田園調布耳鼻咽喉科医院の水上CEOは、意外なキャリアの持ち主だ(撮影:尾形 文繁)

普段、何気なく受診している耳鼻咽喉科だが、その現状を正確に理解している人はそんなに多くないかもしれない。ほとんどの人にとっては、たとえば中耳炎や花粉症、咽頭痛などのときにたまに訪れるというイメージではないだろうか。

厚生労働省の調査(2017年度)によると、全国にある耳鼻咽喉科の一般診療所の数は5828軒(重複計上)と、この10年ほぼ横ばい状態だ。一方、社会保険診療報酬支払基金の統計月報によると、耳鼻咽喉科の外来患者1日当たりの診療単価は4420円と、内科や外科、眼科などに比べると低い。つまり単純に考えれば、売り上げを維持するには一定数の患者を確保する必要があるが、日本は目下、人口減少のさなかにある。

日曜日には午前だけで「3ケタ」の予約

こうした中、意欲的な取り組みをしている耳鼻咽喉科がある。東京・大田区の田園調布耳鼻咽喉科医院だ。東急東横線・田園調布駅から徒歩5分ほどに、商店街に位置している同耳鼻咽喉科は、外観こそ華やかな感があるが、待合室はだいたい30人入ればいっぱいになるほどで規模から言うと、普通の“町医者”というたたずまいだ。


田園調布駅から徒歩5分ほどの商店街沿いにある田園調布耳鼻咽喉科医院

が、2017年12月に開院してから約1年半で、「日曜日には午前中だけで3ケタの予約が入る」(田園調布耳鼻咽喉科医院の水上真CEO)ほか、患者も近隣だけでなく、都心や神奈川県からも訪れるほどになった。よほど特殊な治療を行っていない限り、通常は自宅や職場の病院を選ぶはずだが、同院にここまで人が訪れるのにはいくつか理由がある。

1つは変則的な診療時間だ。月・水・金は午前7時からの早朝診療と、夜7時からの夜間診療に対応。水・木・日は終日診療を行っている。早朝、夜間、休日診療は普段仕事をしている人が多く、例えば夜間診療時は都心で仕事を終えてから、自宅とは違う方向にもかかわらず診療に訪れる人が少なくない。また、日曜日は「耳鼻咽喉科 日曜日 東京」など検索で調べた人が、「関東全域から訪れる」(水上CEO)という。

2つ目は、最近では病院でも増えつつあるネット予約を行っている点。同院では、早朝、夜間に関しては2週間先までとれるオンライン予約システムを導入し、患者の待ち時間削減に取り組んでいる。そして3つ目は、小児耳鼻咽喉科を併設していることで、「患者の年齢層は0歳から90歳まで幅広い。家族ぐるみで来院する人も多くいる」(水上CEO)という。

さらに、血液検査やプラセンタ注射など自由診療にも積極的。耳鼻咽喉科は花粉症やインフルエンザなど、季節的な要因で業績が左右されやすいとの指摘もあるが、自由診療を強化することによって年間の患者数の平準化を図っている。

田園調布耳鼻咽喉科医院のこうした戦略を立てているのが水上CEOだが、実はこれ以前に本格的な病院経営の実績はない。妻である水上真美子医師が東邦医大から独立し、開業するにあたって同院のCEOに就いたが、もともとはまったく違う分野で活躍していた。

キャリアのスタートは金融業界。その後エンタメ業界へ転身し、数々の事業を立ち上げていく。まず、オリコンで音楽以外のエンタメランキングを創設したのを機に、20代半ばで取締役に抜擢。2001年にアスキー系の映像コンテンツ会社の代表となり、ストリーミング事業を立ち上げる。続いて、日本コロムビアの執行役員として制作・宣伝部門を統括。退任後は、TOKYO MXテレビにて編成企画マーケティング部長を務めていた。

医療器具もすべて自ら選んだ

もともと、医療業界には関心があったという水上CEO。「テレビ局の企画責任者だったときに、わかりやすい医療番組を立ち上げたいと考えていた。その実現に向けて奔走するうちに医療業界への関心が高まっていった」という。

