「今日はタイミングや出しどころですごく惜しいシーンもありました。それをゴールで終われたら良かったと思います。前半からボールを回すなかで、相手が嫌がる位置でパスを受けたり、突いていけたりしたら、相手も苦しくなって、後ろで守備をしてくれたかなと思いますし、守備のところでも全体でセットしてどこでスタートを切っていくのかというのが、試合の中でもう少し変えていけたら良かったと思います」(杉田)
 単に攻撃に特化してプレーしたわけではない。オランダの高速カウンターが発動すると、チームの約束事どおり、ディフェンスのコアポジションへ走り、流れの中で戻り切れない選手の代わりにそのスペースを埋めた。
 
「負けたら終わりの中で、攻撃的にいくのも大事ですけれども、失点をしない守備の部分も大事ですし、真ん中のふたりも気持ちがちょっと落ちてしまっていたのもあったかもしれません。『チャンス!』という時に、もう少しスプリントをかけて、前に上がっていけたら良かったと思います」(杉田)
 自分を律する厳しい言葉は、結果が出なかったチームの主軸たる自覚から口を突いて出たものだろう。結局、なでしこジャパンは一方的な攻勢を続けながら、勝負を決める勝ち越しゴールを奪えず、試合終了間際にオランダへPKを与えてしまう。これが致命傷になり、大会を後にすることになった。
 
 藤枝順心は、杉田がいた3年間で手にすることができなかった日本一のタイトルを、杉田の卒業後、3回も手にした。そのタイトルは、多々良監督らスタッフが分析して編み出した、対戦相手ごとに異なる戦術を、着実に遂行する力によるものである。そして、称賛を受けるたびに藤枝順心の多々良監督は「今のチームと、昔のチームを戦わせてみることができると、面白いんだけれどね」と呟く。
 
 ベクトルは逆になるが、今回のなでしこジャパンを、優勝した2011年、準優勝した2015年のなでしこジャパンと戦わせてみたい。結果に目を向ければ大きな差があるが、今回のチームはそれだけ大きな可能性を感じさせてくれた。そして極端なほど若い年齢構成は、今後への期待の大きさになる。一敗地に塗れた、杉田となでしこジャパンが、来年の東京オリンピック以降、さらに素晴らしい姿になることを祈ってやまない。

取材・文●西森 彰(フリーライター)