世界2位の快挙から20年……
今だから語る「黄金世代」の実態
第11回:榎本達也(後編)

 1999年ワールドユース(現U−20W杯)・ナイジェリア大会の決勝戦。榎本達也がそこで見たものは、これまでの相手とは異なる圧倒的な強さを見せたスペインだった。

「グループリーグで際どい試合をモノにして勝ち上がり、決勝トーナメントでも勝ち進んでいった日本は、素直に『強いな』と思っていたんです。でも、スペインを見て驚きました。『これは、何をやっても勝てない』という強さを初めて感じたんです。

 この時、どうすればスペインのようになれるのか、技術の差だけでここまでの差になるのか、何をどうしたらこの差を埋められるのか……ずっと考えていました。でも、答えは出なかったですね。現役を引退する時も、その答えは見つけられませんでした」


ワールドユースでは出場機会を得られなかった榎本達也(写真中央)。photo by Yanagawa Go

 競争する機会も与えられず、正GKの座を取り上げられたことへの悔しさから、榎本は自らチームに積極的に溶け込むことができず、ずっと外からチームを眺めていた。その日々がついに終わった。準優勝の表彰を受ける際、榎本は『これでようやく帰国して、(川口)能活さんと練習することができる』と思ったという。

 まるで自分の気配を消すかのような大会にあって、榎本がこのナイジェリアの舞台で何か得るものはあったのだろうか。

「行きたくても行けない環境だったし、当たり前が当たり前ではない世界で、自分たちが恵まれすぎていることを実感させられました。サッカー選手というより、人間としてすごくいい経験になったし、この経験は(当時所属の)横浜F・マリノスを退団してから、すごく生きたなと思います。同時に”理不尽さ”というものを、最初に教えてもらった大会でもありました」

 榎本が感じた理不尽さとは、いったいどういうことなのだろうか。

「サッカー選手って、いろいろな理不尽が常に付きまとうと思うんです。監督の好き嫌いでいくら努力しても起用されないとか、がんばったところで解決できないことがいろいろとある。アジアユースからワールドユースに行く過程で、僕はレギュラーを勝ち取るための勝負をしたかったけど、同じ土俵で戦えず、チャンスも与えられず、第2GKになった。その時、理不尽さを感じたんです。

 それ以降、いろんな嫌なこと、理不尽なことがあると、『この気持ち、ワールドユースの時と同じだな』と思って、それなりに受け止めることができるようになった。ワールドユースのあと、さまざまな経験をしていくことで、僕も少しは成長できた。あのまま『試合に出られないのは、監督のせいだ』という見方しかできなければ、僕はもっと早くに(選手生活が)終わっていたと思います」

 ワールドユース後、榎本は所属する横浜F・マリノスに戻って、日々鍛錬を重ねた。2001年、川口がポーツマス(イングランド)に移籍すると、レギュラーの座を射止めた。ただ、ワールドユースの時と変わらず、同じGKに対するメラメラした思いというのは、消えることはなかった。

 すると、そうしたギラギラとした気持ちが裏目に出てしまい、取り返しのつかない出来事を起こしてしまう。

 2006年、榎本はその前のシーズンから徐々に出場機会を減らしていた。それでも、真面目に練習に取り組んでいたが、ある日、ふとそんな自分に嫌気がさしてしまったという。そして、練習中にもかかわらず、水沼貴史監督(当時)の引き止めさえも無視して帰宅してしまったのだ。

 その時、すぐに電話をかけてきてくれたのが、(当時の)チームメイトである清水範久だった。

「おまえ、絶対に謝れ。経緯はどうであれ、監督と選手なんだ。おまえは干されるかもしれないけど、謝ればそれで(この件は)おしまいになるから、(水沼監督に)謝ってこい」

 清水にそう言われた榎本は翌日、水沼監督のもとに謝罪にいった。

 監督の言葉を無視して帰宅してしまったのだ。すぐにすべてを水に流して……とはいかなかった。第2GKの座もなくなり、出場機会は完全に失われた。

 そんな時にも「気にするな。普通に練習していろ」と声をかけてきてくれたのが、清水だった。榎本には、その清水の心遣いが身に沁みた。

「ありがたかったですね。ジローさん(清水の愛称)だけがそう言ってくれた。プロとしてどうあるべきか、あらためて考えさせられました」

 榎本は自らの言動によって干されたが、そこで自分の甘さを自覚し、サッカー選手としてすべきことをする、という当たり前のことに気づいた。

 2007年にヴィッセル神戸に移籍すると、F・マリノスでのラストシーズンに芽生えた意識を後押しするように、神戸のGKコーチの言葉が胸に響いた。

「選手はいつかやめる。その先の人生のほうが長いから、人として成長することが大事だ」

 その言葉も、おそらく20歳の頃の榎本には響かなかったかもしれない。わかっていても、試合に出たい気持ちが勝って、荒ぶる自分の気持ちを冷静に押し留めることができなかっただろう。

