【世界水泳】松元克央は「自分で決めたら逃げない」 快挙見守った両親が明かす“カツオの成長物語”

日本人初の200m自由形メダルの快挙、スタンドで応援した両親が激白
五輪を超える規模で2年に1度行われる水泳の“世界一決定戦”、世界水泳(韓国・光州、テレビ朝日系で独占中継)の競泳が21日に開幕。第3日(23日)の男子200メートル自由形決勝では、松元克央(セントラルスポーツ)が1分45秒22の日本新記録で銀メダルに輝いた。この種目のメダル獲得は、五輪、世界選手権を通じて日本人初の快挙。「THE ANSWER」はスタンドから生観戦した松元の父・達也さん、母・夏江さんにカツオの泳いだ道のりを聞いた。
本名の「克央(かつひろ)」から愛称は「カツオ」。周囲にも親しまれ、今大会の躍進でよりクローズアップされたが、両親は「己に克つ」の意味を込めて名付けた。父・達也さんは「あとは左右対称の字で、画数を見て書きやすいものがよかった」と名前の由来を明かし、カツオのニックネームで呼ばれることには「思ってもみなかったですね」と笑った。
小さい頃は活発だが、口数の少ない子。「言うことを聞かなかったですね」と1歳上の兄とよく遊んでいたという。野球をしていた父の影響で、最初は白球を追った。基礎体力を作るため、5歳から本格的に始めたのが水泳。父は「団体競技、上下関係は大事なことなので、そういうのを学んでほしかった」と、親子でキャッチボールすることを願っていた。
結局、野球にのめり込むことはなく、水泳の道に進んだ。そして、小学5年の時に東京辰巳国際水泳場で行われたジュニアオリンピック。10歳以下の50メートル自由形に出場した松元は、所属していた東京・葛飾区の金町スイミングクラブ(SC)で個人初の優勝者となった。
この時に表彰台で金メダルを掛けてくれたのが、バタフライの第一人者で当時23歳の松田丈志氏だった。「凄く喜んでいた」と夏江さん。目の前で壁のように立っていた、世界で戦う大きな体。受け取ったメダルは自宅で大切に保管し、自室には松田氏とともに五輪平泳ぎ2大会連続2冠の北島康介氏の絵ハガキなども飾っている。
しかし、大きな試合での優勝はこの1度だけ。母曰く「あとは全然、ダメだった。上を目指すとかではなかった」と全国大会に出場できたのも中学3年になってから。自ら練習嫌いと認めていたが、千葉商大付高に進学し、1年時のインターハイはリレーメンバーで出場。秋の国体で結果を残し、少しずつ意識が変わっていった。
高校時代にもらった宝物「JAPANじゃないのにJAPANのユニホームを着ている」
その年の11月にセントラルスポーツに移籍した。水泳だけでなく、体操などでも有名選手が所属する名門。口数は少ないが、何事も意思は強い。自ら考えて選んだ道で腹をくくった。夏江さんは言う。
「自分で頼みに行って、頭を下げたみたいです。その時はあまり選手を取らない感じだったそうです。自分で頭を下げて、自分で決めた。相談はなかったですね。いつもないんですよ。自分で決めて事後報告。
うちは基本的に自分のことは自分で決めさせる。親が言うと、逃げになってしまう。『お母さんとお父さんが言ったから、僕はやった』とか。だから自分で決めさせると、逃げ場がなくなる」
周りはハイレベルな選手ばかり。これまでの環境にはない、常に置いて行かれる立場となった。夏江さんは「セントラルスポーツに入った時点で変わった。自分で決めて入ったので。もう周りが凄い強い子ばかりで、早くみんなに追いつきたいという気持ちがあったみたい」と当時を振り返った。
自ら決意を固めたら、前だけを見る。まさにカツオのようにぐんぐんと突き進んだ。日本代表となった現在、師事している鈴木陽二コーチは「彼の一番いいところは、練習から逃げないということ」と語る。アスリートに大切な、自らを追い込む力が養われていった。
松元は移籍した当時、コーチに「JAPAN」の文字が入ったジャージーを“おさがり”で譲ってもらった。高校の合宿にも着ていくお気に入り。周囲には「カツオはJAPANじゃないのにJAPANのユニホームを着ている」とネタにされるほど宝物だった。今大会のメダルは日本勢第1号。正真正銘、偽りなく「JAPAN」を背負い、チームを勢いづけた。
両親の願いは謙虚な息子「今のままの克央でいてほしい」
競泳に打ち込む高校生の兄弟2人を育てる夏江さんは「食事が凄く大変だった。体がどんどん大きくなって」と懸命にサポートした。弁当に加えて、夕方用に大きめのおにぎりを5個追加。元々野菜を食べず、大会前は揚げ物を控える。その中で体力が落ちないよう量を摂らせるために工夫した。
明大に進学後は寮生活。たまに帰省しても、苦労や弱音は持ち込まない。「寮に入って変わった。親のありがたみをわかってくれたのか、凄く優しくなりましたね」。寮からの連絡はあまりない。大会で活躍する姿をいつも楽しみにしている母が「おめでとう」とLINEを送っても「ありがとう」だけ。ちょっぴり素っ気ないが、感謝の気持ちを忘れたわけではなかった。
今春、大学を卒業し、4月に初任給で家族全員にプレゼント。しかし、4月末は豪州合宿で海外滞在の予定だったため、給料日前のなけなしのお金だった。父には「汚いのを使っているから」と小銭入れを、母には化粧品、兄には「いつも使ってないから」と時計を贈った。「今まで自分で働いたことがなかったので、自分で働いたお金でプレゼントしたかったようです」と母。リクエストは聞かずに自分で考え、こっそりと買い物に行ったという。
小4の文集には、オリンピックで活躍することを夢に描いた。東京五輪が1年前に迫って塗り替えた自由形の歴史。周囲の期待は膨らむが、両親は活躍を願いつつ、スタンドから見つめる先で輝く我が子を思った。
「人として逸れなければいい。何かをやって後ろ指を刺されるようなことにはならずに。自分の好きなように生きなよって。自分で決めたことなら応援する」と達也さん。夏江さんも「今のままの克央でいてほしい。謙虚な部分。オリンピックに出ても、今のままの克央でいてほしいな」と温かい視線を送っていた。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平/ Yohei Hamada)