エルポソ・ムルシア/清水和也インタビュー 後編

 サッカーの日本代表では18歳のMF久保建英が存在感を示し、NBAのウィザーズに入団した21歳の八村塁は、デビュー戦でアリウープを決めるなどの大活躍を見せた。若手スポーツ選手の活躍は心が躍るものだ。そして、フットサル界にも世界のトップクラブで活躍する22歳がいる。


世界最高峰のスペインリーグの超名門、エルポソ・ムルシアでプレーする清水

 スペインのフットサルリーグであるリーガ・ナシオナル・デ・フットボール・サラ(LNFS)のエルポソ・ムルシアに所属する日本代表、清水和也だ。エルポソ・ムルシアはサッカーでいえばアトレティコ・マドリードにたとえられる超名門である。

 2018−19シーズンから監督を務めるのは、2016年のフットサルW杯コロンビア大会で、アルゼンチン代表を初優勝に導いたアルゼンチン人のディエゴ・ジュストッシ監督。この点でも、ディエゴ・シメオネ監督が率いるアトレティコに似ている。惜しくもプレーオフ決勝でバルセロナ・ラッサに敗れたものの、新指揮官の就任1年目は2位という結果でシーズンを終えた。

 この名門クラブでプレーするまでに、清水はどのような歩みをたどってきたのか。

 スペインやブラジルでは、子どもはフットサルをプレーし、徐々にピッチの広いサッカーへ転向していくことが多い。しかし、日本ではサッカーから入る子どものほうが多いのが現状だろう。清水も小学4年生のころに、2歳年上の兄・誠也がクラブチームに入ったのをきっかけに、一緒にサッカーチームに入った。

「中学に進学してからは、学校のサッカー部とフットサルのクラブチームで並行してプレーするようになりました。自分たちの代になると、サッカー部の活動が主になり、フットサルをする機会は減りました。ただ夏に最後の大会が終わり、受験シーズンに入った時、同級生たちと息抜きでフットサルをやり、その楽しさにハマってしまったんです」

 そして、その年に東京都ユース(U−15)フットサルリーグが発足。清水らは東京都選抜に選ばれ、名古屋遠征で名古屋オーシャンズと試合も行なった。そして、小学校時代から仲の良かった友人らと大会に出る過程で「高校でもフットサルをやろう」という話になり、都内のクラブチーム「フットボウズ」に加入することとなった。フットボウズでフットサルの基礎を学んだ清水は、高校1年の時にFリーグの「フウガドールすみだ」の下部組織である「フウガドールすみだバッファローズ」と練習試合を行ない、その時に須賀雄大監督と初めて言葉を交わした。

「その後、兄がフウガドールすみだバッファローズのセレクションに合格して、入団したんですが、クラブは負傷者が多く出て紅白戦をするにも人数が足りなくなっていたらしいんです。そんな時に須賀監督が『弟を呼んで来よう』と兄に提案したことから、高校2年生のときにフウガドールすみだバッファローズの練習に参加するようになりました」

 高校3年時の2014−15シーズンには、フウガドールすみだのトップチームに登録されFリーグデビューを果たす。11月に行なわれた名古屋オーシャンズ戦ではハットトリックを達成するなど、才能の片りんを見せた。その後、2015−16シーズンにはすみだの中心選手となり、日本代表候補にも選出される。さらにAFCU−20フットサル選手権に向けて、U−18フットサル日本代表が発足すると、清水はチームのキャプテンに選ばれた。

 2016−17シーズンには、29試合に出場して22得点を挙げ、すみだのエースへと成長。また、U−20日本代表のキャプテンとして出場したAFCU−20フットサル選手権タイ2017では、ベスト8で敗退するも5試合で6得点を挙げた。この活躍に関心を持ったのが、エルポソだった。エルポソはBチームでの育成を提案したが、トップチームでのプレーを望んだ清水は、一度オファーを断っている。

 続く2017−18シーズンには、すみだとプロ契約を結び、同クラブ初のプロフットサル選手となった。フットサルに専念できるようになった清水は日本代表の常連にもなり、リーグ戦では29試合で24得点という数字を残した。ところが、彼に対してスペインの1部クラブからのオファーはなかった。

「やっぱり日本代表での活躍が、海外クラブには引っ掛かりやすいんです。最初のオファーを断って、翌シーズンにキャリアハイのシーズンを過ごしましたが、1部チームからのオファーはありませんでした。それでもエルポソは『欲しい』と言い続けてくれたんです。今、考えると、もう1年早くスペインに行っていたら、また違ったのかなとも思いますよね」

