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2019年に入って、雇用に関する従来の常識がことごとく崩壊している。70歳までの雇用延長、役職定年、残業規制やパワハラ禁止など、ニッポンの会社員にとって、これまで経験したことのない変化といってよいだろう。年金や退職金の減額など、老後の生活を支える仕組みの機能不全も明らかとなっており、ますます混迷の度合いを深めている。

一連の雇用制度改正は、産業構造の変革を伴うものであれば効果を発揮するが、現状のままでは、際限ない賃金の低下をもたらす可能性が高い。雇用について、今、起こっている変化を整理し、今後の推移について考察してみたい。

「雇用延長」は確実に賃金を低下させる

一連の雇用制度改正の中でもっともインパクトが大きかったのは、やはり70歳までの雇用延長だろう。背景となっているのは、言うまでもなく年金制度の限界である。金融庁が5月にまとめた、人生100年時代に対応した資産形成の指針が炎上するという騒ぎがあったが、それは公的年金の限界をハッキリ指摘してしまったからである。

官庁がストレートな言い方で「年金はアテにならない」と明言したのは、おそらく初めてなので、多くの人がショックを受けたわけだが、これはあくまで表現の問題に過ぎない。公的年金が将来、減額になることは厚生労働省のシミュレーションなどですでに示されており、70歳までの定年延長も当然のことながら年金の減額を補完するための措置である。

定年が延長されれば、社員を今よりも長期間雇用する必要があるので、企業側は総人件費の増大を強く警戒することになる。企業側に総人件費を大幅に増やすという選択肢はないので、定年が延長されてコストが増えた分、若い世代の賃金が引き下げられるのはほぼ確実である。70歳までの雇用延長は平均賃金の引き下げ効果をもたらすだろう。

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40代が年収のピークになる

定年延長に伴う総人件費の増大については、若い世代の賃金引き下げだけでは対処できないので、当然のことながら高齢社員の年収も大幅に引き下げられる。年収引き下げのタイミングとなるのが、役職定年と再雇用だろう。

企業は一定の年齢に達した段階で、高い役職に就いていない社員を管理職から外す、いわゆる役職定年を強化している。役職のない仕事に異動するタイミングで年収は大幅に下がる可能性が高く、次にやってくるのは60歳、あるいは65歳での再雇用をきっかけとした年収引き下げだろう。

企業は社員が希望すれば定年後も社員を再雇用する義務があるが、ほとんどの場合において年収は大幅に下がる。大企業や公務員の場合には7割程度、業績が悪い企業や中小企業の場合には5割になると思った方がよい。これからの時代は、役員まで出世する一部の人を除いて、40代が年収のピークとなる。

退職金が消滅

定年が70歳まで延長されれば、これは事実上の生涯労働といってよく、そうなると高額の退職金を支払う意味がなくなってしまう。

厚生労働省の調査によると2017年に大卒の定年退職者に企業が支払った退職金の平均額は1788万円となっており、5年前との比較で153万円減少した。20年前との比較ではなんと1083万円も減っている。事実上、退職金は消滅に向けて動き出したといってよい。

退職金は定年とセットになったものであり、定年制度が崩壊しつつある今、企業にとっては退職金を支払うメリットがなくなっている。退職金の支払いを前提したライフプランは、今後は成立しないと考えた方がよいだろう。

残業規制は「生産性の低い企業」に大打撃

雇用に関する変化は、働く年月についてだけではない。これからは日々の働き方も大きく変わる。今年の4月から働き方改革関連法が施行され、残業時間に厳しい上限規制が設けられた。一連の制度改正は、多くの会社員に根本的な価値観の転換を迫ることになる。

日本において無制限の残業が認められてきたのは、終身雇用と年功序列の制度があったからである。雇用と賃金を保障する代わりに滅私奉公的な働き方を社員に求めてきた。一連の制度は、昭和の時代においてはうまく機能したが、今では生産性を引き下げる元凶となっている。