 だが、ワールドユースを経験し、F・マリノスでいろんな経験を積んだことで、そんなGKコーチの言葉も、素直に受け入れられるようになっていた。

「その頃ですね、自分が労力をかけても、何も解決しないこともあるな、と(わかったのは)。そうして、プロとして100%(の力)を、どこにどう注ぎ込むかを考えられるようになってから、2番手(GK)だろうが、試合に出ていなかろうが、がんばれるようになった。同時に、周囲を冷静かつ客観的に見るように意識し始めたんです」

 神戸では、2008年に副主将を務め、正GKとしてプレーした。

 その後、2011年に徳島ヴォルティスに移籍。加入してすぐにアキレス腱を断裂してしまったが、同シーズンの10月には復帰した。そして、2013年に栃木SCに移籍し、2015年にFC東京に移籍すると、榎本の「自分が」というエゴは氷解していった。

「もう若手ではないし、チームのためにどう振る舞ったらいいのか。また、自分が(試合に)出た時、いかにいいパフォーマンスを出せるか、を考えるようになりました。それは、ゴンちゃん(権田修一)の影響もあったと思います。

(権田は)練習では手を抜かず、チームのために、自分のために一生懸命にプレーする。そういう姿勢を共有できた。でも、ギラつきはなくさないようにしていました。選手として『ギラギラしたものがなくなったら終わりだ』と思っていたので(笑)」

 2016年は、ベンチ入りしてもしなくても、「常にチームのために」という意識で、普段の練習から行動した。ナイジェリアで自分のことしか考えられなかった榎本は、FC東京ではいつの間にか、選手のお手本となるべき存在になっていた。

 そして、そのシーズンの終わりをもって、榎本は現役を引退した。

「横綱の稀勢の里関は、引退する時に『悔いはない』と言いましたけど、そういう人はいないんじゃないかな、と思います。僕も本音を言えば、現役でやり続けたかったですよ。地域リーグだとやれたかもしれないけど、そこはプロにこだわりたかった。自分がやってきたことに後悔はないけど、(現役に)”悔いがない”ということはなかったですね」

 引退後、榎本はFC東京のスクールコーチをはじめ、明治大サッカー部のGKコーチも務めている。ブラインドサッカーの日本代表GKにもなった。

 そんな榎本は、スクールで日々子どもたちを指導するなか、自分たちと今の子どもたちとの間にある、明確な違いを感じるという。

「僕らの世代って、かなり自信家だから、単純に試合に出られないのが悔しかったし、試合に出て評価されないのが嫌だった。しかも、相当な負けず嫌いだから、相手にどうしたら勝てるのか、ずっと考えていたし、それに向き合っていた。『明日、自分が試合に出るんだ』というハングリーさというか、ギラギラしたものがありました。

 でも今の子どもは、負けず嫌いとか、ギラギラしたものがないとは言わないけど、そういうのが見えないし、あまり見せない。試合に出られなくても、ヘラヘラしていて、『悔しくないのか?』って思うんですよ。何事にも『もっとがむしゃらに食らいついていけばいいじゃん』って思いますね」

 榎本が言うように、彼の同世代は”超”がつくほどの負けず嫌いの選手が多く、そういう選手たちが切磋琢磨して高みを目指したからこそ、彼らは「黄金世代」と呼ばれるようになった。そうした選手たちでなければ、20歳そこそこで日本代表の主力選手としてプレーすることは難しかっただろうし、まだ海外移籍が困難だった時代に海を渡って活躍することもできなかっただろう。

 榎本は最近、指導している子どもたちの親御さんから「(世界で)準優勝した時の『黄金世代』ですよね?」と、声をかけられることが増えたという。あの時代、チームにうまく溶け込むことができなかった榎本は今、「黄金世代」と呼ばれることについて、どう思っているのだろうか。

「正直、20年前に準優勝して帰国した時、(世間で)すごく騒がれていたけど、(自分は)何とも思わなかった。その後、『黄金世代』と言われても、ピンとこなかった。

『黄金世代』って言われると、(小野)伸二たちはすごいなって思うんですけど、自分はそういう選手じゃない。僕の中では、『黄金世代』っていう言葉が響かなかった。自分のことを言われているなんて、これっぽっちも思わなかった。それは、当時も、今も、同じです」

 きっぱりとそう言い切る表情から、榎本の20年前から変わらぬ姿勢を感じた。


20年前のことを振り返ると「申し訳ない気持ちでいっぱい」と語る榎本

 一方で、20年前のワールドユースを振り返ると、榎本は「申し訳ない」という思いを、仲間たちに対してずっと抱き続けてきたことを吐露した。しかし、今まで仲間たちにその言葉を伝えるチャンスがなく、時が流れてしまった。

 かつて自己中心的だったGKは、少々回り道をしたものの、若手の手本となるようなGKとなって、今では子どもたちにサッカーを教える指導者となっている。いつか「黄金世代」の仲間たちに、今の気持ちを伝えることができれば、彼らは何事もなかったように、笑って接してくれるはずだ。

 ナイジェリアからの20年間は、そういう時間でもある。

(おわり)

榎本達也
えのもと・たつや/1979年3月16日生まれ。東京都出身。FC東京普及部スタッフ。浦和学院高→横浜マリノス(現横浜F・マリノス)→ヴィッセル神戸→徳島ヴォルティス→栃木SC→FC東京