青森山田高時代には様々な経験を積み、逞しさを増した。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

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 2020年に開催される東京五輪。本連載では、活躍が期待される注目株の生い立ちや本大会への想いに迫る。
 
 5回目は、切れ味鋭いドリブルが持ち味で、年々類稀な攻撃センスにさらなる磨きをかけている神谷優太が登場。
 
 湘南に加入した2016年にはルーキーながらリーグ戦14試合に出場するなど、プロの舞台でもすぐに存在感を示すと、昨年からレンタルで加わっている愛媛では10番を背負い、チームを牽引。世代別代表にもコンスタントに名を連ねるエリートは、いかにその攻撃センスを身に付けてきたのか。その裏には、驚異的な決断力と行動力があった。
 
 中編では、全国選手権常連の強豪校・青森山田高で得たかけがえのない経験、湘南入りの経緯、者貴裁監督との出会いを振り返ってもらった。
 
前編はこちら
【連載・東京2020】神谷優太/前編「プロになるのは当然。その先を見据えていた」
 
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――青森山田高時代で、辛かった経験は?
「雪の上でプレーするのはしんどくて、全身を攣ったことがありました。雪の上だとドリブルとかほぼできなくて、もう削り合いに近い感じになる。しかも、ゲームとかで負けたチームは走らされる。でも、チームメイトたちはそういうのを淡々とこなすから、驚きました」
 
――雪国の高校ならではのエピソードですね。
「絶対にこれからも味わうことはないでしょうし、ものすごく良い経験になりました」
 
――そこで身についたものは?
「フィジカル的な部分では、走れるようになりました。メンタル的にも鍛えられて、きつい状況でも一歩を踏み出せる。ヴェルディにいる時と比べて、そこは変わったかなと」
 
――高校時代、周りと自分との違いで感じたことは?
「“青森山田”というブランドは凄いし、そこの10番、エースというのは誰からも注目されます。高3の時の成績はプレミアリーグ2位で、選手権はベスト4。まあまあの結果を残したと思います。大きなプレッシャーを感じながらも、それなりに結果を残せたことは、自分にとって一番の財産でもありますね」
 
――“自分はできる”という確かな自信はあったと思います。ただ、青森山田には実力者が集まる。その中でどうアピールしようとしていましたか?
「実力の差を見せつけようと。自分の理想に近づくためにも必死で練習しました。誰よりも朝練をしましたし」
 
――ちなみに、高校時代の1日のタイムスケジュールは?
「5時半くらいにグラウンドに出て自主練をして、6時からチームの朝練。それから朝食を食べて、お昼まで授業を受けて、午後は夕方6時まで練習と自主練をしていました。帰ったら夕ご飯を食べて、掃除をして寝る。そんな毎日でしたね」
 
――5時半……早いですね。
「冬は陽が昇るのが遅いんですよ。ただ、5時半くらいから陸上部も練習していて、顧問の先生が車のライトをつけてくれていたので、その灯りを頼りに練習していました」
 
――5時半からの自主練は、神谷選手ひとり?
「基本ひとりでした。自宅生だったひとつ年下の高橋壱晟(現・山形)がたまに来ていましたね」
 
――神谷選手は毎日?
「ほぼ毎日でした。ただ、プレミアリーグの試合ではバス移動とかもあって、その時はさすがにクタクタで疲れているので、休んだりしましたけど」
 
――青森山田高のOBでもある柴崎岳選手(現ヘタフェ)も早朝に自主練をやっていたとか。
「そうみたいですね。(黒田剛)監督から聞きました。毎朝、両足のキックの練習をしていたと。凄いなって思いましたね」
 
――神谷選手はどんな練習を?
「僕はドリブルとシュートばかりやっていました。ボールとマーカーを持って行って、ドリブルしてシュートして、自分でボールを拾いに行って、という感じで」
 
――では、試合で勝つためにはどんな努力をしていましたか?
「ゴールとアシストしか考えていなかったですね。とにかく、チームを勝たせるにはどうすればいいかを考えていました。自分が点を決める。それでチームが勝てばいい」
 
――高校時代の経験で、今一番活きているものは?
「愛媛の選手には『本当かよ』と言われてしまうかもしれないですけど(笑)、礼儀とかマナーはすごく学べたかなと。できて当たり前のことなんですけど、『ありがとうございます』『すみません』って、なかなか言えない人もいるじゃないですか。そこを疎かにしない。サッカーよりも学んだことですね」
 
