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ミイラになった遺体

この日、運ばれてきたのは40代の男性。解剖台に載せられた遺体を見ると、手足は乾燥してミイラ化している。死後2週間ほど経過しているように見える。

法医解剖の現場では、死後2週間経過した遺体を解剖することは、珍しいことではない。最近は、私たちのところに運ばれてくる遺体の約半数は一人暮らしの人になった。

一人暮らしをしていて何かの原因で急に亡くなれば、遺体が発見されるまでに時間がかかることになる。遺体が見つかった時には、体が腐敗していたり、ミイラ化していたり、中には白骨になっていたりすることもある。

解剖台のミイラ化した遺体をながめながら、この男性も一人暮らしをしていたのではないかと思った。

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だが、遺体が見つかった時の状況を警察の人から聞くと、意外なことがわかった。男性は一人暮らしをしていたわけではなかった。両親と同居していた。

親と同居していたのに、なぜ、体がミイラ化するまで遺体が見つからなかったのだろうか。

20代の頃から、男性はほとんど自分の部屋にひきこもる生活をしていたらしい。大学を卒業して就職したのだが、職場の人間関係の不具合で退職した。その後、いろいろと仕事はしたようなのだが、結局のところ、部屋にひきこもるようになってしまった。

ここ数年の間は、ほとんど両親と顔をあわすこともなかった。男性の部屋から物音がしないことを不審に思った親が部屋に入ってみると、ベッドからずり落ちるような格好で男性は亡くなっていた。

体がミイラ化するほど時間が経っているので、解剖しても死因を明らかにすることは難しいだろう。そう思いながら、解剖を始めた。

だが、死因はすぐにわかった。男性の死因は、肺炎だった。左右の気管支をメスで切り開くと、黄白色の膿汁がたまっていた。肺の中からも同じような膿汁が出てきた。

男性は40代とまだ若い。病院で治療を受けていれば、肺炎で亡くなることはなかったかもしれない。

だが、この男性は、病院で治療を受けることもなく、また、だれにも看取られることもなく、部屋でひっそりと亡くなってしまった。

ひきこもりをめぐる状況

先日、元官僚の父親が、仕事をせずに同居していた息子を殺害するという事件があった。

父親は、息子から暴力を受けていたともいわれている。亡くなった息子は44歳。父親は76歳。

この事件が起こる前には、川崎で小学生の児童ら20人が路上で次々に刺され、小学生の女児一人と外務省の職員一人の計2名が亡くなるという事件があった。

犯行後に自殺した犯人の男性は、51歳。最近10年以上、犯人はひきこもりの生活をしていたという。

息子を殺害した元官僚の父親は、川崎の事件を知って、自分の息子も同じような事件を引き起こすのではないかと不安だったといっているようだ。

内閣府の調査によると、自宅で半年以上閉じこもっている15〜39歳の「ひきこもり」の人は約54万人。40〜64歳の「ひきこもり」の人は約61万人にのぼる。

最近では、ひきこもりの人の高齢化が進んでいる。80代の親が無職の50代の子の面倒をみる、いわゆる「8050問題」が話題となっている。

法医学教室に運ばれてくるひきこもりの人には、こうした事件に関係して亡くなった人もいるが、その数はとても少ない。解剖台の男性のように、自宅でひっそりと亡くなった人が多い。

