すでに二度に渡って「津の水難事故怪談」を回顧しているが、もうしばらくこの怪談にお付き合いいただきたい。

「ムー」2015年1月号の特集「津海岸集団水難事件 60年目の真実」(文=加藤宗一郎)。

 

僕がこの痛ましくも凄まじい怪談のリアリティに打ちのめされた小学生時代から実に40年後、2015年1月号の「ムー」に「津の水難事故怪談」にまつわる記事が掲載された。加藤宗一郎氏が現地取材と関係者の証言から構成した特集「子供たちを海底に引きずり込んだ幽霊の正体とは? 津海岸集団水難事件 60年目の真実」である。

 

今回と次回の本コラムでは、この特集の概略を紹介していくつもりだが、興味のある人はぜひ古書店なり図書館なりで「ムー」のバックナンバーを探し、加藤氏が手がけた15ページに渡る特集そのものに触れてみてほしい。事故の概要、裁判の経過、そして事故前後の世相や現地の状況を、写真や新聞記事を示しながら詳細に解説したうえで、「怪談の生成プロセス」自体を浮びあがらせるスリリングなルポルタージュである。

 

この記事を読んだとき、僕にとって「津の怪談」は、すでになかば忘れかけていた小学生時代の思い出だった。単に「あ、懐かしい!」と思いながら読みはじめたのだが、見事な手品のあまりにも単純な「タネ」をあっさりと見せつけられた気分になって唖然としてしまった。同時に、ボンクラなオカルト大好き少年のままの感性をチクリと刺された気がして、「ああ、そういえば、この事故のことを、事故にまつわる怪談のことを、〈大人としては〉一度もマジメに考えたことがなかったなぁ……」ということを痛感したのである。

 

大規模な水難事故が多発した1950年代

詳細かつ網羅的に構成される加藤宗一郎氏のルポを要約することなど僕の手には負えないので、とにかく僕が多大な衝撃を受けた部分についてのみ触れてみたい。この特集の趣旨は、「津の水難事故」がいかにして「怪談化」したのか、その要因を探るというものである。もっとミもフタもない言い方をすれば、なぜこの事故が「怪談化」される「必要」があったのか?ということだ。

 

加藤氏は、大きく2つの要因を挙げている。そのひとつが、当時の特殊な世相だ。1950年代なかばの日本では、大量の犠牲者を出す痛ましい水難事故・海難事故が連続して起こっていた。特に世間を震撼させた主なものを挙げると、まず津の事故の前年である1954年9月に起きた「洞爺丸沈没事故」。台風の影響により青函連絡船「洞爺丸」が沈没し、死者・行方不明者あわせて1155人に及んだ国内最悪の海難事故だ。世界的にも衝撃を与え、各国で「タイタニック号沈没事件に次ぐ大惨事」と報道された。そして翌年5月には、「国鉄戦後五代事故」のひとつに数えられる「紫雲丸衝突事故」が起こる。高松港を出向した宇高連絡船「紫雲丸」が、同じ宇高連絡船「第三宇高丸」と衝突・沈没し、修学旅行で乗船していた広島の小学生児童を中心に、死者168名を出してしまった。さらに同年10月、またしても子どもの犠牲者を大量に出してしまう水難事故が起こる。「相模湖遊覧船沈没事故」だ。定員の4倍以上もの乗客を乗せてしまった遊覧船が沈没、遠足に来ていた麻布中学の生徒22名が帰らぬ人となった。

 

このような形で半世紀以上前の主な事故記録を列挙しても、それは単なる「船舶事故史」の情報に過ぎないが、これらの報道を54年の秋から翌年の秋まで、リアルタイムで次々に「体感」した当時の人々にとっては、まったく話が違うだろう。「津の水難事故」を加え、たった1年の間に起こった4つの「水」にまつわる大惨事、しかも、その犠牲者の多くが子どもたちであったということは、世相にも、人心にも、計り知れない不安と動揺、あるいは、いわく言い難い「負の影響」を与えたはずだ。

 

多くの死傷者を出す事故が起これば、大抵の場合、現地ではいくつかの怪談が生まれる。その怪談が全国に流布するかは別の問題だが、事故が起こった現場は少なくとも地域住民からは「禁忌」として敬遠され、そこに「怪談の土壌」ができあがっていく。それは水難事故・海難事故でも同じだろう。その池や湖の周辺が、あるいは海域が、さらには特定の船舶が、おぞましい「禁忌」になる。現に「津の事故」の2か月前に起こった「紫雲丸衝突事故」をめぐって、当時は盛んに怪談が語られたという。「紫雲丸」は過去に何度も事故を起こしながら運行を続けた船であったことから、衝突事故をさかいに「死運丸」と呼び称されるようになった。「呪われた船」だ。

 