 
――青森山田高は、礼儀やマナーをしっかりと教えてくれる学校だったんですね。
「そうですね。青森山田では、誰かお客さんが来たら、選手全員で集まって挨拶をする習慣があるんです。最初は恥ずかしかったけど、でもそのおかげで挨拶が身につきました」
 
――伝統校ならではの習慣がある。例えば、大きな声を出しながらのウォーミングアップも青森山田ならではだと思います。
「それも最初はめちゃくちゃ恥ずかしかったんですけど、正木(昌宣)コーチがおちゃらけながらも『声出せよ』と言ってくれて、段々慣れていきましたね。他から見たら、もしかしたらダサいと思われるかもしれないけど、個人的には、すごく格好良いし、誇らしいと思っていました」
 
――高校時代の挫折は?
「細かい挫折はいっぱいあると思いますけど、やっぱりヴェルディの時、天狗になっていたのが、大きな挫折ですかね。中学、高校の時にカテゴリー別の日本代表にも選ばれて、いい気になっていた。でも、そこで鼻をへし折られました」
 
――小学生時代に山形から東京のヴェルディに、そのヴェルディのユースから今度は青森山田に。その決断力と行動力が凄いと思います。
「それはもう、いつも自分の背中を押してくれた親に感謝ですね。礼儀とマナー、そして感謝という、この3つは青森山田を卒業した人は絶対に持っていると思う。その感謝の気持ちは、いつも持ち続けていますね」
 
――サッカー以外でも、これをやりたいと思ったら、すぐに飛び込んでいく感じ?
「湘南時代に、ファッションが好きな先輩がいたんですよ。その先輩を見て、かっこいいと思って、自分もすぐに興味を持ち始めて。自分が好きなこと、やりたいと思ったことがあれば、すぐ行動に移すタイプかもしれないですね。やりたいと思ったことは、やり通す。そんな感じです」
 
――高校卒業後は湘南に加入し、プロとしての道を歩み始めます。選択肢は他にもあったと思いますが、なぜ湘南に?
「湘南に練習参加させてもらったのはたしか3日ぐらいで、めちゃくちゃ走るチームなのは分かっていましたけど、想像以上でした(笑)。球際も激しくて、これは凄いぞと。そして(監督の)者(貴裁)さんの存在感も凄かった。このチームに入りたいと思ったし、湘南のほうからも声をかけてもらって、という形でしたね」
 
――湘南のチームカラーに魅了された?
「練習でのエネルギーが……なんて言ったらいいんだろう、練習の時の必死さが全然違うんですよ。ここでなら、ずっとボールを蹴れるし、本当に必死にやらないといけないチームだなと思いました」
 
――者監督の“熱血指導”でも鍛えられたのでは? 言葉に力のある指導者で、神谷選手も“金言”をたくさん言われたのでは?
「いろいろ言われてすぎて、もう分からないです(笑)。ただ全部の言葉が、心を閉じていても入ってくる。いっぱいありすぎて、挙げたらキリがないです」
 
――者監督の言葉は、心にダイレクトに突き刺さってくる、とよく聞きます。
「ある試合で全然プレーが良くなくて、次の週のミーティングで、僕がミスしたプレー映像を流しながら怒られたんです。だけど、その怒られ方が、別に嫌じゃないんですよ。みんなの前で恥をさらして、恥ずかしいけど、頑張らないとって気持ちにさせてくれる」
 
――冗談っぽく、というわけではない?
「いやもう本気なんです。ひとりの選手に対して、者さんは本気で怒ってくれる。たぶん、プロでそんなに本気で怒ってくれる監督は、世界中どこを探しても、者さん以外にいないと思うんです。僕が19歳とか20歳の時で、そんな若手に対して、本気で怒ってくれることが多かったですね」
 
――者監督以外の指導者から言われた言葉で、印象に残っているものは?
「良い指導者にしか出会ったことがないので、なかなか選べないですけど、ひとつは、青森山田時代の正木コーチに言われた『お前がエースなんだぞ、お前が点を取らないと』です。シンプルな言葉ですけど、改めて必死にやらなければと思いました」
 
――エースとしての自覚を再認識させられた?
「そうですね。あと、3年の時にインターハイの初戦で負けた時には、黒田監督に『仲間をもっと信頼しろ』と言われました。この言葉も印象に残っていますね」
 
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 当時は珍しかったJクラブのユースから高校サッカー界への“移籍”。ただ、全国屈指の名門である青森山田高で、サッカー選手としても、ひとりの人間としても、大きく成長することができた。
 
 8月1日にお届けする後編では、湘南から愛媛へのレンタル移籍を決断した理由、世界との差を埋めるためにはどうすればいいか、同世代のライバルたちへの想いなどをお届けする。