今春、ある野球雑誌で「第二の吉田輝星を探せ!」という企画への協力を求められた。昨夏の甲子園で「金農フィーバー」を巻き起こした吉田輝星(金足農→日本ハム)は、高校3年の春から夏にかけてめきめきと評価を高め、ドラフト1位で指名されるほどの選手になった。

「そんな吉田に続く投手は誰か?」というオーダーだったわけだが、私が推薦したのは谷幸之助(関東一)だった。


東東京大会決勝で小山台を2安打完封した関東一の谷幸之助

 谷は、その時点で最速146キロを計測する速球派右腕だった。身長176センチ、体重82キロの数値は「本家」の176センチ81キロに近く、厚い太ももを含めシルエットも似ていた。さらに谷自身が「吉田さんの体重移動を参考にしている」と語っていたこともあり、期待を込めて推薦したのだった。

 だが、投手としての能力、完成度は吉田とはかけ離れていた。吉田が試合展開や相手打者に応じて力加減を調節できる器用さとクレバーさがあるのに対して、谷は「投げてみないとわからない」という不安定な投手だった。

 目の覚めるような勢いのあるストレートを投げ込んだと思ったら、次のボールは別人のような棒球……というシーンを何度も見た。昨秋の段階では格下のチームに苦戦する試合も目立ち、もうひと化け、ふた化けしないと夏の甲子園で谷を見ることはないだろうと思っていた。それでも、谷が1試合に数球見せる凄まじいキレのストレートには夢があった。本格開花すれば、すごい投手になる予感があった。

 すると今夏、関東一は東東京大会を圧倒的なスコアで勝ち上がり、甲子園へとコマを進めた。関東一は谷と土屋大和の二枚看板を擁し、6試合で失点はわずか4。とくに谷の投球成績は圧倒的で、3試合に登板して3完封。26イニングを投げて、被安打はわずか5という少なさで、ほとんど安打を許さなかった。

 この数字だけを見ると大化けしたかのように感じるが、実態は少し違った。甲子園行きを決めた試合後、関東一の米澤貴光監督は苦笑しながらこう言った。

「持ち味と紙一重なので(交代するか)悩んだんですけど、いけるところまでいこうと思いました」

 谷は小山台を2安打完封したものの、ピンチの連続だった。1回から6回まで毎回四球の走者を出すなど、計7四球。立ち上がりの1番打者に簡単に四球を許した瞬間、ベンチにいた米澤監督は内心「いい加減にしてくれ」と嘆いたという。

 3回くらいから土屋へのスイッチを考えていたが、あることを思い出して交代を踏みとどまっている。米澤監督はその心の内を明かした。

「ある信頼している友人から言われたんです。『ボール球を打者が振ってくれるのはよさだろう。キレがあるから振ってくれるんだろう』と。また、プレッシャーを感じると腕が振れなくなるのも、『それは勝ちたくて丁寧に投げている証拠なんだから』とも言われました。そこでたしかに、『彼は勝ちたいんだ。わがままに野球をやっているんじゃないんだ』と思えて。あらためて我慢することの大切さを学びました」

 この夏、谷は常時140キロ前後のストレートを130キロ台中盤に抑えていた。谷は「キレで勝負したい」という思いがあったという。

「土屋はコントロールがよくて、自分は速球派なので球のキレで勝負しようと思いました。回転数が多いほどバッターは打ちづらいので、手首を鍛えたりしました」

 その結果、捕手の野口洋介が「球速を抑えても意外とボールが伸びてくる」と語るようなキレを獲得した。そして、昨年まではもろかったメンタル面も改善。いくら四球を出しても、動じなくなった。

「今まではフォアボールを出したら『しっかりやらなきゃ』と自分の世界に入っていたのが、今は『次を打たせてゲッツーをもらおう』と切り替えられるようになりました。監督、臼井(健太郎/部長)さん、佐久間(和人/コーチ)さんにも『1つのフォアボールから崩れたら、今までのお前と一緒だよ』と言われていたんです」

 小山台戦では時折ボールがすっぽ抜け、捕手の野口がまるでゴールキーパーのごとく高めのボール球を飛び上がって止めるシーンが何度もあった。四球を7個も出したとはいえ、それでも1イニングに2個以上の四球は許さなかった。

 まだ「第二の吉田輝星」と呼ぶには早いかもしれない。だが、甲子園という大舞台でさらに化けるだけの潜在能力は十分に秘めている。谷幸之助、その名前を覚えておいて損はないはずだ。