そうした大規模な水難事故・海難事故が、短期間の間に全国で連続して起こればどうなるか? その「連鎖」そのものが「怪談化」されるのは自然の成りゆきだ。『ムー』の記事で加藤氏は、この時期の事故の「連鎖」を「偶然というひと言では片付けることのできない、まさに祟りや呪いと呼ぶに相応しい様だったに違いない」と書く。オカルトの馬鹿馬鹿しさの根幹にあるのは、「まったく無関係な偶然の出来事を勝手に結びつけること」とよく言われるし、実際にそうなのだが、54〜55年の凄まじいニュースに次々とさらされながらも、オカルティックな不安をまったく覚えずにいることはかなり難しいと思う。ほんの一瞬だとしても、誰もが「これは本当に『偶然』なのか?」という荒唐無稽な不安を抱いたはずだ。「津の事故」の「怪談化」には、こうした大衆の不安が大きく作用していることは間違いないのだろう。

 

小学生時代に聞かされた「相模湖怪談」

僕は「洞爺丸」「紫雲丸」の事故も、相模湖の事故も一応は知っていたが、これらを時系列で考えたことは一度もなかったし、まして「津の怪談」に結びつけたこともなかったので、加藤氏の分析はまさに目からウロコだった。というか、なんでこのシンプルな発想を今まで一度も思いつけなかったのか?と自分の馬鹿さに呆れてしまった。

 

特に相模湖の事故に関しては、犠牲者を出した麻布中の近くの渋谷区の中学に叔母が通っており、事故直後の遠足で観光船に乗る予定だった、という話を子どもの頃からよく聞かされていた。麻布中が「ご近所さん」である渋谷区の子どもにとって、相模湖の事故は他人事ではなく、僕らの代になっても「相模湖には溺死した子どもの幽霊が出る」という話が語り継がれていたのだ。小学生時代に相模湖へ遠足に行ったときなどは、バスのなかで先生がわざわざ麻布中の事故の話をしていた。「湖は危険だから勝手な行動をするな」という意味合いの教訓話として話していたようだが、「かつてここで20人もの子どもが死んだ」という話は、子どもの世界では即座に怪談に変えられてしまうのである。

 

さて、次回は加藤氏のルポの「本題」部分に迫ってみたい。このルポの趣旨は、なぜ「津の事故」が「怪談化」される「必要」があったのか?ということだと先述したが、「なぜ」と同時に、「誰」が怪談を「必要」としていたのか?ということについて、氏は濃密な推論を展開している。

 

初見健一「昭和こどもオカルト回顧録」

◆第34回 テレビとマンガが媒介した最恐怪談=「津の水難事故怪談」

◆第33回 あの夏、穏やかな海水浴場で何が?「津の水難事故怪談」

◆第32回 「小坪トンネル」は本当に「ヤバい」のか?

◆第31回 「小坪トンネル怪談」再現ドラマの衝撃

◆第30回 70年代っ子たちと『恐怖の心霊写真集』

◆第29回 1974年『恐怖の心霊写真集』の衝撃

◆第28回 「コティングリー妖精写真」に宿る「不安」

◆第27回 コティングリー妖精写真と70年代の心霊写真ブーム

◆第26回 ホラー映画に登場した「悪魔の風」

◆第25回 人間を殺人鬼に変える「悪魔の風」?

◆第24回 「幸運の手紙/不幸の手紙」の時代背景

◆第23回 「不幸」の起源となった「幸運の手紙」

◆第22回 「不幸の手紙」のはじまり

◆第21回 「不幸の手紙」…小学校を襲った「不安の連鎖」

◆第20回 80年代釣りブームと「ツチノコ」

◆第19回 70年代「ツチノコ」ブーム

◆第18回 日本産ミイラ「即身仏」の衝撃

◆第17回 1960年代の「古代エジプト」ブーム

◆第16回 ユニバーサルなモンスター「ミイラ男」の恐怖

◆第15回 昭和の「ミイラ」ブームの根源的な謎

◆第14回 ファンシーな80年代への移行期に登場した「脱法コックリさん」

◆第13回 無害で安全な降霊術? キューピッドさんの謎

◆第12回 エンゼルさん、キューピッドさん、星の王子さま……「脱法コックリさん」の顛末

◆第11回 爆発的ブームとなった「コックリさん」

◆第10回 異才シェイヴァーの見たレムリアとアトランティスの夢

◆第9回 地底人の「恐怖」の源泉「シェイヴァー・ミステリー」

◆第8回 ノンフィクション「地球空洞説」の系譜

◆第7回 ウルトラマンからスノーデンへ!忍び寄る「地底」世界

◆第6回 謎のオカルトグッズ「ミステリーファインダー」

◆第5回 東村山水道局の「ダウジング事件」

◆第4回 僕らのオカルト感性を覚醒させた「ダウジング」

◆第3回 70年代「こどもオカルト」の源流をめぐって

◆第2回 消えてしまった僕らの四次元2

◆第1回 消えてしまった僕らの四次元1

 

関連リンク

初見健一「東京レトロスペクティブ」

 

文=初見健一

 

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