日本は「民主主義」なのか? この時代に生きる我々がすべきこと

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◆「いよいよはじまった」。宮崎駿監督の言葉の重さ

 前に記事を書いてから、だいぶ時間が空いてしまった。筆者のことを覚えていない人がほとんどだろう。そこで少しだけ、前回のおさらいをしておきたい。前回の記事は、現在の日本の政治が、安倍首相の周囲による「人事権支配」を憂うものだった。キャリア官僚に対する、内閣人事局を通じた不透明な人事権の行使によってキャリア官僚たちが震え上がっているという背景の下で、統計データ収集方法の変更が行われたこと、そうした人事権支配による統計データの操作は、ソ連、中国、メキシコといった一党独裁体制においても見られる、というのが、前回の趣旨だった(「厚労省の統計不正、政党独裁体制との不気味な共通性」『ハーバービジネスオンライン』2019年5月21日)。

 この問題を考えるとき、最初に思い出すのは、日本を代表するアニメーション・スタジオ、スタジオ・ジブリの宮崎駿氏と鈴木敏夫氏に密着したドキュメンタリー番組『夢と狂気の王国』である(監督・砂田麻美、2013年)。当時、ゼロ戦を開発した堀越二郎氏を題材にしたアニメーション映画『風立ちぬ』を作成していた宮崎・鈴木両氏は、次のような会話を交わす。

 鈴木敏夫「あとねえ、ちょっと締め付けがすごくなってきたんですよ」「NHKをはじめこういうことをやっちゃいけない、ああいうことをやっちゃいけない」「先回りして」「映画作るときもドラマつくるにもその問題には触れない」「民放も全部なんですよ」。

 鈴木氏は、数百億円規模のカネが動く宮崎駿のプロデューサーとして、有名である。メディアの人間と接触することが多い鈴木が、映画の中でボソリと漏らしたこの言葉には強い印象を受けた。

 宮崎氏駿は言う。

宮崎「怒涛のごとく右傾化しようと思っているんですね」
鈴木「自由に作れるのは、ここまでですね」

 最後に、宮崎駿がこの会話を引き取る。

宮崎「ある意味では、僕なんかがやってきた50数年は終わったんです」「さて、いよいよはじまったんですね」。

 このドキュメンタリーの公開から6年が経った。「いよいよはじまった」という宮崎氏の言葉は、筆者には重く響く。

 では、ソ連や共産党のような一党独裁体制と現代の日本に似ているところがあるならば、日本は実際に一党独裁体制なのだろうか。独裁体制なのだろうか。本記事は、この問題を考えてみたい。

◆独裁体制下では何が起きるのか? その実例

 最初に、映画監督の想田和弘氏の言葉を取り上げたい。想田氏は2018年、ツイッターで、「いまの日本の政治状況は、政治学的にも『事実上の一党独裁』と呼んでいいんじゃないかな。政治学者のみなさん、どうですか。異論ありますかね」(想田和弘氏、2018年7月11日のTweet)と書き、物議をかもした。想田氏は、自民党から市議会議員補欠選挙に出馬した新人候補の選挙運動を描いた映画『選挙』で有名な映画監督である。『選挙』は、私も、授業で学生に見せたことがある。

 それでは、最近の日本政治は、「事実上の一党独裁」になっているだろうか。想田氏自らが、「政治学者のみなさん、どうですか」と聞いておられるので率直に述べると、日本は一党独裁体制ではない。本当の「一党独裁体制」、本当の「独裁体制」とは、2019年の安倍晋三氏を首相とする日本政府のように甘くはないからである。

 独裁体制では、基本的な権利が大幅に侵害される。そこでは、政府に対して一般市民が「要求を形成」し、その「要求を表現」し、「その要求を政府に平等に扱わせる」ための、最も基本的な権利が存在しない。

 具体的には、次のような権利が存在しない。つまり、