その後、知り合いの病院長から、新薬開発から介護事業までワンストップで行う会社を立ち上げたいという相談を受け、経営に参画。同じころ、妻の開業話が持ち上がり、経営のアドバイスがほしいと言われたことで病院経営に携わるようになった。

こうした中、図らずして生きたのが、エンタメ業界で複数の事業を立ち上げた経験だ。例えば、耳鼻咽喉科を立ち上げる際、もともと住んでいた田園調布は候補に挙がっていたが、開院するにあたって近隣だけでなく、都内全域はもとより、神奈川県川崎市や横浜市からの流入も想定して調査を実施。

「人口分布の分析や診療圏調査はもちろん、各エリアを実際に自分で歩いて、歩行者数や各公共交通機関の曜日別・時間別乗降客数を調べた。また、『どの時間帯に、どういう動線で人が行き来するのか』を徹底的にリサーチした」(水上CEO)

さらに、病院や診療所を始める際は、医療コンサルなどを入れ、こうしたところと提携をしている医療器機などを導入する場合が少なくないが、水上CEOは、コンサルなどを利用することなく検査器具から診療器具まで水上医師と相談して決めた。複数の器具を検証するなかで、自身で機能を調べるほか、相見積もりもとった。

「使い勝手を追求すると同時に、ビジネス的観点からコスト面も交渉した。電子カルテやオンライン予約など、ウェブ関連の業者だけでも10数社を比較して選んだ。こうして一つひとつについて、すべて比較して選んでいるところは珍しいと思う」

異業種から転身した水上氏だが、「エンタメ業界と医療業界の共通点は多い」と語る。

「エンタメ業界も医療業界も『顧客と向き合うビジネス』。顧客のニーズをくみ取り、それを実現するというベースは同じ。また、従来のやり方のいい点を受け継ぎつつ、時代に応じた新たなサービスや価値を生み出していく点はまったく同じだと実感している。

事業戦略を考えるだけでなく、“具現化できること”が私の強みだ。決められた期間内に目標を達成するため、ゴールから逆算して考え、段階的に実行するというエンタメ業界での経験が医院経営にも活かされている」

口コミで音楽業界関係者などが訪れる

開院してから意外なニーズがあることにも気がついた。水上CEOのキャリアを知ってからなのか、口コミからなのか、音楽関係者や、教師や講師など声を使う職業の人が多く訪れるのである。「あるときは、ライブハウスでスピーカーのそばにいて、耳が聞こえにくくなったという人が来たこともある」(水上CEO)。このほか、羽田空港のある大田区に立地している土地柄、キャビンアテンダントの患者も少なくないという。

水上CEOによると、耳鼻咽喉科の診療項目は一般的に考えられているよりかなり広範囲に及ぶ。実際、風邪やめまい、耳鳴り、ぜんそくから花粉症、嚥下障害や頸部(けいぶ)の腫れなど、扱う疾患は多岐にわたり、「患者のニーズは大きい市場」と、水上CEOは見る。

こうした中、「花粉症の時期などだけではなく、年間を通じてどれだけ患者の健康ニーズに応えることができるのかを考えることが経営方針。『トータルで健康になってもらいたい』という考えのもと、さまざまなメニューを提供していきたい」と話す。今後はさらに、水上CEOのこれまでの人脈を生かして企業との協業や、遠隔診療なども視野に入れているという。

水上CEOは、同院の強みを「医経分離」としているが、確かに開業医でこうした体制になっているところは珍しいだろう。加えて、同CEOは自ら複数の事業をゼロから立ち上げた経験があったからこそ、分野が違ったとしても生かせたのではないか。

一方で冒頭のとおり、耳鼻咽喉科はほかの診療科と比べて診療単価が低いことから、来院患者をより多く集めることが経営強化のカギとなる。目下、さまざまな取り組みによって予想以上の患者を確保しているが、“町医者”の使命の1つは地域に根ざし、近隣の患者がいざというときに頼れることではないだろうか。そのためには、初診とリピーター、近隣患者と遠方からくる患者のバランスを図っていくことが重要となるだろう。

「従来の耳鼻咽喉科のやり方はしない」と語る水上CEO。エンタメ業界流の型破りな経営手法は、医療業界に新たな風を吹かせるだろうか。