ドクターマーチンを代表する8ホールブーツと、3ホールシューズ。昔はイギリスのユースカルチャーの象徴だったが、今ではユーザー層が広がっている(筆者撮影)

スニーカーが老若男女を巻き込んだブームになって久しい。そのあおりを受けて、革靴やパンプスが軒並み苦戦するなかで、イギリス発のドクターマーチンが日本での業績を飛躍的に伸ばしている。

日本での2019年3月期の売上高は60億3700万円と、前年比42%拡大。その前年は同38%伸びているので、まさに破竹の勢いといっていい。ちなみに、全世界の売上高は2018年3月末時点(2019年度は非開示)で、3億3億4860万ポンド(約502億円)と、こちらも前年を20%上回っている。

一定以上の世代にとっては、ドクターマーチンといえば、定番の「8ホールブーツ」に象徴される“ロックな靴”というイメージが強いだろう。

だが、今ではミュージシャンや音楽ファンはもちろん、原宿や渋谷の女子高生やインフルエンサーがスタイルを問わず履いているほか、何より普通の男子大学生の間で大ブレイクしているらしい。どうやら、最初に買う本格的な革靴として、2万円前後で買えるドクターマーチンが選ばれているようなのだ。

“パンクの象徴”はどのようにして“全若者の象徴”に進化したのだろうか?

成功している3つの理由

ここ数年の好調の要因の1つは、「商品の多様化」が進んでいることだ。「確かに以前はパンクのイメージが強く、顧客層が狭いという課題があった」と、2016年にドクターマーチン・エアウエア ジャパンの代表に就任した田村真人社長は話す。

「一方、現在の製品ラインナップは、定番のオリジナルをしっかり展開しつつ、春夏向けのサンダルや女性向けのヒールまで広がっていて、あらゆる層に対応できるようになっている。今は狙いどおり顧客層が広がっている手応えがある」

第2の理由として挙げられるのが、女性用市場の広がりだ。今年2月に開催した春夏のサンダルの発表イベントには、多くの女性インフルエンサーが来場。注目度の高さをうかがわせた。


花柄をプリントしたモデルや、シューレースにリボンを使った厚底ソールのブーツなど、女性向けのモデルも多数ラインナップしている(筆者撮影)

「店舗のメンバーシップのデータを見ると、圧倒的に多いのが20代の女性で、こうした現象は以前では考えられなかった。インスタグラムのフォロワーは12万人ほどだが、若い女性の間でブランド認知度が広がっている実感がある。インフルエンサーに露出をお願いすることもあるが、あえて誰もが知る大物ではなく、カルチャーの匂いがする方を選んでいる」と、山本学マーケティングマネージャーは説明する。

そして、第3の理由は、ファッション性の高いブランドとのコラボレーションによる、ブランドイメージの向上だ。とくにイギリス本社が重視しているのが、世界的な知名度とエッジを兼ね備えた日本のブランドとの協業。

コム デ ギャルソン、ヨウジヤマモト、アンダーカバーなどのコレクションブランド、アベイシングエイプ、ネイバーフッドなどのストリート系ブランドをはじめ、アメカジのイメージが強いエンジニアド ガーメンツや、セレクトショップのビームスやユナイテッドアローズともコラボレーションを行っている。

こうした幅広いテイストのエッジの利いたブランドやショップとの協業は、ドクターマーチンのイメージをこれまで以上にクールな位置に押し上げた、と言えるだろう。

意外と知らないドクターマーチンの歴史

ここ数年は飛躍的な業績成長を果たしているドクターマーチンだが、一時期は深刻な経営不振に陥っていた。それがなぜここまで「復活」できたのか。それを知るには、同社の歴史を振り返る必要がある。

ドクターマーチンの礎となったのは、1901年にイギリス・ノーザンプトンに誕生したグリッグス家による靴製造工場。同社は耐久性のあるワークブーツを作るメーカーとして知られていた。

しかし、ドクターマーチンの最大の特徴である「エアクッションソール」を開発したのは、グリッグス家ではなくドイツ・ミュンヘンで兵役に従事していたクラウス・マルテンス博士だった。クラウスは旧友と、軍事用品を原材料とした靴の生産を1947年に始め、すぐにビジネスは軌道に乗った。


イギリス・コブスレーン工場で、昔ながらの製法で作られているオリジナルのコレクション。通常モデルの約倍の価格だが、オリジナルにこだわるユーザーはこちらを選ぶ(筆者撮影)

海外へ販路の拡大を模索していた2人は、靴業界の雑誌にエアクッションソールの広告を掲載。それを見たグリッグス家3代目のビルが興味を示し、いくつかの変更を加えたうえで特許を取得。1960年8ホールブーツを発売した。

ドクターマーチンは、イギリスの伝統的なワークブーツと、ドイツの斬新なアイデアを掛け合わせた靴として誕生したのである。

この履き心地がよく耐久性が高い靴に最初に飛びついたのは、労働者階級の男たちだ。工場労働者、警察官、郵便配達員らにとって、この2ポンド(現在の約40ポンド)の頑丈なブーツは大切な相棒になり、いつしかイギリスの労働者階級を象徴する存在になった。

それをファッションに転化させたのは、1960年代後半に登場した若者カルチャー、スキンズの集団。坊主頭と短かめにはいたジーンズともに、8ホールブーツを労働者階級の証しとして選択したのだ。

1970年代に入るとドクターマーチンはイギリスの若者カルチャーを象徴するアイテムとして爆発的にヒットする。そして、彼らに憧れた日本のミュージシャンや若者がこぞって履くようになり、1980年代に入ると日本でもロックな靴として不動の地位を獲得するのだ。

1990年代も音楽のイメージは不変で、グランジやフェスの盛り上がりとともに、ミュージシャンと音楽ファンに愛され続けた。しかし、2000年代に入ると暗雲がたれこめる。主要市場だったアメリカの売り上げが急速に落ち込んだのだ。倒産の危機に瀕した後、2003年に1つの工場を除いてイギリスの工場を閉鎖し、生産拠点を中国とタイへ移転した。

今後の課題はECの拡大

同時にファッションブランドとのコラボレーションを積極的に行うことで、ファッションのイメージを強める戦略を推進。業績を回復させた同社は、2007年にイギリスのコブスレーン工場で、昔ながらのハンドメイド製法にのっとった「MADE IN ENGLAND」の製作を再開。2013年に投資ファンドのペルミラ社と提携してからは、毎年2ケタ増の勢いで事業を拡大させている。


2019年春夏のサンダルコレクションのお披露目イベントには、インスタグラムで多くのフォロワーを抱えるインフルエンサーが多数来場した(写真:ドクターマーチン提供)

今後の課題は、ECの比率を伸ばすこと。「現在は本国と同じプラットフォームを使っており、支払いのゲートが限られていて、ユーザーにとって使いづらい状況がある。今年中にECを改良し、まずは10%まで伸ばし、5年以内に20%まで持っていきたい。現在の店舗数はフランチャイズを含めて約50店舗だが、あと2〜3割は伸ばせると思っている」と、田村社長は意気込む。

イギリスのユースカルチャーの象徴から、あらゆるカルチャーの象徴に進化したドクターマーチン。ロックなファッションが似合わないメタボ体型の筆者も、今秋に発売予定の某日本のブランドとのコラボレーションモデルを購入しようと思っている。