「勝利至上主義」がサッカーをつまらなくする。重要なのは満足度
こちらが観戦した、82年スペインW杯、86年メキシコ杯、90年イタリア杯、94年アメリカ杯の計4大会は日本代表が出場していない大会だった。そこに特段、応援するチームは存在しなかった。基本的に、勝てば喜び、負ければ悲しむ必要が一切ない大会だった。
事態は98年フランスW杯から一変した。少なくとも日本戦の取材現場は、勝てば喜び、負ければ悲しむムード一色に包まれた。以来5大会、2018年ロシアW杯まで日本は連続して本大会出場を果たしているが、勝てば喜び、負ければ悲しむ勝利至上主義、結果至上主義にいまだ馴染めずにいる。
この欄でも再三触れている「勝つときは少々汚くてもいいが、敗れるときは美しく」というクライフの言葉は、ずばり視聴満足度を言い表した言葉になる。次回もまた見たいか。それは負け方で決まる。
ロストフの悲劇と命名されたベルギー戦。代表戦ではもう一つ、ドーハの悲劇もこれに加えることができる。クラブシーンでは、鹿島アントラーズがレアル・マドリーと争った2016年クラブW杯決勝も上々だった。セルヒオ・ラモスが(順当に?)退場していれば鹿島が優勝していた可能性が高い……と、語り継ぎたくなる負け方だった。最近では、フランスで行われた女子W杯だ。決勝トーナメント1回戦で準優勝したオランダに惜敗した一戦。この試合も終わり方は美しかった。そのベスト16という成績は物足りない数字に見えるが、視聴満足度は高かったと思われる。
日本代表戦が終わると翌日、メディアはその視聴率を一斉に報じる。それが低ければ、サッカー人気を心配しようとする。だが、それより重要なのは満足度だ。
歴代の視聴率は何かにつけ報じられるが、それより知りたいのはこちらだ。満足度は上がっているのか下がっているのか。結果も重要だが、内容はそれ以上に重要なのである。
外部サイト
スポーツライター杉山茂樹氏の本音コラム。