サッカーを観戦していて一番気になるのは試合内容だ。面白かったか、つまらなかったか。それは、どちらが勝ったか、負けたかより重要なポイントだ。サッカー好きではあるがどこかのサポーターではない。こちらはもしそうであったとしても伏せておく必要がある立場だ。

 日本代表戦も例外ではない。面白かったか、つまらなかったかは、勝ち負け以上に重要になる。サッカーの普及発展の決め手になるポイントに他ならない。第3者が観戦を続ける動機として、それこそが最重要項目になる。「日本」の勝利に遭遇するチャンスは他にいくらでもあるが、サッカーならではの面白さは、サッカーの試合を通してしか堪能することができない。

 そうした意味では勝利至上主義、結果至上主義ほどつまらないものはないが、報道はどうしてもそちらに傾きがちだ。サッカーの面白さに絶対の自信を持っているこちらとしては、それでは他の競技と同レベルに成り下がるではないかと嘆きたくなる。

 もったいないなとつくづく思う。ネット社会になってそうした見出しになりにくい視点は、ますます排除される傾向がある。試合の中身より結果。試合が面白くなくても勝てば喜び、試合が面白くても負ければ悲しむ。

 負ければその瞬間、終わりになるトーナメント的な思考法。もっと言えば甲子園の高校野球的なノリと言ってもいい。それはそれで楽しむことができるが、価値基準がそれのみになると危ない。サッカー的な思考法は発展していかない。

 非サッカー的な価値基準として似ているのがテレビの視聴率至上主義だ。視聴率の高い番組は高い評価を受け、低い番組はその評価も低くなる。とりわけ、朝ドラや大河ドラマの評判はその高い低いで決まる傾向がある。

 たとえば最近、ふとしたきっかけで見始めることになった「いだてん」は、視聴率ほどつまらなくない。一方で朝ドラの「なつぞら」は、その2〜3倍の視聴率があるにもかかわらず面白くない(どちらも個人的な感想です)。視聴の継続をずいぶん前に断念している。こちらと同じ感想を抱いている人がどれほどいるか定かではないが、視聴率という物差しと異なる意見を述べることには勇気がいる。逆に、視聴率通りの話をすることは簡単だ。

 サッカーにもそれと同じことは言える。勝てば喜び、負ければ悲しむ勝利至上主義、結果至上主義に染まっていた方が楽だ。長いものに巻かれ、多数派に属していた方が、である。少数派に属していることを公言しない方が得策。そうした現代の世の中とサッカーはけっして良好な関係にはない。

 もっともテレビの世界では、最近少し様子が変わってきた。視聴満足度という物差しが登場。ドラマ等の評価に新たな視点を提供している。視聴率は低いけれどよい作品に光が当たり始めている。

 だいぶ前にこの欄で記した記憶があるが、フランスのレキップ紙は、選手や監督の採点に加え、試合のレベルや娯楽性にも採点も行っている。まさに満足度を示した評価であるが、これが紙面の一番分かりやすい場所に掲示されているのをその昔、初めて見た時、さすがフランス、サッカー的な国だと感服した記憶がある。

 勝ち負けも重要だが、それと同じぐらい重要なものがサッカーにはある。82年スペインW杯準決勝で、フランスが西ドイツ(当時の)にPK負けしたシーン、さらにその4年後のメキシコ大会の準決勝で、同じく西ドイツに敗れ去ったシーンを見せられると、そのつもりがなくても、そうした気持ちに誘われた。 そして極めつきは、82年スペインW杯2次リーグ、名勝負といわれたイタリア対ブラジル戦だ。試合はイタリアが3-2でまさかの勝利を飾ったが、個人的にそれより重要だったのは、この試合を直にかぶりつきで見られたことだ。ここで得た満足感が、いまなおサッカー好きでいる理由だと思う。