今のところ、ひきこもりの人を解剖する時には、ひきこもりの人だけを解剖している。

しかし、そのうち、状況は変わってくるだろう。ひきこもっている子が親よりも先に亡くなれば、ひきこもりの子だけを解剖することになる。

だが、時間が経つと、ひきこもりの子を抱える親が先に亡くなるようなことがおこってくる。

親が亡くなった時、ひきこもっている子は親の死を周りの人に伝えることができるのだろうか。

もしそれができなければ、ひきこもっている子は生きていくことはできない。そうなれば、ひきこもりの子とその親の遺体が同時に見つかることになる。

私たちのところへは親子二人が同時に運ばれてくることになるだろう。

老老介護の現場で起こっている現実

ひきこもり問題の今後を考える時、老老介護の現状が参考になると思われる。今では、法医解剖の現場には、老老介護世帯の人が運ばれてくることが多くなった。

しかも、老老介護の当事者である二人、つまり、介護する人と介護される人の二人が同時に運ばれてくることが珍しくなくなった。

認知症の妻を介護していた夫が、自宅の浴槽で死亡しているところを見つかった。夫婦はともに80代。この夫婦を見つけたのは、定期的に訪問している看護師だった。

浴槽の中で亡くなっている夫を看護師が見つけた時、亡くなっている夫のそばで、妻は裸のままだったという。

この夫婦の状況から考えると、妻の入浴を補助していた夫が何かの拍子に浴槽に頭から逆さまに落ち込んでしまったらしい。解剖すると、夫の死因は溺死だった。

妻は同じ場所にいたのだが、そのことを家の外のだれにも連絡することができなかった。ただその場にたたずんでいるだけだった。妻は夫の死を理解することができなかったらしい。

だが、この夫婦の場合は、まだ幸運だったと言うべきかもしれない。

妻が見つかったのは、夫の死からそれほど時間が経っていないうちだった。夫の遺体が見つかったとき、幸いにも妻は生きていた。

だが、発見が遅れていれば、妻はおそらく同じ浴槽で亡くなっていただろう。私たちのところへは、夫婦が二人とも運ばれてきていたにちがいない。

ひきこもりの人を抱える世帯の今後

一般的なことをいうと、介護している人が何かの原因で急に亡くなると、介護されている人が、そのことを周りの人に連絡できないことがある。

何かの原因で亡くなった後、ミイラ化したり、白骨化したりするまで時間が経ってしまった介護人が運ばれてくることもある。そうした介護人のそばで、介護されていた人が生活しているところを見つかることもある。

ひきこもりの人を抱える世帯について、今のところ、法医解剖の現場に運ばれてくるひきこもりの人の年齢はまだ若い。同居している親が、まだ生きているからだ。

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だが、ひきこもりの子の面倒を見ている親も高齢化する。親が亡くなった時、そのことをひきこもっている子が周りの人に連絡することができなければ、子は生きていくことはできないだろう。

老老介護世帯の解剖の経験からいうと、亡くなっている親の遺体と同居するひきこもりの人が見つかるようなことがまずおこるだろう。

すでにミイラ化していたり、白骨化が進んでいたりする遺体のそばで、何事もなく生活しているようなひきこもりの子が見つかることになる。

その後、子がひきこもり生活を続けていれば、やがて、子も亡くなる。その場合、二人とも死亡しているところを見つかって、二人とも解剖されることになる。

法医解剖から見える今後の死の光景

最近、ひきこもり生活をしていた40代の男性を解剖した。男性は親と暮らしていたわけではない。男性は勤めていた銀行を辞めてから、一人で家にひきこもるようになった。

男性が亡くなったのは、ひきこもりの生活を始めてからわずか3年後だった。遺体の体を見るとやせていて、垢で皮膚が茶色になっている。遺体は腐敗していて、解剖しても死因はわからなかった。

男性は、名前を聞けばだれでも知っているような大銀行に勤めていた。そこを辞めてからわずか3年で、一人ひっそり亡くなるようなことが現実に起こっている。ちょっとしたことが原因で、だれでもひきこもり生活をはじめることになる。

決して人ごとではない。

この国では、いま高齢化や単独世帯数の増加、少子化、老老介護、ひきこもりといった問題が話題になっている。解剖台に運ばれてくる人たちは、当たり前の話だが、全員、死亡している。

法医解剖の現場では、今日この国が抱える社会問題が遺体というもっとも深刻な形で現実化している。法医解剖の現場で起こっていることをまずは多くの人に知ってもらうことが必要だろう。解剖する時に、いつもそう感じている。

老老介護の世帯で、亡くなっている二人が見つかるということは、法医解剖の現場では、今やありふれた光景になってしまった。老老介護の現場で起こっていることが、今後ひきこもりの世帯でおこることが予想される。

ひきこもりの人を抱える家庭では、今後、亡くなってからだいぶん時間が経った親の遺体とそれと比べればあまり時間が経っていない子の遺体が同時に見つかることになる。

ひきこもりの問題をこのまま放置すれば、今後、そういった死のありさまが、この国の死の光景として、ありふれたものになっていくことになるだろう。