川宗則氏のプレースタイルは台湾野球に欠けているもの。地元ファン大歓迎、体調面は「沒問題」

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「選手として9割、コーチとして1割」



――ニーハオ。
 

 中国語で挨拶し、約1年4カ月ぶりに公式の場に登場した川粼氏。ファンの前で元気な姿をみせた川粼氏は、CPBLに復帰する味全ドラゴンズの客員コーチに就任予定で、3カ月の限定契約となっている。日米で愛された“野球小僧”が、再び海外での野球修行を始める。
 

 川粼氏は、選手として復帰する意向について「選手として9割、コーチとして1割」と回答した。いま味全はちょうど7月1日のドラフトを終えたところで、来季は2軍戦からスタートする予定だ。契約延長がない限り、川粼が味全の選手として出場することは、難しいとみられる。
 

 しかし、現段階では味全にとって川粼氏の力が必要だ。1988年に設立された老舗球団は、99年に三連覇を果たしたが、当時起こった八百長事件の影響で解散へと追い込まれた。今年の6月にリーグ復帰が決まったものの、また改めてファンを獲得する必要があり、日本の人気選手であった川粼氏を招致することは正しい戦略だと言える。
 

 川粼氏は「監督とコーチと話しました。選手はまだ話してないけれども、すごく情熱のあるチームだと思います」と語る。また、「(味全は)歴史があるチームだったし、その思いを、また20年ぶりに復活させていきたいという気持ちがすごく伝わった。でも僕にとっては新しいチーム。また(新たに)して行こうという気持ちは、ちょうど僕のいまのタイミングとマッチしている」と、味全と自身を重ね合わせた。

言葉よりも野球で



 台湾野球の歴史から見ると、1906年の日本統治時代頃、日本人が野球を伝え、今でも日本式の野球教育が残っている。かつて味全球団の監督を務めた田宮謙次郎氏(元阪神タイガース)と寺岡孝氏(元広島カープ)、日本式の厳しい野球教育を受けてきた元監督の宋宦勳氏や徐生明氏らが、味全球団の伝統を作った。
 

 川粼氏は、「試合出ますよ。でもコーチなんで、偉そうにします」と冗談を交えながらも、言葉が通じなくても「Just Play Baseball」という英語を用いて、言葉よりも一緒に野球をすること、一緒にお酒を飲むことでコミュニケーションをとりたいとコーチ像を語った。また、「20歳を超える人とお酒を飲むよ」とまた冗談で現場のファンを沸かせた。一方、将来監督になることについては「僕はそういう人間ではないです」と否定している。
 

 選手としての川粼氏と言えば、やはり好守備、俊足、安打量産と走攻守三拍子揃ったプレースタイルで、それはちょうどいまの台湾野球に一番欠けているものです。殊に失策は、シーズン前半の60試合だけで、統一ライオンズが67失策、ラミゴモンキーズも51失策。その多くが内野手によるもので、記録上には残らないミスも少なくなかった。
 

 遊撃手として華麗なプレーを見せる川粼氏は、どうやって練習しているのかと問われると、「センスです」と笑いを誘った。ただ、その「センス」こそ、台湾の内野手にいま最も必要なことであり、そのセンスの磨き方を学ぶ必要がありそうだ。

川粼氏が台湾の選手に伝えたいこと



 川粼氏は、2018年3月に体調不良でソフトバンクを退団。いまの身体の状況については「体調は75%です。ただ一番いいプレーができるときは73%です。問題ありません」と冗談交じりに述べ、中国語でもう一度「沒問題(問題なし)」と言った。台湾へと環境を移すことで、川粼氏の精神状態をリラックスさせる一助となるかもしれない。
 

 記者会見の後、川粼氏は早速その夜台中へと移動し、中信ブラザース対ラミゴモンキーズの試合を観戦。早くも「視察状況」に入っている。また川粼氏の台湾入りはネットでも話題となり、一時は「川粼はプレミア12のため情報収集」との説も浮かんだ。それでも台湾のファンは川粼氏を歓迎しており、「台湾野球を楽しんで! でもエラーと四球を見すぎて体によくないよ!」と川粼氏のユーモアを交えて健康に気遣うコメントも見受けられた。
 

 記者会見の現場でも川粼氏の魅力を大いに感じさせられた。120枚のファンミーティングチケットは僅か1分間で完売。台湾南部の高雄からはるばる朝6時の新幹線に乗ってきたファンもいた。それは今の台湾プロ野球でもなかなか見られない光景。2013年に元メジャーリーガーのマニー・ラミレス氏(レッドソックスほか)が3カ月間プレーした時、マニーは当時の台湾のファンを熱狂させたが、そこに通ずるものがあった。
 

 川粼氏は、「(野球は)残酷です。それはもう十分わかっているから、その残酷の上で、どれだけ自分たちが楽しいプレーをして、みなさんを元気づけられるか。でも一番は楽しむことをやっていきたい」と力強く語った。3カ月という短い期間ではあるが、内野手の土台をもう一度台湾野球選手に伝えることができれば、たとえ日本に帰っても、川粼式の野球は、永遠の手本となるはずだ。
 
 
鄭仲嵐