――途中で編入すると、周りの目も変わる。気にならなかった?
「僕ってあまり周りの目が気にならないんですよ。当時も自分が納得できれば、それで良いやって感じでした」
 
――チームを変えてまたアピールが始まる。そうした難しさがあったのでは?
「正直、青森山田にいっても実力的には間違いなく一番だと思っていました。ただ強気だったせいでチームメイトとギクシャクする部分はありましたね。まあ、きれい事かもしれないけど、そういうことがあったからこそ、仲間意識とかチームメイトへの感謝を学べたのかなと」
 
――ユースにいたままでは分からなかった部分かもしれないですね。
「Jのユースというのは、チームメイトみんながライバル。誰もがトップチームに上がろうと必死です。高校サッカーみたいに全員でひとつになる意識はそこまで強くなかったと思います。その点で僕は、青森山田に行って、チームの中心となってどう引っ張っていくかという意識が芽生えたのは大きかったです」
 
――もしかして、そういう協調性を学ぶつもりで青森山田に?
「いや、その気持ちはまったくなかったです。ただ青森山田に行って有名になって、選手権で活躍して、プロになって、ってトントンいけばいいかなと。とはいっても、なかなかそううまくはいかなくて……。でも寮生活だったこともあり、苦難をチームメイトと一緒に乗り越えていけた。そこで、かっこよく言えばチームメイトとの絆とか、そういうものって大切なんだなって感じられました」
 
――青森山田ではいきなり10番を背負いました。もしかしたらチームメイトからしたら面白くなかったかもしれませんが、チームにはすんなり溶け込めた?
「初めは僕が10番を背負うことに納得していない人もいたかもしれないけど、いつしか、みんながが『10番は優太だよな』って言ってくれていました。初めの練習から、誰よりも点を取って、実力の差を見せていましたから、徐々にチームメイトの見る目も変わってきたのかなと」
 
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 小5で東京Vの下部組織に転入するなど、少年時代から“こう”と決めた時には、大胆なチャレンジにも臆さなかった。そうした豪快さが、今の強気な姿勢につながっているのだろう。
 
 7月25日にお届けする中編では、全国選手権常連の強豪校・青森山田高で得たかけがえのない経験、湘南入りの経緯を話してもらっている。

取材・文●広島由寛、多田哲平(サッカーダイジェスト編集部)