中居正広には退所を思い直させていた!ジャニー喜多川氏が託した「遺言」とは?

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「どうせ死ぬなら舞台がいい。最後まで子どもたちの成長を見守りたい」

 男性アイドルの一大帝国を築き上げたカリスマ・ジャニー喜多川氏(享年87)が7月9日に逝去した。死因は解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血。6月18日に自宅で倒れ、緊急搬送されてから3週間後のことだった。

 スポーツ紙の芸能デスクが入院中の様子を明かす。

「ジャニーさんの病室には連日、多くのジャニーズタレントがお見舞いに駆けつけ、病院の玄関前には大勢ファンが殺到する異常事態に。中でも元SMAPの中居正広(46)は、時間が許す限り、昼夜問わずジャニーさんに付き添っていました」

 中居だけでなく、嵐やTOKIO、関ジャニ∞のメンバーらも訪れて闘病中のジャニー氏を励まし続けた。しかしその一方で、

「ジャニーズを辞めたOBもたくさん来ましたが、病室の入り口で事務所のスタッフに止められて面会は叶わなかったようです。病室に入れず、涙声で『ジャニーさん!』と大声をあげる元ジャニーズタレントもいました。実はSMAP解散の際、ジャニーさんは最も気にかけていた中居に『私はもう長くない。今辞めたら絶対に悔いを残すよ』と言って退所を踏みとどまらせた。くしくも、その“予言”どおりになりましたね」(前出・芸能デスク)

 中居と同様に、病院に張りついていたのが「後継者」と指名された滝沢秀明(37)。昨年いっぱいで芸能活動を引退し、以降は裏方としてプロデューサー業に専念。今年1月15日付で関連会社「ジャニーズアイランド」の社長に就任し、後進の育成やプロモーションに尽力していた。

「実はジャニーさんが晩年に最も気をもんでいたのが、ジャニーズジュニアと呼ばれるデビュー予備軍。中でも特に目をかけていたのがジュニア内の9人組ユニット『Snow Man』でした。滝沢は彼らを売り込むために、みずから愛車のベンツを運転して、テレビ局まわりをしていました」(民放プロデューサー)

 そんな滝沢にジャニー氏が託した遺言とは‐。7月16日発売の「週刊アサヒ芸能」7月25日号は知られざるエピソードを公開している。