残業規制の導入は、企業の優劣を鮮明にする効果をもたらすだろう。

一部の企業では、残業規制の導入後、一律に残業時間を削減するという場当たり的な対応を行っている。業務のムダを見直さず、ただ労働時間だけを削減した場合、企業の生産量は確実に減るので、売上高と利益の減少につながる。生産性が上がらないと賃金も上げられないので、社員の年収がさらに下がるという悪循環に陥る。生産性の向上を実現できず、市場退出を迫られる企業が出てくるかもしれない。

パワハラ防止法があぶり出す日本企業の経営実態

この状況にダメ押し的な効果をもたらすのが今国会で成立したパワハラ防止法である。これまでパワハラには明確な定義がなかったが、関連法の整備によって何がパワハラで何がパワハラではないのかハッキリすることになった。詳細な判断基準については現在、検討中だが、同僚の目の前で叱責する、大量の仕事を押しつける、仕事を与えない、といった行為は明確にパワハラと認定されることになる。

日本企業においては、パワハラと無制限の残業は事実上セットになっていた。生産性の低さを滅私奉公と暴力的な社風でカバーするという図式である。この両方が法律で明確に禁止されるので、低付加価値な企業は息の根を止められてしまうだろう。

日本の場合、企業は自由に社員を解雇することができない。諸外国において日本のようなパワハラ問題が存在しないのは、企業がいつでも社員を解雇できるからである。日本では、能力のない社員も含めて、全員を丁寧に扱い、かつ短時間で仕事を切り上げる必要がある。これからの時代における日本の経営者の負担は計り知れない。

強制転勤の禁止

パワハラ防止法と関連するが、一連の法改正によって、強制的な転勤を社員に命じるのも困難になってくるだろう。多くの日本企業では、辞令があれば、どこにでも転勤するというのが当たり前だった。しかし、近年になって転勤を拒否する社員が増えており、企業の中には、強制的な転勤を抑制するところも出てきている。

日本の転勤制度は、やはり終身雇用制度と密接に関わっている。企業のビジネスは時代によって変化するので、業務を行う場所も変化する。諸外国の企業であれば、新規事業を行う場合には、新しい場所で社員を採用し、余剰となった人材は解雇することが多い。日本ではそれができないので、雇用を保障する代わりに、転勤を受け入れるという暗黙の了解が出来上がっていた。

化学メーカーのカネカが、育休を取得した社員に関西への転勤を命じたことが明らかになり、大きな批判を浴びているが、パワハラ防止法が施行された後は、強制的な転勤もパワハラに認定される可能性があり、企業は慎重にならざるをえないだろう。だが、終身雇用を保証した状況で、転勤も強制できないとなると、企業はさらに手枷足枷をはめられることになる。

暴力的なまでの「企業間格差」拡大

一連の雇用制度の改正は日本に何をもたらすだろうか。

筆者は、優秀な経営者がリードするごく一部の優良企業と、それ以外の企業との格差が絶望的なまでに拡大すると予想している。

経営者の仕事は儲かる仕組みを構築することだが、これができる経営者はごく少数である。プロ経営者が少ない日本の場合なおさらだろう。ごく一部の優秀な経営者が経営する企業は、儲かる仕組みができているので、社員の労働時間は短く、社風は穏やかで、育休などの制度もしっかり完備されることになるだろう。生産性が高いので当然、社員には高い賃金を払うことができる。

だが、こうした企業は全体のごく一部であり、従来型の薄利多売のビジネスから脱却できない企業の方が圧倒的に多い。本来であれば、市場メカニズムによってこうした企業は退場させ、雇用も流動化させた上で、経済の仕組みを抜本的に再構築する必要があるが、大方の日本人はこうした施策を望んでおらず、一連の改正も現状維持を大前提にしたものとなった。

低い付加価値しか生み出せない企業は、これまで無制限の残業やパワハラまがいの労働環境で何とかしのいできたが、一連の制度改正後は、こうした施策も不可能となる。企業の体質を変えられない経営者にとって、残された手段は、賃金の引き下げと際限のないコストカットしかない。

これは、限られたパイを奪い合う経済なので、立場の弱い企業は、今後、さらに劣悪な環境に置かれることになる。高い付加価値を実現した企業には、人が殺到するので、優良企業に入社するためのレースは壮絶なものとなるだろう。