名古屋で発生した「中学受験殺人事件」、被告人質問の場で、長男の命を奪ったとされる父親は「カッターの刃を見せると、おとなしく言うことを聞くようになった」と証言しているようです。

 皆さんは、このような「家庭教育」を、どのようにお考えになりますか?

 「とんでもない!」と否定される方も多いと思います。

 でも、お子さんをお持ちの親御さんにお伺いしたいのですが、刃物でなくとも、何らかの意味で「脅す」ことで、無理やり子供を勉強させたことが全くないと断言できる人がどれくらいいるでしょう?

 そっと胸に手を当てて、考えてみてもよいポイントではないかと思うのです。

 多くの犯罪は、それが報道されると、メディアは「あれは完全に対岸の火事、特殊な人たちがやらかした出来事」という報道姿勢で、視聴者が安心して眺めていられるような口調を工夫するものです。

 少なくともテレビ番組制作にかかわっていた四半世紀ほど前には、民放番組では暗黙の前提になっていました。

 民放番組は、お茶の間に進出したネオンサインで、スポンサーの広告費でまかなわれているショーですから、視聴者が不安になるようなことは、決して取り上げないのが当然のプロのお約束になっています。

 そういうシバリから一切自由に、また以下では極力「推測」を最小限に抑えて、物事を考えたいと思うのです。

 この容疑者=父親は、彼自身の小学生時代、つまり中学受験に関して、およそ最低の指導を受けた可能性があると思うのです。

 程度こそ違え、本当にこの父親だけが特殊、大半の保護者や父兄は絶対安全地帯にいる、と思考停止して、本当に大丈夫なのでしょうか?

 この父親のような、完全に誤った勉強と、それに基づく成功体験を「収めてしまった人」は、日本社会に決して少なくはないのではないか。大学教員の一員として私は正直にこう思っています。

 仮にこの父親自身が、やはり親などから「恫喝」されながら勉強して、それで受験に成功した経験があったとしても、それで今回の犯罪の責任が軽くなるということは、一切ありません。

 これは間違いなく刑事犯罪で、刑事司法の場でその罪が問われています。

 しかし、この父親は、非常に効率の悪い「中学受験法」を自分自身で経験した可能性があり、その結果、幸か不幸か、中学には合格してしまった。 

 そして、その「成功体験」を基に、自分自身の息子にも、非常に効率の悪い、場合によるとマイナスの効果しかない我流の「勉強法」を強要した。

 かつそれが正しいと思い込み、その強要にあたって「カッターナイフ」などを持ち出してしまった。

 それがエスカレートして、「包丁」などまでも学習の場に持ち込むことを被告人は正しいことだと思った。

 さらには、それを当の子供までが、お父さんの言うこととして真に受けてしまった可能性がある。そこに悲劇の根があるように思います。

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完全に誤ったトンデモ勉強法

 容疑者の正確な経歴を報道や公開情報などで追うことはできませんでした。まあ、個人情報ですから当然でしょう。

 しかし、かつて中高一貫の名門校に合格したこのOBは、その後の人生で十分に名門校で学習した内容を生かして活躍できたのでしょうか?

 この父親が子供の指導として行ったこととして「俺が書けって言えば、死ぬほど書け。覚えろって言ったことはすべて覚えろ」といった内容が伝えられています。

 これはいけません。指導でも何でもない。

 この父親が中学高校卒業後、どのような進路をたどり、どのような職業に就いたのか、正確な情報が得られませんが、少なくとも裁判報道にある(逮捕時と察せられる)職業は「無職」とありました。

 この父親自身が、後々伸びる勉強法を身につけることなく、言ってしまえば「何かのはずみで」中学受験は成功、中高一貫で高校までは何とかなったけれど・・・というパターンであった可能性が懸念されます。

 ほとんど最悪の学習習慣を「中学受験成功体験」と勘違いしたまま、逆効果の「反教育」を家庭内で押しつけていた様子が察せられます。

 家に帰ればカッターナイフで父親に脅されながら勉強する・・・こんな状態で仮に息子の成績が振るわなかったとしたら。これは100%「父源病」と言うしかありません。

 「覚えろって言ったことは全部覚えろ」で覚えられることなどありません。

 それは、指導する側に説明能力がないから闇雲に「覚えろ」と繰り返すしかない、能のない「指導未満」です。そんなことだから記憶に残らない。負のスパイラルでしかない。

 ちょっと考えただけでも当たり前でしょう。家に帰ったら父親が髪の毛を引っ張って抜いたり、教科書を破いたりカッターや包丁を持ち出したり・・・こんな環境では伸びる子だって伸びなくなります。

「受験指導」は学習の邪道

 かつて、ある知り合いの方から「うちの子は進学校には入れてるんですが、この先の進路について・・・」といった相談を受けたことがありました。

 相手の方は私を東京大学の教官と思って話されるわけですが、そこで前提となる価値観として「進学校は良い学校」と思い込んでおられ、話が全くかみ合わなかったことがあります。

 あえて断言しますが、「進学校が良い」などとは全く思いません。もっとも悪いとも断言しません。

 ただ、受験指導と銘打ったものは、本質的に学問の王道からは完全に外れた、邪道の学習法であることが少なくありません。

 これが東京大学で学生指導する一教官の率直な感想です。

 意図するところは、大学に入学して、中に入ってから伸びないような受験「指導」を受けて、受験をクリアしてくる学生が存在するんですね、そういうのをどうかやめていただきたいという思いです。

 勘違いでおかしな方向に行くような「指導」は、高校であれ塾であれ家庭教師であれ、頼むからやめてほしい、という一点に尽きます。

 例えば、ある学生(東大生)が苦手な英語の家庭教師指導で、およそ間違った自分自身の「失敗勉強法」を伝授、子供は相手が「とーだいせい」だと思うから、すっかり勘違いしたまま、負のスパイラルをグルグル、というケースがあります。

 あるいは、学生による教官の逆評定で次のようなことがしばしばあります。

「東大に入って教師の怠慢に驚きあきれている。テストなどというものは、例題を教師が分かりやすく板書して丁寧に教え類題を解かせてから出題するので解けるのである」

「東大の教官は例題などを解かず、いきなり初めて見る問題をテストに出題する。とんでもない怠慢である・・・」

 これは、以前に幾度か記したことのある、私自身が受け取った一東大生からの「逆評定」そのものにほかなりません。

 私は必ず、試験会場で初めて見る、その場で頭を使って解く種類の「メインディッシュの問題」を出題します。

 ところが、勘違いした受験指導で「成功体験」を得てしまうと、模範解答が事前に存在しない問題は「解答不能」と匙を投げてしまいかねない。

 こんなことでグローバル社会の荒波に漕ぎ出して行くことなど120%不可能なわけですが、一部には「先例」「前例」などをもって「模範解答」とみなし、それをなぞることで良しとするような風土が存在してしまっている・・・。

 構造的な病と考えないわけにはいきません。

 今回は紙幅が尽きましたが、事件、裁判が進行中ですので、刑事司法に関わることにはあえて踏み込まない考えです。

 むしろ、その動機の部分に関して、法の裁きを超えた様々な問題が積み残されていると思います。続稿はそうした本質に踏み込みたいと思います。

(つづく)

筆者:伊東 乾