 こうして清水は2018−19シーズンの序盤をすみだで戦い、欧州のシーズンが始まる夏を前にスペインへと渡った。世界各国から若手有望株が集まるエルポソBで、前線のポジション・ピヴォとして活躍し、6位になったチームで17ゴールを記録した。また、トップチームの練習にも参加すると、ジュストッシ監督からは「違いを出せる選手になれ」と言われ、強く結果を求められた。

※フットサルのポジション GKはゴレイロ、FP(フィールドプレーヤー)は、DF=フィクソ、MF=アラ、FW=ピヴォ。

 スペインで1シーズンを過ごしたことで、清水のプレーは洗練されていった。これまで以上に、相手が何をされると嫌なのかを考えるようになったという。

「エルポソでは、『この形でやる』というのがなくて、相手のシステムを見ながらどうやって崩していくかを考えていくんです。(前線にピヴォを置く)3−1のシステムを採用していても、それでパスが回らなければ、(前線にピヴォを固定しない)4−0にシステムを変えます。個人的にも、相手を見るようになりましたね。マークについてくる選手が『強いな』と感じたらサイドに逃げてみるとか、相手の情報を集めてプレーするようになりました。逆に僕にしっかりついてくるなら、降りて行って前線のスペースを空けるとか。常に相手が何をやりたいのかを考えて、動きなおそうと思っています」

 オフに帰国した清水は、すみだのトレーニングに参加していた。そこで清水は、普段から彼らと一緒にプレーしているかのような、スムーズなコンビネーションを見せるとともに、強烈なシュートなど個の力でゴールネットを揺らした。「まだ始動したばかりですから」と、本調子ではないと言うものの、1年ぶりにプレーしたすみだの選手たちにとっては、その成長ぶりも良い刺激になっていた。

 スペインでの2シーズン目を前に、Bチームで掲げる目標は昨季の約2倍となる30ゴールだ。そして、よりトップレベルに「慣れる」ことを、もうひとつの目標に掲げた。

「スペインは、個々のレベルが高いです。でも僕自身は全然やれないことはありません。想像していたよりも、『あれ? 意外とできるぞ』という感じでした。もちろん順位が決まっていない時やプレーオフの大事な試合は、僕が出場した2試合とは圧力も違うでしょう。そういう意味では強度などに慣れることが、テーマのひとつになると思いました。プレースピードなども2部と1部では、やっぱり差があるので」

 スペインに到着した直後には、生活のリズムや食事にも悩まされたという。それでも、徐々に言葉を覚え、周囲と意思疎通が図れるようになり、ストレスは軽減されていった。


フットサル日本代表を引っ張り、来年のW杯での活躍が清水には期待されている

 元来、明るくポジティブな性格である。食事が口に合わなかった際に備えて、清水は日本から米と炊飯器を持っていっていた。ある時、炊飯器でご飯を炊き、それを食べていたら、同じ部屋で生活するチームメートも興味を示したという。彼らに日本のご飯を食べさせると、「これは美味い」と気に入った。そして、彼らは清水がいない時に、こっそり清水の非常食を食べてしまったという。

「炊飯器にある文字も、日本語しか書いてないのに、どうやって炊けばいいのか覚えているんですよ。しかも、普段は食後にすぐ食器を洗ったりしないのに、日本のコメを食べたあとだけは、すぐに食器を洗って僕に気づかれないようにするんです(笑)。おかげで僕が食べる分がほとんどなくなりましたよ」と、笑い飛ばした。この豪快な性格も、海外向きだろう。

 他の1部リーグのクラブからもオファーが来ていたという清水だが、エルポソB残留を決めたのは「僕を理解してくれるチームメートが圧倒的に多い」という理由に加え、来年にはW杯予選を兼ねたAFCフットサル選手権、そしてフットサルW杯が控えていることもある。

「自分は個人としてスペインで生き残るためにも、結果を残さないといけない。また自分の夢である日本代表としてW杯に立つという目標をつかむためにも、やらないといけない。ここで自分が変わることで、日本の未来も変わってくる。そういうプレッシャーも楽しみながらやっていきたい」

 2016年、フットサル日本代表はワールドカップ予選を兼ねたAFCフットサル選手権に敗れて、世界最高峰の大会への出場を逃した。当時、その予選を戦うメンバーから漏れた清水だが、4年を経て日本代表でも不動の地位を築きつつある。清水自身が自覚するように、スペインでの2年目の戦いでどれだけの経験が積めるかが、そのまま日本代表の結果にも大きく影響する。国内の競技フットサル人気が停滞している今、清水へとかかる期待はさらに大きなものとなっている。