大胆な決断と行動力で自分の道を切り拓いてきた神谷。そのキャリアに迫る。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

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 2020年に開催される東京五輪。本連載では、活躍が期待される注目株の生い立ちや本大会への想いに迫る。

 5回目は、切れ味鋭いドリブルが持ち味で、年々類稀な攻撃センスにさらなる磨きをかけている神谷優太が登場。
 
 湘南に加入した2016年にはルーキーながらリーグ戦14試合に出場するなど、プロの舞台でもすぐに存在感を示すと、昨年からレンタルで加わっている愛媛では10番を背負い、チームを牽引。世代別代表にもコンスタントに名を連ねるエリートは、いかにその攻撃センスを身に付けてきたのか。その裏には、驚異的な決断力と行動力があった。
 
 前編では、山形県山形市で生まれ育ってから、東京Vのジュニアチームへと転入した小学生時代。そして、東京Vユースから青森山田へと“仰天移籍”を果たした高校2年生までを振り返る。
 
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――サッカーを始めたきっかけは?
「父親が昔サッカーをやっていて、サッカーボールが家にあったんですよね。それを小さい頃に触っていたんです」
 
――それは何歳の頃?
「ボールと戯れたのは1歳とか2歳。ちゃんとボールを蹴り始めたのは3歳くらいだと、父から聞きました。僕自身は小さい頃のことはあまり覚えていないんですよね」
 
――それからずっとサッカーを? 他のスポーツはやらなかったのですか?
「そうですね。ずっとサッカーだけです」
 
――なぜサッカーにのめり込んでいったのですか?
「父親と一緒に海外サッカーをテレビで観ていて、衝撃を受けたんです。ああいうふうになりたいなと」
 
――衝撃を受けた選手とは?
「ロナウジーニョです。初めて見た時に『凄いな』と。それから海外リーグに熱中していきました」
 
――クラブに入ったのはいつ頃?
「小1です。そこから本格的に始めました。同じチーム(山形)には、今鹿島アントラーズの土居(聖真)選手がいたんですよ」
 
――土居選手はその頃からうまかった?
「そりゃあもう。キックオフから全員抜いてゴールを決めてしまうみたいな。当時土居選手は6年生で僕は1年生だったんですけど、あまりにうまくて、ただただ唖然として見ていました。僕が小5でヴェルディのジュニアに入ったのは、中学でアントラーズのジュニアユースに入った土居選手への憧れがあったからでもあります」
――なぜヴェルディのジュニアユースに?
「4年生の時に全日本少年大会でヴェルディジュニアを見たのがきっかけです。レベルが高かったし、あの時のヴェルディのユニホームって格好良かったんですよね。みんながオーラを纏っている感じで」
 
――自分からいきたいと?
「はい。親にいきたいと伝えました」
 
――反対されなかった?
「されなかったです。『一生のお願い!!』って説得したので(笑)、僕の家はそんなに裕福ではなかったので大変だったと思います。でも願いを受け入れてくれたし、母親がついてきてくれました。すごく感謝しています」
 
――小4で憧れを抱いて小5で移籍。どういった経緯でした?
「小5の時のフットサルのバーモントカップで、ヴェルディのスカウトの方に声を掛けられたんです。『セレクションを受けてみないか』って。それで一次試験を受けに行って、一発合格をもらえました。入団が決まった時はただただ嬉しかったですね」
 
――小学生にして地元を出る決心はなかなかの勇気が必要だったと思います。不安はなかった?
「小学生だったので、そこまで深くは考えていなかったんですよね。ワクワクのほうが大きかったです」
 
――ヴェルディジュニアユースの環境はどうでした?