■人工知能に仕事を奪われたら「ゲーム」をすればいい

人工知能の進化が社会にどのような影響を及ぼすのか、その行く末を巡りさまざまな議論が行われている。

「遊び」を通じて学習するのは、決して子どもだけではない。(PIXTA=写真)

そんな中、人々の関心が高いのは、どうやら「人工知能に仕事を奪われるかもしれない」ということらしい。

いろいろな方に、真顔で「私の仕事、なくなるんでしょうか?」と相談されることがある。仕事がなくなると、生活ができなくなる。そんなイメージが強いので、心配になるのだろう。

一方で、人工知能が発達すると、人々が働く必要が減るという考えもある。人間が仕事をしなくても人工知能が代わりにやってくれるから、それで済むという見通しである。

一部のメンテナンスや開発、あるいは人と人とのコミュニケーションの仕事を除けば、人工知能が全部やってくれる世界。働かなくても収入がある「ベーシックインカム」が実現した社会。それは、聖書の「エデンの園」のようなすべてが満たされた楽園に近いのかもしれない。

人工知能で地上の楽園が実現するかどうかは別として、もし、人間に仕事がなくなっても別に困ったことにはならないと私は考える。

仕事がなくなったら、何をすればいいのか? 私はただ単に、「遊び」をすればいいと思うのである。

脳科学的に言って、「遊び」は学習の機会である。遊ぶことで、新しいスキルや知識が身につき、脳の回路が書き換えられていく。

動物行動学の知見では、動物たちは成長のある時期に特に頻繁に「遊び」の行動をする。たとえばお互いにじゃれ合ったり、自然のさまざまなものを触ってみたりする。

興味深いことに、動物の脳の中の神経細胞同士の結合パターンは、「遊び」をしている時期に一番つなぎ変わっている。つまり、「遊び」が「学び」になっているのである。

人間の特徴は、大人になっても遊ぶことである。そのことによって新しい世界が生まれ、学びが続いていく。

ビジネスでよい仕事をしている人は、よく遊ぶことが多い。高度経済成長期には、日本の大人たちはもっと遊んでいたように記憶する。遊ぶことでこそ、人間は成長できるのである。

もし、人工知能が進化して人間が「仕事」としてやることがなくなったら、徹底的に遊ぶことで時間をつぶせばいい。後ろめたく感じることはない。遊ぶことで、学びが進み、世界を変えることができるのである。

「遊び」は、言い方を変えれば「ゲーム」。極端なことを言えば、人工知能以降の世界では人はずっとゲームをしていればいい。

■さらに進んだゲームの解析

囲碁、将棋、チェスで人類をはるかに凌駕する能力を持つ人工知能「アルファゼロ」をつくったディープマインド社も、最近はさらに進んだゲームの解析に取り組んでいる。

もともと、さまざまな社会、経済事象が「ゲーム」として捉えることができる。仮想通貨の開発競争もそうであるし、ベンチャーへの投資や、学びのテーマの選定もすべて「ゲーム」であり、「遊び」だ。

気をつけなくてはいけないのは、脳の中でどのような「学び」が進むかは、どんな「遊び」を選ぶかに左右されるということ。単純な「遊び」を選べば単純な「学び」になるし、奥深い「遊び」を選べば奥深い「学び」になる。

ポスト人工知能時代に向けて、より楽しく深い「遊び」を選ぶ工夫を重ねたい。

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茂木 健一郎(もぎ・けんいちろう)
脳科学者
1962年生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学院理学系研究科修了。『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞受賞。『幸せとは、気づくことである』(プレジデント社)など著書多数。
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(脳科学者 茂木 健一郎 撮影=横溝浩孝 写真=PIXTA)