湘南でプロキャリアをスタート。現在はレンタル2年目の愛媛で研鑽を積む。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

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 2020年に開催される東京五輪。本連載では、活躍が期待される注目株の生い立ちや本大会への想いに迫る。
 
 5回目は、切れ味鋭いドリブルが持ち味で、年々類稀な攻撃センスにさらなる磨きをかけている神谷優太が登場。
 
 湘南に加入した2016年にはルーキーながらリーグ戦14試合に出場するなど、プロの舞台でもすぐに存在感を示すと、昨年からレンタルで加わっている愛媛では10番を背負い、チームを牽引。世代別代表にもコンスタントに名を連ねるエリートは、いかにその攻撃センスを身に付けてきたのか。その裏には、驚異的な決断力と行動力があった。
 
 後編で語ってもらったのは、湘南から愛媛へのレンタル移籍を決断した理由、世界との差を埋めるためにはどうすればいいか、同世代のライバルたちへの想いだ。
 
前編はこちら
【連載・東京2020】神谷優太/前編「プロになるのは当然。その先を見据えていた」

中編はこちら

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――高校サッカーとプロの世界では、どんなところで違いを感じますか?
「全部ですよ。プレースピードもそうだし、判断が遅かったらすぐやられますし。全部違いますね」
 
――プレッシャーも大きい?
「湘南でのプロ1年目は、正直、プレッシャーとかはまったくありませんでした。スタメンで試合に出るってことしか考えていなかったので。周りのことなんか考えている暇はなかった。ただ2年目になって、湘南の7番を背負わせてもらって、ちょっとそこからプレッシャーも出てきたかもしれません。そこで、勝負の世界を自分の力でどれだけひっくり返せるかという能力の必要性を痛感しました」
 
――プロキャリアをスタートさせた湘南では、1年目から出場機会を得ます。リーグ戦では14試合でピッチに立ちましたが、2年目は7試合と出番が減少。プロ3年目の2018年シーズン、現所属の愛媛へのレンタル移籍を決断しました。
「相当に迷いましたね。17年シーズンの終盤にJリーグの試合に出させてもらって、すごく良いプレーができたんです。自分の中でもベストパフォーマンスと言ってもいいくらいで、試合が終わった後に、(監督の)者(貴裁)さんに『なんか変わったよね』『なんか吹っ切れているよね』みたいな感じで言われて。そこでまた自信になったんですけど、でもなんかちょっと、自分の能力に対して物足りなさを感じて……それで、移籍してみようかなって。最後の最後に決めました」
 
――愛媛に移籍する理由のひとつが、自分に対する『物足りなさ』だったと。
「僕はけっこう調子の波があるので、試合に出続けるためには、そこを変えないといけないのかなと。1シーズンを通して試合に出る。それが去年の目標でしたけど、怪我もあって、達成はできませんでした」
 
――「勝負の責任を負う」といった趣旨のコメントもよく聞かれますが、そういう面での意識改革も、環境を変えたひとつの理由だったのでしょうか?
「そうですね。多分、高校の時にある程度、ベースはできていたとは思いますけど、プロになって、結局1、2年目は、言ってしまえば、下っ端みたいなものですから。先輩に任せる部分はわりと多かった気がします。だから、自分でどうにかするとか、自分でこのチームを変えるとか、きれい事に聞こえますけど、そういうメンタルも大事かと考えて」
 
――実際、愛媛に来てからは、自分を追い込むような発言がけっこう多いですよね? 意図的に発しているのですか?
「いやー、どんな発言をしたかまったく覚えていないですけど(笑)、覚えていないからこそ、自分にとってはノーマルなことなんでしょうね」
 
――無意識に自覚や責任感を強くしている。
「どうなんでしょうね。でも、自覚や責任感といったものを意識しながらプレーしているとは思います。だから、自分でも気づかないぐらい、そういった自分を追い込むような発言をしているんだと思います」
 
――自身の成長を実感しているのでは?
「間違いなく、成長はしていると思いますね」
 
――愛媛での1年間のレンタルを終えて、東京五輪の前年という意味でも重要な今季は、J1の湘南に戻る選択肢もあったはずですが、レンタル期間を延長しました。理由は?
「正直、東京五輪のことは、二の次に考えて、自分がどれだけ上のステージに上がれるか、それはJ1のチームもそうですし、海外のチームもそうですし、もちろん愛媛をJ1に上げるためにはとか、いろいろ考えたなかで、もっとJ2でずば抜けた能力を出さないといけないって考えたんです。去年は怪我もあって、7点しか取れなかった。何も成し遂げていなかったので、愛媛でもう一皮剥けたかったんです」
 
