高校野球の岩手県大会決勝で、大船渡高校の監督が下した決断が議論を呼んでいる。プロ注目の佐々木朗希投手を温存し、甲子園出場を逃してしまったのである。

 甲子園にチームを連れていきたい。
 佐々木投手に無理をさせたくない。

 監督はふたつの思いに揺れながら、エースの将来を優先した。

 根本的な問題は日程にある。佐々木投手は準決勝で完投していた。決勝が翌日ではなく翌々日なら、球数限定などの起用法ができたかもしれない。

 サッカーの全国大会も、かつては過密日程だった。テーピングで患部を固定してピッチに立つ選手を、1990年代中頃あたりまでは普通に見かけたものだった。

 痛み止めを打ちながら試合をしていた、実は骨折をしていた、といったエピソードさえ、例外的ではなかった。精神の充実が肉体の疲労を駆逐することはあるが、全国大会に出たい、出るだけでなく活躍したいといった思いを、指導者が止めることは難しかったのだろう。

 その代償ではないのだろうが、高校卒業後に伸び悩む選手もいた。若くして持病を抱えてしまう選手、持病とまではいかないもののケガに付きまとわれる選手が、Jリーグ開幕前後は多かったように感じる。高校サッカーで精神的に燃え尽きてしまった、と話す選手もいた。

 高校サッカーの決勝が6万人の観衆で埋まる一方、日本リーグには数千人しか集まらない時代である。高校時代に脚光を浴びた選手がマインドセットに苦労するのも、しかたのないことだったかもしれない。

 サッカーに打ち込む高校生にとっての全国大会は、令和の時代ももちろん重要な位置を占めている。Jリーグ開幕前と違いがあるなら、高校卒業後も目標をセットできることだろう。

 U−20やU−23の代表に入って、世界大会で自分をアピールする。日本代表としてワールドカップのピッチに立つ。ヨーロッパのクラブへ移籍して、チャンピオンズリーグに出場する──高校サッカーのスケールをはるかに超えた目標を、いくらでも描くことができる。高校生の立場で、Jリーグのピッチに立つことも可能になった。

 高校サッカーはゴールではなく通過点という認識が広まっていくことで、選手自身も監督も大局的な視野を持てるようになったのだろう。無理をしなくなったし、させなくなった、ということだ。

 佐々木投手のケースには先例がない。それゆえに議論の種となったが、ほかでもない彼自身の「これから」が答えになると思う。

 大谷翔平の二刀流にしても、当初は賛否両論が巻き起こったものだった。「賛」より「否」が圧倒的に多かったかもしれないが、日本ハムを経てエンジェルスへ飛躍した現在は、メジャーリーグでも二刀流として認められている。

 5年後、10年後の佐々木投手は、どんなプレーを見せてくれるのか。間違いなく言えるのは、彼はモチベーションを枯らすことなく高校を卒業する、新たな闘志を燃やして次のステージへ向かう、ということである。甲子園出場を逃したことで失ったものがあるとしても、何もかも失ったわけではない、と思うのだ。