劇作家、演出家、舞踊評論家で知られる山川三太さん。今回、一般社団法人パフォーミング・アーツ・ラボラトリー理事長として助成申請。日韓のダンス文化交流の推進役だ(写真 渡辺誠)

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自分の中にいる二つの「私」を光と影で織りなす女性デュオ。ひきこもりの少女から湧き出す怒りと対峙する哀切な姿...。今の時代を反映する多様な素材を、独創的で鋭敏なテクニックで表現する韓国の若きダンサーたち。その競演に満場の拍手喝采は鳴り止まなかった。2018年10月、秋田県秋田市で開催された「Asia Festival Exchange」の光景である。

なるべく小さい頃に本物を見せたい

秋田県は日本の「モダンダンスの父」と呼ばれる石井漠(いしい・ばく)、日本独自の舞踊スタイル「舞踏=BUTHO」を築いた土方巽(ひじかた・たつみ)という二人の天才ダンサーを輩出した地。彼らの功績を顕彰し、若い世代の育成を目指して、2016年にスタートしたのが「石井漠・土方巽記念国際ダンスフェスティバル『踊る。秋田』」だ。

いまや秋田の一大国際イベントとなった『踊る。秋田』だが、2018年に「Asia Festival Exchange」が立ち上がり、公益財団法人韓昌祐・哲文化財団から助成を受けて、韓国から3組のダンサーを招いた。なぜ今、アジアのダンサーに注目するのか。

公演の企画運営を手がける一般社団法人パフォーミング・アーツ・ラボラトリー代表の鈴木明(65)は、「山川三太」(やまかわ・さんた)の名で舞踊評論家としても知られている。山川はその狙いをこう語る。

「今、アジアのダンス表現が面白いんです。欧米と違う価値観の舞台芸術として、世界で重要な位置を占めている。その中心となるのは韓国です。韓国はアジアで唯一の国立現代舞踊団を持ち、国内で開催される国際ダンスフェスティバルには世界各国のダンサーが集まってくる。我々も韓国とのダンス交流を継続的に推進し、アジアのネットワークをきちっと構築しようという試みなんです」

秋田市生まれの山川は、地元の子どもたちに託す思いもあった。もともと演劇の道を志し、18歳で上京。山川は俳優養成所へ入所した。そこに集う東京の同期生は幼少の頃から祖父母に連れられ歌舞伎や寄席へ行き、クラシックバレエやダンスを観て育った。生の舞台を観たこともない山川はカルチャーショックを受け、コンプレックスを感じたという。

「自分も60歳を過ぎて、秋田の子たちに同じ思いをさせたくないという気持ちがあった。だから、なるべく小さい頃に本物を見せたいと話すと、『子どもたちに難しい舞踊を見せても分かりますか?』とよく聞かれる。けれど、『いや、分からなくてもいいんです』と。たとえ理解できなくても記憶に残っていれば、後で振り返った時に大きな財産になると思うんです、と答えている」

興奮して帰ろうとしなかった観客

山川が「舞踏」と出会ったのは10代の終わりだ。秋田高校時代、高校紛争の運動の渦中で中退。その頃、唐十郎(から・じゅうろう)と状況劇場の公演に心酔し、アングラ演劇を志す。1960年代半ばから70年代にかけて隆盛したアングラ演劇。舞踊界では暗黒舞踏派を率いる土方巽がおり、衝撃を受けたのが「静かな家」という作品だ。

なぜなら舞台の上で展開されていたのは、生まれ育った秋田の風景そのものだったから。板戸や箪笥を背負い、吹雪の中を黙々と歩く男たち。そこにバッハのフーガが重なり合う。土方は自身の原風景である東北の景色と身体にこだわり、神話の世界を創りあげていた。

「うわっ、こんな光景を舞台に乗せていいのかと、ものすごい衝撃でした。田舎臭いところが嫌で出てきたけれど、自分の中にある『秋田って、何だ?』という疑問にもとことん向き合わないと、本物の表現は出てこないだろうと気づかされた」と山川は顧みる。

上京から4年後、劇団究竟頂(くきょうちょう)〈銀色テント〉を結成。終戦直前、秋田の花岡鉱山へ強制連行された中国人が過酷な労働と虐待、拷問などで400人以上が死んだ「花岡事件」を題材に旗揚げ公演を敢行した。以来、劇作家、演出家、役者として芝居に関わってきた山川は、86年に劇団を解散。その後は演劇評論や人材育成などを手がけてきたが、60代にして「秋田」と深く関わることになる。