――わりと先のプランを考えたりもするのでしょうか?
「明確には考えていないですけど、成長して、上に行けるのなら、どんどん上に行きたい。ただ、まだ夢を語るところまでは行っていないと思っていて。その前に、やるべきことをやって、もう一歩成長してからですね、夢を語るのは」
 
――言ってしまえば、東京五輪もその過程にあるもの?
「大きな結果を残せば、東京五輪のメンバーには選ばれると思いますけど、その前にやるべきことがある、という感じですね」
 
――コンスタントに東京五輪世代の代表チームに選ばれていただけに、この来年のビッグトーナメントを具体的な目標に設定してもいいのかなと思いますが?
「もちろん、滅多にないことだから、東京五輪を狙うのは当たり前だと思いますけど、自分の立ち位置をもっと上げないといけない。そこを上げなければ、いくら試合に出ていようが、東京五輪に出場するのは難しい。とにかく、そこに至るまでの過程が大事なんです」
 
――客観的に自分自身を見ることができていますよね?
「そうですね。まあでも、たとえ代表に呼ばれたとしても、物足りないところがいっぱいあるし、愛媛をまだJ1に昇格させられていないのも事実です。その意味では、ちゃんと現実を見ているのかなって、最近は思い始めるようになりました」
 
――U-22代表が参戦した今年のトゥーロン国際大会に出場しましたが、東京五輪世代中心の編成だったA代表のコパ・アメリカには招集されず。悔しさがあったのでは?
「あの(コパ・アメリカの)メンバーを見て、やっぱり上のカテゴリーに行かないとダメだと思いましたし、上のカテゴリーで結果を残さないと、A代表には入れない、と。そこに入っていくためには、カテゴリーを上げて、そこで活躍しなければいけない。コパ・アメリカに出場した選手たちは、ものすごく良い経験を積んだと思います。だけど、だからといってトゥーロンが全然ダメだったかというと、そうでもなかったし。間違いなく、レベルの高いチームと戦うことができた。自分のサッカー人生の中でも、かなり刺激になった大会でした」
 
――惜しくも決勝で敗れて準優勝に終わりましたが、ファイナルの相手はブラジルという世界の強国でした。
「ブラジル戦でも、準決勝のメキシコ戦でも、『これが世界か』って改めて感じましたね」
 
――どういうところに世界との差を感じましたか?
「個々の能力ですね。愛媛ではもちろん、日本サッカー界全体で考えても、“チームで勝とう”っていうのは大事だとは思いますけど、もう2ランクぐらい上げるなら、やっぱり個の能力かなと。攻撃でも守備でも、ちょっとレベルが違うと感じました。世界のレベルに近づくためには、もっと個々の能力を上げないと」
 
――個々の差を埋めるためには何をしていくべきか?
「チャレンジ、ですね。誤解を恐れずに言えば、チャレンジして失敗しても、そこから学ぶことはあるはずなので。成功することだってある。結局、ビビッて何もせず、ちょっと結果を残すだけでいいなら、たぶん並大抵か、それ以下の選手にしかなれない。どんどんチャレンジしていくことが大事。ここ最近、自分の中でそのチャレンジを忘れかけていた部分もあったので。まだ若いし、まだまだチャレンジしていきたい。そうしないと、何も始まりませんから」
 
――神谷選手は今、22歳で、確かにまだ若いとは思いますけど、同年代や年下の選手がA代表で活躍したり、欧州移籍を叶えたりしていて、その点で焦りはありますか?
「うーん、まあ、(久保)建英も、(堂安)律も、トミ(冨安健洋)も、一歩二歩ぐらいは先に行っちゃっているので。凄いとは思いますけど、別に焦りとかはそんなにないですね。もちろん、自分が25歳とか26歳になったらヤバいとなるかもしれないけど、今のところは全然、焦ってはいないかな。なんかこう、足りないものをひとつずつちゃんと積み重ねていって、結果を残していたら、絶対に大きなチャンスが来ると思う。だから、焦ってもしょうがない。地道に努力していくしかないですね」
 
取材・文●広島由寛、多田哲平(サッカーダイジェスト編集部)