは、総合職正社員でさまざまな福利厚生も終身雇用も享受できた層と、そこに新卒時に入れなければ非正規社員で報われないという二極化をしていたので、その間の選択肢を作っていくということですね。
ジョブ型でもきちんと処遇され、家庭責任を担う人も、正社員として時間や場所が限定されてもきちんと評価されていくことが大事ですよね。
改善の動きとして、教育・企業間の領域の変化はどうでしょうか。
本田:企業の人の中には、いまだに自分たちが学生だった頃の大学のイメージで、大学時代は何も勉強しないものだという固定観念を持っている人もいますが、大学はいまや以前のようにレジャーランドではありません。大学教育の密度は上がってきていますので、学生たちは単位を取り、学ぶのに忙しくなってきています。
企業側は、採用の際には、コミュニケーション力や熱意といった曖昧なものではなく、「これまで何を勉強してきて、どんなスキルや能力を持っているか」をちゃんと見てほしいと思います。
在学中にきちんと学んでから就職活動ができるよう、できれば大学での取得単位や成績が出そろい、卒業論文も書き終えてから採用活動をするのが望ましいです。現状では、インターンシップなどを通じて採用活動が際限なく前倒しされている傾向があります。
中野:家庭領域については、いまだに多くの女性が子どもや高齢者、障害を抱える家族などのケア、家事、教育などを担っています。男性の働き方や社会構造が専業主婦がいることを前提にしており、働くとしても非正規という場合が多いです。また、正社員になれたとしても一般職的な業務。総合職になれたとしても統計的差別やハラスメント、マミートラック……と問題山積です。男女賃金格差は世界の中でも大きく、なかなか是正されません。
(後編に続く)