きっかけは2014年、秋田で国民文化祭が開催されることになり、「舞踊・舞踏フェスティバル」を提案した。地元では土方巽の名も知られていなかったが、文化祭の目玉として企画を任される。そこで土方に師事した麿赤児(まろ・あかじ)の「大駱駝艦」を招いたところ、700人の劇場がびっしり埋まり、壮大な舞踏に魅せられた観客は興奮して帰ろうとしなかった。翌年には『踊る。秋田』実行委員会が発足し、山川はディレクターに就任した。

2016年からスタートするにあたり、韓国を訪れた山川は多彩なダンサーと出会う。「僧舞(スンム)」は韓国を代表する古典舞踊で、荒々しく豪放な男性僧舞に惹きこまれる。国立ソウル芸術総合学校で教える南貞鎬(ナム・ジョンホ)はモダンダンスの第一人者。さらに最前線をいく男性ダンスグループ「モダンテーブル」の踊り手にも圧倒された。

「韓国のダンスの面白さは古典との境がないこと。例えば、モダンテーブルの『ダークネス・プンバ』は伝統的なプンバ(乞食歌)を素材にした作品で、ロックバンドの生演奏で踊るけれど、古典のステップが活かされている。韓国の芸大で学ぶ人たちも必ず古典舞踊から始まり、古典のテクニックを身につけてからコンテンポラリーに移っていく。いわば根っこで繋がっているんです」

控えめな県民がスタンディング・オベーション

『踊る。秋田2016』はモダンテーブルの『ダークネス・プンバ』フルバージョンの日本初公演だった。彼らの舞台に、観客全員立ち上がってスタンディング・オベーションが起きる一幕も。ふだんは控えめな県民気質を知るだけに思わず涙が込みあげたと山川は目を細める。最終日の「大駱駝艦」公演では2時間前から列ができた。

「先頭から50人くらいはおじいちゃんとおばあちゃんで、『何で来たんですか?』と聞くと、秋田弁で『わげ(訳)わからねぇども、面白れがったもの』と(笑)。秋田の観客はものすごく素直なので、踊り手も感動するんです」

翌2017年に「土方巽記念賞」を設けて公募したところ、世界16の国と地域から219作品のエントリーがあり、50作品ほどは韓国からの応募だった。そもそも韓国では石井漠が大正15(1926)年に初の朝鮮公演を行い、この年が韓国の「モダンダンス元年」とされている。こうした日韓の絆をより育み、アジア各国との文化交流を推し進めていく目的で立ち上げたのが「Asia Festival Exchange」だ。

初の試みとなる2018年度は、韓国のSCF(Seoul International Choreography Festival)、NDA(New Dance for Asia)、国立ソウル芸術総合学校からコンテンポラリーダンサーを招聘。公益財団法人韓昌祐・哲文化財団の支援により、出演料、宿泊料、渡航費を賄うことができた。

これまでの招聘作品とは趣向を変えて、女性デュオとソロの作品でプログラムを組んだ。力強い優雅さを持つイ・ジヒ、愛くるしさにあふれたイ・ダギョム、さらに健気な哀切さに満ちたイ・ギョングの3作品。選考にあたった山川はいう。

「韓国のダンサーは極めて高いテクニックを持ち、特に男性は身体的な強さも凄い。国内の20カ所以上でダンスコンクールが開かれ、優勝した男性ダンサーは兵役免除になるため必死で技術を磨いています。秋田もダンス人口は多いけれど、男の子はほとんどいない。その状況を打破しようと、パワフルに踊る男性ダンサーを中心に招いてきましたが、去年は女性ダンサーの作品を紹介することでより幅広いダンス表現を楽しんでもらいました」

終演後のロビーではダンサーを囲んで握手やサインを求める姿が見られ、高校生もかなり観にきていた。今年は韓国、シンガポール、福岡からダンサーを招聘し、その後は台湾、香港とネットワークを強固にしていきたいと考えている。

「コンテンポラリーダンスとは一つのジャンルではなく、"今"という時代に向き合っていく身体表現なのだ」と山川は語る。

それは言葉を超えて、人間の肉体がもつ根源的なリズムを掘り起こしていくもの。だからこそ、今の時代を生きる多様な人をつなぐ架け橋にもなると信じている。 (敬称略)

(ノンフィクションライター 歌代 幸子)